カレン・カーペンター(Carpenters)の歌声はどう変わった?再録で選び直した声とソロへの挑戦

1972年、ホワイトハウスでのカレン・カーペンター カレン・カーペンター(Carpenters)
Robert L. Knudsen / White House / Public domain

Carpentersのデビュー・シングル「Ticket to Ride」は、発表して終わった録音ではありませんでした。
1969年の曲を1973年のベスト盤へ収めるとき、カレン・カーペンターはリード・ボーカルだけでなく、ドラムも録り直しています。

「Top of the World」でも、「Merry Christmas Darling」でも、彼女は一度世に出した歌に戻りました。
ただし、三曲とも同じ理由で歌い直したとは言えません。
何を変えたかったのかが最もはっきり分かる1978年の「Merry Christmas Darling」までたどると、初期の名唱のあとにも、カレン自身が望む声があったことが見えてきます。

まずドラマーとして始まり、歌声が録音に残った

1965年に兄リチャードらと組んだトリオでは、カレンは主にドラムを担当していました。
リチャードが歌を勧めることはあっても、当初は器楽演奏が中心。
彼の回想では、カレンの歌声はまだ育つ途中で、本人もその響きをあまり気に入っていなかったそうです。

1966年、二人はベーシストのジョー・オズボーンが持つスタジオで録音の機会を得ます。
そこでカレンの声が評価され、彼女名義のシングルも作られました。
この段階では、ドラムの演奏と歌の両方が、彼女の活動にありました。

CarpentersとしてA&Mから出した1969年の「Ticket to Ride」では、リチャードがビートルズの曲をバラードに組み替えました。
テンポを落とし、カレンの低い声が悲しい歌詞に合うよう、和音や旋律の終わりも変えたと説明しています。

この曲を1973年の『The Singles 1969–1973』に入れる際、カレンは歌とドラムを新たに録音し、ギターも加わりました。
なぜ彼女がこの曲を録り直したのか、リチャードは曲の解説で具体的な理由を明かしていません。
後の二曲とは、その点を分けて考える必要があります。

「Top of the World」は、ヒット前に歌い直した

「Top of the World」は1972年のアルバム『A Song for You』に入っていました。
当初、リチャードたちはこの曲をシングルの中心とは見ていませんでしたが、ほかの歌手によるカバーやファンの反応を受け、1973年に発売へ動きます。

そのとき、カレンはもとのリード・ボーカルに満足していませんでした。
リチャードによれば、彼女はもっとよく歌えると感じ、歌を録り直しています。
リチャードも冒頭のスティール・ギター奏者を替え、曲全体をミックスし直しました。
アルバム版とシングル版の違いを、声だけに帰すことはできません。

結果として、この曲は代表的なヒットになりました。
しかし、再録の理由をヒットを狙うためだけに縮めると、カレン本人が最初の歌に満足していなかったという大事な点が抜けます。
すでに完成し、発表された曲でも、自分が届けたい歌はまだ別にある。
ここではその判断が、発売前に実際の録り直しへつながりました。

椅子に座るカレン・カーペンター(1973年の宣伝写真)
椅子に座るカレン・カーペンター(1973年の宣伝写真)。
写真:Billboard Publications Inc. / Public domain

1978年、若い日の「Merry Christmas Darling」に戻る

「Merry Christmas Darling」は、リチャードが1966年にフランク・プーラーの詞へ曲を付け、兄妹がクリスマスの催しでも歌っていた曲です。
レコードになったのは1970年。
カレンが20歳のころの声が残っています。

1978年のアルバム『Christmas Portrait』へ入れるとき、カレンは自分から新しいリード・ボーカルを録りたいと望みました。
リチャードは、21歳ごろまでの彼女の声には、その後よりハスキーな響きがあり、カレン自身は成熟した声のほうを好んでいたと語っています。
公式盤の解説でも、1978年の歌は初回より柔らかく、余裕のあるものと評されています。
これは昔の声の聞こえ方だけを調整した音源ではありません。
カレンが同じ曲をもう一度歌い、曲もミックスし直されました。

この違いは、初期の歌が劣っていたという意味ではありません。
初期の声を愛する聴き手もいるでしょう。
一方、本人は年月を経た自分の声で歌いたかった。
その好みは、外から「これが名唱だ」と決めるだけでは見えません。
同じ歌を再び録音したという事実が、カレンの選択を伝えています。

違う曲を歌う挑戦は、ソロ録音へ続く

再録では、既に知っている歌に新しい声を与えました。
その少し前の1977年には、違う曲を歌う試みも進んでいます。
アルバム『Passage』でリチャードは従来と違う曲を選び、Carpentersのレパートリー自体を広げようとしました。

その背景には、それまでの二作の売れ行きが以前ほど伸びず、レコード会社からも心配する声が出ていたことがあります。
リチャードは別のプロデューサーへ任せることも受け入れましたが、引き受け手が見つからず、自分が続投して違う角度から選曲したと振り返っています。

ミュージカル『Evita』の「Don’t Cry for Me Argentina」もその一曲です。
リチャードは出版社から届いた曲をカレンにぴったりだと考え、編曲家のピーター・ナイトへオーケストラの編曲を依頼しました。
録音には大編成のオーケストラと合唱団が集まり、歌の周りの音楽も大きく広がっています。

ところが後年、リチャードはこの選曲を見直しました。
カレンの魅力である低い音域に、旋律がとどまる時間が足りなかったと考えたのです。
壮大な曲を用意できることと、彼女の得意な声を十分に生かすことには違いがあった。
この回想には、新しい曲に挑んだリチャードが、あとから歌手との相性を考え直す姿も残っています。

さらに1979年、リチャードが活動を休む間、カレンはフィル・ラモーンとソロ・アルバムを録り始めました。
ここでの目標は、Carpentersと同じ音楽を一人で再現することではありません。
ラモーンは、二人で従来のアルバムになかった曲やスタイルを試そうと決めたと記しています。

セッションに参加したドラマーのジョン・ロビンソンも、カレンが踊れる音楽を望んでいたと回想しています。
彼が覚えていたのは、彼女が演奏者からの提案にも前向きだったことでした。
手拍子を教え、一緒に叩いて楽しい時間を過ごしたとも話しています。
ドラマーでもあるカレンが、新しい制作相手の提案を楽しみながら取り入れていた場面です。

ロッド・テンパートン作曲の「Lovelines」は、その試みを代表する一曲です。
落ち着いたバラードだけが彼女の進みたい方向だったわけではない。
歌う曲とリズムを選び直し、兄の編曲とは違う場所でも自分の声を試していました。

このソロ・アルバムは1980年にいったん発売が見送られ、全曲がまとまって公になったのは1996年です。
発売年を歌唱時期と取り違えると、この挑戦が1979~80年に行われたことが隠れてしまいます。
ラモーンは後年、カレンが了承した当時のミックスを変えずに発表したと説明しました。
なお、1989年のCarpenters名義のアルバム『Lovelines』に入った同名曲は、後年にミックスし直された版です。

ソロ盤をすぐに世に出せなくても、兄妹の録音は終わりませんでした。
二人は1980年から再び制作し、1981年に『Made in America』を発表しています。
ラモーンも、ソロで別の音楽を試すことを、Carpentersの終わりとは考えていなかったと記しています。
カレンにとって、兄と歌うことと、別の制作相手と自分の可能性を探ることは、切り捨て合う選択ではなかったのでしょう。

歌い直しは、過去の否定ではなかった

初期には録音された自分の声に戸惑い、やがてその低い声を生かした曲で知られるようになったカレン。
それでも「Top of the World」ではもっとよく歌いたいと望み、「Merry Christmas Darling」では年を重ねた声を選び、ソロでは違うリズムの曲へ踏み出しました。

三つの再録とソロ制作は、一方向に声が「よくなった」という単純な話には収まりません。
曲を変えずに声を選び直すこともあれば、声を置く音楽のほうを変えることもある。
カレンはその両方を、自分の録音の中で試していたのです。

「Close to You」の低い歌い出しや「Superstar」の言葉の響きなど、彼女の声を生かした曲作りについては、カレン・カーペンターの歌い方で詳しく扱っています。
そこに残る魅力を知ったうえで昔と後年の録音へ戻ると、同じ声の持ち主が何を選び直したのか、別の面白さも見えてきます。

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