MACOの歌声はどう変わった?日本語カバーから「HEARTBREAKER」の語りまで

MACOのアーティスト写真 MACO

2014年、テイラー・スウィフトの曲を日本語のバラードにした動画で注目されたMACO。恋の気持ちを真っすぐ歌う人、という印象を持っている人もいるでしょう。ところが2025年の「HEARTBREAKER」では、歌詞をメロディに収めきれず、2番を語り口調のラップへ切り替えました。本人は、感情を強く乗せる歌い方と、あえて話すようにする歌い方の両方を録音で試したと語っています。

初期と現在を「かわいい声から大人の声へ」と一言で結ぶと、この選択の面白さを見落とします。かつては洋楽の物語を日本語の恋歌として届け、やがて自分の言葉が伝わるまで録り直し、今は言葉が増えるなら歌の形も変える。MACO自身が語った声への違和感と録音の試行錯誤をたどると、変わったのは声の印象だけでなく、言葉を歌に置く方法だと分かります。

2014年――「声が細い」と振り返った『22』から、日本語バラードへ

上京後の2014年4月、MACOはインディーズ盤『22』を発表しました。同年の取材で本人は、毎日スタジオに入って作った自信作でありながら、後から聴くと自分の声が細く感じられて少し恥ずかしい、と率直に振り返っています。続くメジャーデビュー作『23』については、一皮むけた感覚があったとも話しました。短い間に本人が声の違いを意識したことは確かですが、それだけで声域や発声法が変わったとは言えません。

『22』に収められた「この世界中で」は、後に『23 plus』にも再収録されました。配信サービスに現れる動画の公開日が後年でも、歌そのものは初期作品です。2014年のMACOを考えるとき、まずこの録音時期を押さえておきたいところです。

同年、注目を集めたのは「We Are Never Ever Getting Back Together」の日本語カバーでした。本人によると、洋楽を日本語で、しかもバラードにする企画は周囲との話し合いから生まれています。原曲の設定をおおむね保ちながら、自分の経験に照らし、日本の聞き手が受け取りやすい言葉へ置き換えた。声がバラードに合うという自覚もありました。ここでの変化は、洋楽をそのままなぞるのではなく、別の言語とテンポ感の中で「自分の歌」として届けることです。

2016年のライブで歌うMACO
2016年のライブで歌うMACO 出典:音楽ナタリー

2015年――「LOVE」で、借りた物語から自分の恋歌へ

カバーで知られるようになった後、MACOは初のCDシングル「LOVE」を送り出しました。2015年の取材で本人は、この曲をカバー歌手というイメージからオリジナル曲の歌い手へ移る分岐点と位置づけています。その数年後に振り返った際には、初めてのオリジナル・シングルだからこそ何度も録り直し、サビの言葉も試行錯誤したと明かしました。

初期の日本語カバーでは、もともとある洋楽の場面を自分の言葉で言い直していました。「LOVE」では、歌う場面と言葉自体を自分たちで決めなければならない。録音のやり直しを「音程を直した」と読み替える根拠はありません。本人が話したのは、自分のオリジナルをどう聞き手に届けるかを、歌詞とテイクの両方で探った過程です。声の変化を一曲だけの印象に求めるより、歌う言葉に自分で責任を持つようになった転機として見たほうが実態に近いでしょう。

同年の「Kiss」は、それまでの幸福な恋歌とは異なり、別れの切なさを扱う曲だと本人が紹介しました。『FIRST KISS』には明るい曲も悲しい曲も入っています。「LOVE」で自作の恋を歌い始めたことは、ずっと同じ気分の恋を歌うという意味ではありませんでした。後の失恋曲へ続く表現の幅は、この時点で開き始めています。

2017年――「Sweet Memory」は、切なさを歌い切れず録り直した

アルバム『メトロノーム』を作る頃、MACOの視線は自分が歌いたい曲から、聞き手の日々にも寄り添う曲へ広がります。本人は、最初の二枚では自分の望む歌を形にすることが主だったと振り返り、この作品では聞く人の気持ちも考えたと語りました。ただ、その方針を決めれば録音がすぐに完成するわけではありません。

リード曲「Sweet Memory」は、友人への報われない恋を扱います。歌詞は制作の間に大きく書き直され、切なさを表しきれないと感じた歌も、締め切り近くまで何度も録り直したそうです。2015年の「LOVE」で録音を重ねたのは、自分のオリジナルを届けるため。今度は、言葉にした複雑な感情を声でどこまで表せるかが課題になりました。同じ「何度も録る」でも、探していた答えは同じではありません。

ピンク色の背景の前に座るMACO
2017年のMACO 出典:SPICE

翌2018年のベスト盤では、鷲尾伶菜との「Dear My Friend」にも取り組みました。二人は歌うパートをそれぞれ考え、本人によれば、周囲にはほとんど分からないほど細かなテイクやニュアンスにも納得がいくまでこだわったといいます。一人の恋を伝える歌から、相手の声を聞きながら言葉を渡す歌へ。同じ「気持ちを伝える」でも、誰と歌うかで録音時の判断は変わります。

2021年――本人が「My Smile」と「運命」の声の違いを語った

歌声そのものについて、MACOは2021年のRIKUとの対談で、上京後の七年ほどの間に声の変化がたくさんあったと述べました。RIKUが好きだという2014年の「My Smile」と、新曲「運命」では、本人にとって歌声がまったく違うのだといいます。RIKUは初期の声を風のようだと表現しましたが、これは共演者の印象であって音響測定ではありません。

二曲は制作年も曲の内容も異なります。動画を並べただけで、加齢や技術向上が何を変えたかは特定できません。それでも、2014年に自分の声を「細い」と見た人が、2018年にも昔と今の声は違うと述べ、2021年には具体的に二曲を挙げて差を意識している。自身の声を固定した看板としてではなく、歌ごと、時期ごとに変わるものとして受け止めてきたことは伝わります。

2024〜25年――歌の自由を、自分で選び直した

2024年に独立したMACOは、曲のテーマや録音する場所まで自分で考えるようになりました。約二年半ぶりの単独公演を取材した記者は、客席との会話を自ら動かしつつ、「あなたの彼女」では吐息に、「日記」ではせりふのような言葉に感情を置く様子を書いています。スタジオ音源とは条件の違うライブであり、ここから声質の長期変化を証明することはできません。ただ、同じバラード歌手という括りの中でも、曲ごとに語り方を変える姿が報告されています。

独立後の「MY LIFE, MY LOVE」に続く2025年の「だから終われない恋」は、以前から温めていた曲を歌詞と編曲から作り直した作品です。本人は、生の楽器が作る余白を受けて、もっと言葉を入れられると考えました。従来の「サビは分かりやすく」という意識に自分も合わせていたと振り返りながら、今回は曲の始まりをいきなり歌にした。歌詞の変化と声の変化を混同するべきではありません。それでも、言葉を減らして整えるだけが伝え方ではなくなったことは、制作の選択から確認できます。

その選択がさらに明瞭になったのが、同年の「HEARTBREAKER」です。男性の視点を取り入れたこの歌では、2番に言葉が収まらなかったため、語り口調のラップに踏み出しました。MACOは普段聴くヒップホップの影響も認め、感情を込める歌い方と、感情を抑えてただ話すような歌い方を録音で試したと説明しています。2014年には原曲の言葉を日本語バラードに収めていた歌手が、今は自分の言葉の量に合わせて、歌と語りの境目そのものを動かしたのです。

初期の声を本人は細く感じ、後年には別物のように感じた。ただし、声が太くなったとか高音が増えたという一つの成長線では、この歩みを説明できません。歌に合う言葉を探し、伝わるまでテイクを重ね、必要なら歌う形も変える。MACOの変遷は、恋の歌を手放すのではなく、その恋を語る声の選択肢を増やしてきた歴史です。

時代を追うのではなく、一曲の中で言葉と声の距離をどう選ぶかは、MACOの歌い方で整理しています。

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