1976年、マーヴィン・ゲイは、作曲家レオン・ウェアが自分のアルバム用に用意していた曲を聴き、「そのアルバムを丸ごと自分に歌わせてほしい」と申し出ました。
すでに『What’s Going On』で自らの主題を歌っていた人が、今度は他人の曲に強く引き寄せられたのです。
完成した『I Want You』について、ウェアは、曲を持ち込んだのは自分だが、マーヴィンの歌によって音楽はさらに深くなったと振り返っています。
自分で書くことだけが、歌を自分のものにする方法ではなかったのでしょう。
しかし、最初からマーヴィンに、歌う曲や声の出し方を自由に選べたわけではありません。
バラード歌手への憧れ、プロデューサーから求められた高い声、社会へ向ける言葉、そして恋人や別れた相手に向ける言葉。
どの時期に、何を歌で引き受けたのかをたどると、『I Want You』の選択も別の意味を持ち始めます。
1961年――憧れたのは、スタンダードを歌う人
最初のアルバム『The Soulful Moods of Marvin Gaye』で、マーヴィンが目指していたのは、やがて有名になるソウル歌手とは少し違う姿でした。
本人はビリー・ホリデイの『Lady in Satin』に憧れ、あのような作品を作りたかったと話しています。
モータウン創業者ベリー・ゴーディも、マーヴィンはシナトラのようなポップ・バラード歌手になりたがっていたと回想しました。
ゴーディは一方で、レコードを売るにはR&Bの聴き手にも届かなければならないと考えていました。
そこでアルバムにはスタンダード曲だけでなく、「Let Your Conscience Be Your Guide」のような曲も入ります。
「(I’m Afraid) The Masquerade Is Over」は、そのころのマーヴィンが憧れていた歌の姿を知る手がかりです。

この初作は大きなヒットにならず、マーヴィンは「Stubborn Kind of Fellow」などで人気を得ていきました。
それでも、ヒット曲を歌い始めた途端にバラードへの関心を捨てたわけではありません。
ブロードウェーの曲やナット・キング・コールの作品も、その後に録音しています。
売れた歌と、本人がなりたかった歌手の姿は、しばらく並んでいました。
1968年――楽な高さでは歌わせてもらえなかった
「I Heard It Through the Grapevine」は1967年に録音され、1968年にヒットしました。
マーヴィンは後年、プロデューサーのノーマン・ホイットフィールドに、普段よりずっと高いキーで歌わされたと振り返っています。
声を出すために首の血管が浮くほどだったという、本人にとって楽ではない録音でした。
スタンダードを思い描いた青年の、落ち着いた歌とは違います。
恋人の心変わりを噂で知らされる歌で、マーヴィンは高く張った声を求められました。
このヒットを「もともと高音が得意だったから」で片づけると、当人が感じた抵抗と、それを押して歌った事実が見えなくなります。
この録音では、声の行き先を決めたのは主にホイットフィールドでした。
マーヴィンが次に広げたのは、高い声をさらに競う道ではなく、何を歌うか、歌った声をどう作品に残すかという選択でした。
1971年――恋の噂から、身近な人と社会の問いへ
弟フランキーからベトナムでの体験を聞いたことは、マーヴィンが『What’s Going On』へ向かう大きなきっかけでした。
本人は、モータウンのやり方では息苦しく、自分の道を歩き始める力がついてきたと後に語っています。
1971年に発売されたアルバムのタイトル曲では、愛する人への訴えだけでなく、戦争や社会の中で起きていることへの問いを歌にしました。
1968年の「I Heard It Through the Grapevine」で、他者が決めた高いキーに応えた歌手が、今度は自分の関心を作品全体の中心に据えています。
タイトル曲には、別々に歌ったマーヴィンの声がともに残りました。
その重ね方が生まれた録音現場の経緯や、一曲の中で声がどう役割を分けるかは、マーヴィン・ゲイの歌い方で詳しく扱っています。
ここで大きいのは、誰かの求める歌い方へ合わせるだけでなく、言葉の主題と録音の形を自分で選ぶ余地を得たことです。
1973年――社会を語った声が、親密な相手へ向く
『What’s Going On』のあと、1973年の「Let’s Get It On」では、歌の相手が大きく変わります。
社会へ問いかける歌から、目の前の相手へ親密に呼びかける歌へ。
マーヴィンはアルバムの文章で、互いに同意した人同士の性について肯定的に書いていました。
共作者のエド・タウンゼントは、マーヴィンが歌の意味を理解して表現する力に圧倒されたと回想しています。
変遷として見ると、マーヴィンが自分で語るようになった対象は、世の中だけでなく恋愛と身体にも広がりました。

1976年――他人の曲を歌っても、自分の歌になる
ここで冒頭の『I Want You』に戻ります。
ウェアが作った「I Want You」をゴーディから紹介されたマーヴィンは、さらにウェアの別の曲も聴き、アルバム全体を歌いたいと申し出ました。
すでに自分で主題を選べるようになった歌手が、他人の書いた作品を積極的に選び取ったのです。
ウェアは、持ち込んだ音楽にマーヴィンの声が加わったとき、作品が一段深くなったと話しています。
曲を渡して終わりではなく、二人は作りながら歌の方向を見つけていきました。
ウェアによれば、タイトル曲の主役の歌、背景の歌、即興の部分を、マーヴィンは一晩で録りました。
当時のパートナーだったジャニス・ゲイは、マーヴィンが歌詞の一部を自分に向けて歌い、居合わせた自分が恥ずかしくなったと振り返っています。
『Let’s Get It On』にも親密な歌はありました。
けれどジャニスにとって『I Want You』は、一曲ごとの気持ちがつながる、より官能的な組曲でした。
相手の書いた旋律を、自分たちの関係が伝わる歌へ変える。そこに、この時期のマーヴィンの力が表れています。
1978年――愛を求める言葉が、別れを問い直す言葉になる
『I Want You』で恋人への思いを歌ったあと、マーヴィンは別れた妻アンナとの関係を『Here, My Dear』の中心に置きました。
1977年に録音し、1978年末に発表したアルバムです。
新しい恋を歌った1976年の作品とは、同じ私生活の歌でも向いている時間が違います。
「When Did You Stop Loving Me, When Did I Stop Loving You」という曲名は、愛がいつ終わったのかを双方に問いかけます。
アルバムは、出会いから関係が壊れるまでをたどる構成でした。
前作で「あなたが欲しい」と告げた声が、今度は失われた関係を振り返る言葉を引き受ける。
甘い歌と別れの歌を別々の役柄に任せず、どちらも自分の経験と結びつけて歌ったのです。
1982年――伴奏の意味を、最後に入れた歌が決める
1982年の「Sexual Healing」を作るとき、マーヴィンが歌う土台はドラムマシンとシンセサイザーでした。
1960年代のモータウンのスタジオで歌っていた頃とは、曲の作り始め方から違います。
録音を担当したマイク・ブッチャーによれば、マーヴィンは仮歌を入れずに伴奏を先に作りました。
ブッチャーは、終盤に歌が録音されて初めて、それまで作っていた音の全体像が腑に落ちたといいます。
電子的なリズムがあるだけでは完成しない曲を、言葉と歌が結び直しました。
ウェアの曲を丸ごと歌いたいと申し出た1976年、マーヴィンは他人が用意した音楽を、自分の声で歌い直す道を選びました。
「Grapevine」で求められた高い声も、『What’s Going On』で選んだ問いも、『Here, My Dear』の別れも、同じ人の歌です。
一つの理想の声に落ち着く代わりに、誰の言葉を誰へ届けるかを選ぶことで、歌える物語を増やしていきました。

こちらの記事もおすすめ






コメント