マーヴィン・ゲイが若い頃に思い描いていたのは、フランク・シナトラやナット・キング・コールのような歌手でした。
「What’s Going On」や「Sexual Healing」の印象から振り返ると、少し意外かもしれません。しかし、1961年の最初のアルバムには、昔から歌い継がれてきたスタンダード曲が数多く入っています。
その後、彼はヒット曲で高く張った声を求められ、自分で制作を進めるようになると、異なる声を幾重にも重ねる歌へ向かいました。
マーヴィンの変化は、年齢とともに声が低くなった、というだけの話ではありません。どんな歌手でいたいのか、どんな声でその曲を歌うのか。その選択が、録音に表れています。
1961年の「(I’m Afraid) The Masquerade Is Over」は、最初に目指していたバラード歌手としてのマーヴィンを知る一曲です。
1961年――ソウルの大スターになる前の夢
最初のアルバム『The Soulful Moods of Marvin Gaye』を作る頃、マーヴィンはビリー・ホリデイの『Lady in Satin』に憧れていました。自分もあのような作品を作りたい、と考えていたのです。
モータウン創業者のベリー・ゴーディも、若いマーヴィンがポップ・バラードを歌う歌手になりたがっていたと振り返っています。
一方、ゴーディは、レコードを売るにはリズム&ブルースの聴き手へ届く曲が必要だと考えていました。
そこで最初のアルバムには、スタンダード曲とともに、R&B色のある「Let Your Conscience Be Your Guide」も収められます。本人の夢と、レコード会社の考える売り出し方は、初めから完全に一致していたわけではありません。

初期のアルバムは大きなヒットにならず、マーヴィンはやがて「Stubborn Kind of Fellow」などで人気を得ていきます。
ただし、ヒットした途端にバラードへの愛着を捨てたのではありません。その後もブロードウェーの曲やナット・キング・コールの歌を取り上げました。
後のソウル・シンガーの姿とは別に、旋律を丁寧に歌うバラード歌手でありたいという願いが、活動の中に残っていたのです。
1968年――歌いやすさよりも、高い声を求められた
「I Heard It Through the Grapevine」は、1967年に録音され、1968年に大ヒットしました。
この曲で制作を指揮したノーマン・ホイットフィールドは、マーヴィンを本人が好む楽な歌い方に任せておいたわけではありません。
マーヴィンは後に、ノーマンが高いキーで歌わせたため、音を出すのに苦闘するような感覚があったと話しています。
余裕のあるバラードを目指していた歌手が、追い詰められるような高い声を求められる。ここには、1961年の夢とのはっきりした違いがあります。
曲の主人公もまた、恋人の心変わりを噂で知らされ、落ち着いてはいられません。
本人には歌いやすくない高さが、この人物の動揺を伝える表現になる。マーヴィンの歌声の歴史には、本人が望んだ声だけでなく、制作相手に引き出された声もあるのです。
この成功だけを見れば、高く張った歌い方が彼の正解だったようにも思えます。
しかし、続く1970年代のマーヴィンは、その一つの歌い方を磨き続けるだけでは終わりませんでした。
1971年――高い声で押す代わりに、声を重ねて問いかける
『What’s Going On』では、マーヴィンは制作の中心に立ち、戦争や貧困、身近な人々の苦しみを歌いました。
主題が恋愛から社会へ広がったことと同時に注目したいのが、声の配置です。
タイトル曲では、異なるテイクのマーヴィンが重なっています。主役が一人で最後まで訴えるのではなく、別の歌声がその周りに加わる。歌の中に、複数の人が言葉を交わすような広がりができました。
1968年の「I Heard It Through the Grapevine」では、プロデューサーが求める高いキーに応えていました。1971年には、二通りに歌った声を両方生かし、どのように組み合わせるかも表現の一部にしている。
単に声が穏やかになったというより、声で曲を作る方法そのものが増えたと考えると、二曲の違いが分かりやすくなります。
二つのテイクを重ねることになった経緯や、「Let’s Get It On」で主役の歌と背景の歌を別々に仕上げた話は、マーヴィン・ゲイの歌い方で詳しく扱っています。

1973年の「Let’s Get It On」では、恋愛を歌う声にも、この多重録音の手法が生きています。
社会を歌うときだけの特別な仕掛けだったわけではありません。主役の歌の周りに別の歌を加える方法は、その後のマーヴィンを形作る大切な表現になりました。
1982年――機械のリズムを、歌が一曲にした
1982年の『Midnight Love』は、ベルギーで制作されました。
「Sexual Healing」の土台になったのは、ドラムマシンのリズムとシンセサイザーです。モータウン時代の演奏家たちによる録音とは、作り始める段階の音の組み合わせが違っていました。
録音エンジニアのマイク・ブッチャーが振り返った話には、この曲の面白さがよく表れています。
制作中、マーヴィンは完成形を示すための仮の歌をほとんど入れず、先に伴奏を作っていました。ブッチャーは、歌が録音されて初めて、作ってきた音楽の全体像が分かったといいます。
伴奏だけでは見えなかった曲の姿を、歌がはっきりさせる。
ブッチャーは、伴奏を録音している段階では、その上でマーヴィンが何を歌うのかを十分に知らなかったのです。歌のない状態で聴いていた音が、言葉と旋律を伴った一曲になったとき、制作の狙いが分かったのでした。
ギタリストのゴードン・バンクスも、マーヴィンの歌や言葉に刺激されて、ギターの部分を作り直したと振り返っています。
伴奏を完成させて歌を載せたら終わり、という一方通行の制作ではありません。歌が入ることで、周りの演奏にも新しい考えが生まれていました。
最後まで、自分の声の届け方を調整していた
『Midnight Love』を発表した後の1983年、マーヴィンはヨーロッパ滞在中にマイクの使い方を研究したと話しています。
荒い声、裏声、滑らかな中音域。それぞれをうまく録音するために、長いキャリアの後でも工夫を続けていました。
若い頃の憧れを、そのまま実現して終わった歌手ではありません。
バラードを歌いたかった青年が、制作相手に高い声を引き出され、自分の制作では複数の声を重ね、さらに電子楽器を使った曲の歌い方を探していく。録音の環境が変わるたびに、彼は自分の声の使い方を増やしていきました。
1961年のスタンダードと、1982年の「Sexual Healing」は、伴奏も録音の作り方も大きく違います。
その間に起きたのは、若い声が年を取ったことだけではありません。最初は憧れの歌手像へ向かっていたマーヴィンが、自分の声をどう配置すれば自分の音楽になるのかを、選べるようになった。その変化こそ、彼の歌声を年代順にたどる面白さです。
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