桜井賢は、もともとアート・ガーファンクルを目指していたと話しています。
その歌い手が、THE ALFEEでハードロックを歌い、長いライブの中で力強いリードとハーモニーを担うようになりました。
しかも本人は、昔と同じように歌を届けるために、変えなくてはいけないところがあるとも説明しています。
桜井の歌声の歩みは、憧れた声から離れて自分の声を育て、その声を使い続けるための方法を選んできた歴史でもあります。
「星空のディスタンス」公式配信音源(『THE ALFEE SINGLE HISTORY Vol.Ⅱ』収録)。
ハーモニーが増えることが、まず楽しかった
桜井の出発点には、サイモン&ガーファンクルへの憧れがありました。
後年の座談会では、2声でコピーしていた歌に仲間が加わり、3声になることが楽しかったと振り返っています。
声が重なることで、できる音楽が広がっていく。
その面白さが、バンドの初期からありました。
最初から一つの音楽性を決めて、その形に合う人を集めたバンドでもありません。
桜井、坂崎幸之助、高見沢俊彦は、それぞれが好きな音楽から影響を与え合っていました。
桜井の歌も、一人で憧れの声へ近づこうとするところから、仲間の声や曲と関わる中で変わっていきます。
ただし、デビューのときから、桜井の声がシングルの表に置かれていたわけではありません。
2025年の『しゃべくり007』で本人が振り返ったところでは、当初A面になるはずだったのは、桜井が歌う「危険なリンゴ」でした。
ところが、レコード会社側が高見沢のルックスを評価したことをきっかけに別の曲が作られ、1974年のデビュー盤は、高見沢が歌う「夏しぐれ」をA面として発売されます。
歌声を生かすことと、レコードの顔になることが、すぐには結びつかなかった時期です。
後に「メリーアン」や「星空のディスタンス」を歌う桜井の姿を知っていると、この出発点は少し意外に映ります。
グループの中にある声の魅力を、どの曲で世の中へ届けるか。
その選び方も、歩みの途中で変わっていきました。
ハードロックを歌うことで、声の行き先が広がった
高見沢は、桜井に自分の作った激しい曲を歌ってもらった経緯を、2024年の取材で語っています。
サイモン&ガーファンクルを目指していた桜井に対し、ハードロックの曲でも、その声を生かしたかったのです。
桜井からは自分で歌えばよいと言われながらも、声の良さを伝えて説得したそうです。
自分の憧れと、作り手が声の中に見つける魅力は、必ずしも同じではありません。
桜井には思い描いていた歌があり、高見沢にはその声で届けたい曲があった。
二つが出会うことで、歌うものの幅が広がっていきました。
バンドがハードな音へ進んだ背景には、ステージでの出来事もありました。
2026年の座談会で高見沢は、まだアコースティックな編成だったころ、観客が総立ちになり、アンコールでは前へ押し寄せるようになったと振り返っています。
その熱気に応える曲を作ろうと、ドラムとキーボードを加え、より激しいサウンドへ向かいました。
坂崎によると、この編成の変化が進んだのは1982年です。
歌う声に新しい役割が求められたのは、高見沢の好みだけによるものでもなかったのです。
ステージに集まる人たちの反応に応えようと、バンド全体が動いていました。
桜井が引き受けるロックの歌も、その流れの中に位置づけられます。
1983年6月に発表された「メリーアン」は、バンドを広く知らせる曲になります。
もとはアルバム用で、間奏も長く、高見沢が自分のやりたいように作った曲だったそうです。
周囲の注文に合わせていたころを経て、自分の望む曲がヒットしたことは、作り手にも発見でした。
それまで混在していた音楽性が、ヒットによってバンドの幅として受け取られるようになったとも話していました。
「メリーアン」公式配信音源(アルバム『ALFEE’S LAW』収録)。
1984年の「星空のディスタンス」も、桜井が長く歌い続ける代表曲になりました。
2025年の取材では、本人が40年以上歌っている曲だと話しています。
テレビで初めて彼らを知った人が、ベースを持つ桜井が歌い出すことに驚くほど、今も新しい聴き手との出会いがある歌です。

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声は変わっても、3人の中で担う役割は続く
2025年の取材で桜井は、昔は3人の声がもっと似ていたが、さまざまな歌を歌わされることで変わり、鍛えられたと振り返っています。
高見沢が語っていたハードロックへの広がりを、歌う本人も、自分の声が変わる経験として受け取っていました。
一方、3声の基本的な並びは、上が高見沢、真ん中が桜井、下が坂崎です。
高見沢によると、この関係は変わっていません。
声の個性が育っていくことと、3人で作る響きの土台が続くことは、同時に起きていました。
ただ、同じ3声を作る手順まで、昔のままではありません。
桜井によると、とくにコロナ禍以降はコーラスも一人ずつ録ることが増え、全員で長くスタジオにいる形から、必要なときに作業する形へ変わりました。
2026年の取材で坂崎は、以前は3人が一緒に歌い、小さな音程や長さのずれを許容することもあったが、個別に録る現在は、より細かくそろえる必要があると説明しています。
3人が同時に声を重ねる録音から、それぞれの歌を合わせ、完成度を詰める録音へ。
桜井が真ん中を担う関係は続きながら、そこへ声を収める仕事は以前より厳密になっていました。
変わったのは声の個性だけでなく、仲間と一つの歌を仕上げる方法でもあります。
変えないために、声の張り方と配分を変える
2025年の「HEART OF RAINBOW」についての取材では、桜井は歌う技術の変化にも触れています。
気持ちは変わらなくても、以前と同じようにするために、方法を変える必要が出てくるというのです。
昔のライブ映像を見て、そこで声を張りすぎると最後まで持たないと思うこともあるそうです。
いまは、ライブを通して歌うための配分を考えています。
しかも一つの方法が、どの曲にも使えるわけではありません。
曲ごとに探りながら、以前から届けてきた歌を、今の自分で成立させようとしていました。
「HEART OF RAINBOW」公式配信音源(2025年のシングル版)。
若いころとまったく同じ力の使い方を続けることが、同じ歌を届ける方法とは限らない。
録音では直せるところも、ライブではその場で歌い切る必要があります。
桜井の説明にあるのは、目の前のフレーズの強さと、最後まで続けられる歌との釣り合いを取り直す作業です。
長く歌ってきた曲でも、昔の力の使い方をそのまま再現することが目標ではなくなっていました。

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新しい難曲を、ライブで歌う自分へつなぐ
アルバム『君が生きる意味』の「孤独の太陽」も、桜井に新しい課題を与えた曲です。
2026年1月の取材では、ベース録りだけで一日がかかり、歌も難しかったと話していました。
録音では別々に取り組んだ二つを、ライブでは一人で担うことになります。
アルバムを聴き返せるようになった一方で、当時は4月からのツアーに向け、この曲をどう演奏できるようにするかが課題だったのです。
録音では部分ごとに歌うことができても、ライブでは通して歌わなくてはいけません。
桜井は、曲を何度も聴いて体へ入れる必要と、全体を歌い切るスタミナへの課題を挙げています。
長く続けてきたバンドでも、新しい曲を録れば、次にはそれをステージへ持っていく仕事が待っていました。
「孤独の太陽」公式配信音源(2025年のアルバム『君が生きる意味』収録)。
坂崎は同じ取材で、以前にもライブでは無理だと思った曲を、最後には演奏できるようにしてきたと話しています。
桜井の声を鍛えたという難しい曲への取り組みは、過去の成功談で終わっていません。
力の配分を考えるようになった現在も、まだ慣れていない曲を自分の歌にしていく過程が続いています。
憧れの声から始まり、仲間に求められた歌を歌い、自分の声の幅を広げてきた桜井。
近年の話をたどると、その歩みは、変わらず歌っているように見えるための工夫へも続いています。
歌い方を変えることは、これまでの声を手放すことだけではありません。
届けたい歌を、これからも自分の声で歌うための選択でもあるのです。
艶のあるリードと、3声の真ん中を担う声をどう生かしているのかは、桜井賢の歌い方で詳しく取り上げています。

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