山崎まさよしの歌声の変遷|「またこの曲か」から、千人と歌う代表曲へ

山崎まさよし、オフィスオーガスタ公式サイトのアーティスト写真 シンガー
山崎まさよし。写真出典:オフィスオーガスタ

「One more time, One more chance」をテレビで歌ってほしいと言われたとき、山崎まさよしは以前、「またそれかい」と思ったことがあると打ち明けています。
ところが2013年には、この先あと何回この曲を歌えるだろう、と考えるようになったとも話しました。
同じ歌を繰り返すことへの気持ちが、なぜそこまで変わったのでしょうか。

1997年のシングル、震災後のライブ、30周年を迎えた頃の共演をたどると、歌い手が曲を完成させて終わりではないことが見えてきます。
焦点になるのは、一人で作った曲を、別の場所、別の人たちの前で歌うとき、山崎が歌に与える役割がどう変わったかです。

1997年|一人で作った歌が、映画から外へ出ていく

「One more time, One more chance」は、山崎がデビューする前、横浜の桜木町に住んでいた頃に書いた曲です。
最初から映画のために作った歌ではありません。
主演することになった映画『月とキャベツ』で、当時のマネージャーがこの曲の使用を提案し、山崎は監督とプロデューサーの前でギターを弾いて歌いました。
映画の主題歌となり、1997年1月にシングルとして発売されます。

曲の生まれ方を知ると、長年「映画の主題歌」として親しまれた曲にも、もう一つの出発点があると分かります。
先に山崎自身の歌があり、その歌を映画の作り手が受け取ったのです。

2007年にはアニメーション映画『秒速5センチメートル』にも使われました。
山崎は後年、台詞のない場面で映像と歌が対等に並んでいたことを、新鮮だったと振り返っています。
デビュー前に書いた歌が、1997年のヒットからさらに十年後の映画でも役割を得ました。
新しい物語を通じて、聴き手の記憶も重なっていきました。

2006年『ADDRESS』、一人の作業と誰かとの演奏を選び直す

一方、山崎がその後の作品まで同じ情景を歌い続けていたわけではありません。
2006年のアルバム『ADDRESS』を作っていた頃、本人はそれまでの一人での制作とバンドでの制作を、もっと自由に行き来したいと語りました。
アルバム冒頭の「NAVEL」について当時の取材では、以前の孤独や切なさを中心にした曲とは違う、前を向く言葉と弾む曲調が指摘されています。
代表曲が広まる一方で、本人の作る歌は一曲の印象に収まらない方向へ進んでいました。

その自由さを支えたのが、自宅で基礎となる音を作る環境でした。
できる演奏はまず自分で試し、必要ならベースの中村キタローを呼ぶ。
以前のように「一人の作品」と「バンドの作品」を交互に作る区切りをゆるめ、曲に応じて相手と作り方を選べるようにしたのです。

歌録りなどは別でしたが、本人は、生活の中で気負わず作れる環境を楽しんでいたと話しています。
一人で作業する時間が多いからといって、歌も閉じた気持ちを描くとは限らない。
「NAVEL」は、その時期の前向きな歌の一例でした。

2011~13年|新曲が書けない時期に、歌うことを先に選ぶ

東日本大震災の後、山崎は曲や歌詞を作ることが難しくなったと話しています。
2011年4月のサントリーホール公演も、開催してよいのか迷いがありました。
それでも舞台に立ち、求めてくれる人がいることを知った。
本人は、観客の顔を見て歌えたことが、次へ進むうえで大きかったと振り返ります。

4月5日と6日に行われたこの公演では、服部隆之率いる弦の演奏と共に「I’m sorry」などを歌いました。
曲を作ることに迷いがあっても、既にある歌を人と演奏し、客席へ届ける仕事は残っていました。

そこから続く『SEED FOLKS』は、新しいアルバムを持って回る通常のツアーとは順序が逆でした。
まず各地で歌い、新しい曲も人前で試し、その感触を次のアルバム『FLOWERS』へ持ち帰ったのです。
山崎は、スタジオのリズム録りもライブと同じ三人で行ったため、その経験が音源に反映されたと説明しています。
ライブで出来上がった曲を再現するだけでなく、歌う場そのものを次の作品作りに使った時期でした。

2013年の「アルタイルの涙」は、この頃の新しい歌の一例です。
一方、初期の「One more time, One more chance」をライブで歌い続ける意味も、このツアーを経て変わりました。
以前は同じ曲を頼まれることに引っかかっていた山崎が、今後その曲を歌える回数には限りがある、と考え始めたのです。

彼はさらに、曲は歌い続ける中で作った当時とは違う気持ちや背景を持ち、ライブで形を変えると語っています。
同じ曲でも、その日その場所で歌う人と聴く人は1997年とは違う。
自分が作った一曲を、いま目の前にいる人へ渡すことが、歌う理由の一つになりました。

2015~20年|同じ曲を、異なる編成で歌い続ける

「歌がライブで形を変える」という本人の言葉には、具体的な公演の裏付けがあります。
2015年には20周年の『Augusta Camp』で「One more time, One more chance」を演奏し、同じ年の『String Quartet “HARVEST”』では弦楽四重奏を加えた編成でも歌いました。
レコード会社は当時、この二つを異なるテイストの演奏として紹介しています。
後者は1997年のシングルに弦を後から重ねた音源ではなく、別の公演の演奏です。

弦楽四重奏との共演は、前年のツアーで一部の公演に取り入れた試みを広げたものでした。
山崎自身が、この編成とアレンジでもっと演奏してみたいと考え、2015年には全会場で行う形になったのです。
周年を飾るためだけに楽器を増やしたのではなく、既に経験した演奏をさらに試す機会でした。

東京文化会館での本人の説明は、そこで歌う楽しさを具体的に伝えています。
会場から返ってくる響きが心地よく、服部隆之の弦のアレンジに乗ると、歌と言葉を聴かせることに集中できたそうです。
その編曲を、山崎はリズミカルで積極的なものと評しています。
弦を加えて穏やかに飾るだけではなく、その動きに歌を預ける面白さもあったのです。

同じ2015年の取材では、オリジナル曲でもスタッフへ、どんな歌を歌ってほしいか尋ねると話しています。
歌詞に分かりにくいところがあると言われれば書き直し、他の人の意見も作品へ生かす。
求められる歌にどう応えるかという意識は、代表曲の選曲だけでなく、新しい歌を作る過程にもありました。
自分の力だけで完結させず、曲が長く生きる形を一緒に探していたのです。

2020年の『Augusta Camp』でも、「One more time, One more chance」を歌いました。
1997年のスタジオ録音とも、2015年の弦楽四重奏を伴う舞台とも、編成と場が異なります。

1997年のシングルで親しまれた一曲が、弦楽四重奏を伴う舞台でも、2020年のイベントでも歌われています。
そのたびに共に鳴る音と、歌を受け取る人が変わる。
歌とギターが共演者とその場でどう応じ合うかは、山崎まさよしの歌い方で掘り下げています。

2025年|曲が本人の手を離れても、本人は歌い続ける

30周年の2025年、「One more time, One more chance」は実写映画『秒速5センチメートル』でも使われました。
30周年ベストに入った映画用リマスターは、1997年の曲を新しい映画に合わせて届ける版です。
リマスターによる音の調整と、新しい公演で歌い直すことは、曲を届ける別々の方法です。
山崎自身はこの年の取材で、曲が自分の手を離れ、さまざまな人の思いを乗せて生きているように感じる、と話しています。

同じ年には、現役高校生1000人と「あの日の放課後」とのコラボレーション企画も発表されました。
かつて一人で生み出した歌に、今度は次の世代が参加しています。
1997年の録音を新しい映画へ届けることと、人と一緒に歌うこと。
同じ代表曲から、異なる関係が生まれました。

「またこの曲か」と思った時期があったからこそ、今の言葉は軽くありません。
震災後に人の前で歌い、初期の曲を別の編成へ渡し、30年後には新しい世代と同じ歌を分かち合う。
山崎まさよしの変遷は、声の高さの年表ではなく、同じ曲を誰と、どの場面で歌うかを変え続けた歩みとして読めます。
曲が自分の手を離れても、その場で歌う仕事までなくなったわけではないのです。

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