神野美伽は、ジャズクラブやロックフェスにも、演歌を持って行きました。
日本語が分からない客に届けるため、長く歌ってきた曲を調べ直し、異なる音楽の歌手と声を重ねるようになります。
ところが2020年、自宅で歌った「オー・シャンゼリゼ」では、それまでとは違う発見がありました。
自分の歌に、自分自身が励まされたのです。
歌を届ける相手が広がる一方で、歌う本人にとっての意味も変わっていく。
海外での挑戦、歌う場所を失った時期、笠置シヅ子の曲への取り組みから、神野の表現の歩みをたどります。
「オールマン・リバップ」―『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』(2024年発売)収録音源
2014年、演歌を持ってニューヨークへ
神野が危機感を抱いたのは、自分の客席に同世代の人が少ないことでした。
デビューから長く応援してくれたファンと一緒に年齢を重ねる中で、演歌の魅力が届く先を広げたいと考えます。
いろいろな背景を持つ人が集まるニューヨークで歌えば、自分の好きな演歌に、違う評価が返ってくるかもしれない。
その反応を日本にも伝えたいと思ったのです。
2014年に渡米しても、すぐに歌う場所が見つかったわけではありません。
約二十の店でオーディションを受け、地下鉄の駅で歌ったこともありました。
ようやくジャズクラブのSmallsで、十五分の時間を得ます。
店主が歌わせてくれた理由は、神野の歌を生で聴きたいと思ったからでした。
自分の歌そのものに関心を持つ人に出会えたことを、神野は喜んでいます。
現地で自分の強みを考えたとき、答えは、演歌を歌えることでした。
知らない場所へ踏み出したことで、長年歌って身につけたものが、他の歌手にはない個性として見えてきたのです。
「無法松の一生」を、もう一度理解し直す
ただし、日本語の分からない客に、日本と同じ前提で歌うことはできません。
2019年に神野が振り返ったのは、「無法松の一生」をどう紹介するかという工夫でした。
日本ではイントロを聴けば、曲の世界へ入っていける人がいる。
海外では、その背景から伝える必要がありました。
神野は小説を読み、映画を見て、この歌が何を歌っているのかを考え続けます。
身分の違う女性を思いながら、その愛を口にせずに生きる男の物語として捉え、客には恋と忠義の話だと説明しました。
歌う前に人物の思いを伝えることで、ジャズを聴きに来た人にも反応が生まれたといいます。
曲名を英語で紹介するだけでは、そこまで届きません。
なぜその人物が思いを言わずにいるのかを、歌う自分が理解し直す必要があったのです。
神野は海外で歌うようになってから、曲を深く理解しなければ伝えられないと考えるようになった、と話しています。
歌謡浪曲「無法松の一生~度胸千両入り~」―『そして・・・私』(2008年発売)収録音源
「リンゴ追分」に、ジャズ歌手の声が重なる
ニューヨークでの出会いは、演歌を一緒に歌う相手も変えました。
大江千里との交流を経て知り合ったのが、マンハッタン・トランスファーのジャニス・シーゲルです。
ジャニスの自宅に招かれた神野は、歌ってほしいと頼まれ、「リンゴ追分」を歌いました。
二、三回歌ううちに、ジャニスが独自の和音の進行でハーモニーをつけ始めたそうです。
自分が歌う演歌に、もう一人の声が重なっていく。
神野は、その体験に胸を打たれました。
2018年のアルバム『夢のカタチ』では、二人の「リンゴ追分」が作品になっています。
海外で歌うという挑戦は、自分を紹介する機会だけでなく、別の音楽を知る歌手と、新しい歌の形を作る機会にもなりました。
2020年、自分の歌に自分が励まされた
海外での公演も続けていた神野にとって、2020年は歌う場所を失う年になりました。
コロナ禍で公演や収録が止まり、手術後の療養も重なります。
中止の知らせが続き、予定表を見ると愕然とした、と当時を振り返っています。
その春、桑山哲也のアコーディオンに合わせ、「オー・シャンゼリゼ」を歌って配信しました。
使ったのは、以前のコンサートのために自分で作った日本語の詞です。
元気な自分が、緑の多い春の街を歩くような気分で書いた歌でした。
ところが、歌っている当時の自分は沈んでいて、声も最良ではないと感じていました。
「オー・シャンゼリゼ」―2020年4月の本人公開映像
それでも歌うと、自分の歌に慰められ、励まされたそうです。
歌は一番好きなことでありながら、厳しい仕事でもあった神野にとって、初めての経験でした。
歌と自分の心がつながったように感じたといいます。

画像出典:写真掲載元
2025年の対談では、この経験をもう一段深く振り返っています。
それまでは、聴き手から届く励ましの言葉や拍手に支えられて歌ってきた。
「オー・シャンゼリゼ」を歌ったときには、その人たちが教えてくれていた歌の力を、自分も受け取ったのです。
責任を果たすために歌う年月を経て、今は自分の歌にも救われていると話しています。
配信には、聴き手との距離を縮める可能性もありました。
神野は2020年、演歌の動画に英語や中国語、韓国語のコメントが届いていたことを明かしています。
現地へ行かなくても、自分の言葉で近づけるのではないか。
歌う場所が限られる中でも、発信の先には海外の聴き手がいました。
同じ年には、ジャニスたちが企画した配信「Vocal Gumbo」で、「リンゴ追分」を再び共演しています。
日本の歌をやりたいという共演者たちの希望で実現し、北村嘉一郎のボイスパーカッションなども加わりました。
神野は、短期間で日本語を覚えて歌う仲間の姿にも刺激を受けています。
離れた場所にいても、かつての出会いから、新しい演奏を作れたのです。
「リンゴ追分」―Vocal Gumboでのリモート共演(2020年公開)
笠置シヅ子に近づく歌から、自分の中にある歌へ
もう一つ、歌い込む時間が変化をもたらしたのが、笠置シヅ子の曲でした。
2019年、神野は音楽劇『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE~ハイヒールとつけまつげ~』で笠置を演じています。
当初知っていたのは有名な数曲で、どう歌い、どう踊ればよいかを探すところからの出発でした。
2025年の取材によれば、初演では笠置本人に近づこうと必死だったそうです。
ところが、歌い続けるうちに、曲が自分の中へすっと入ってきて、自分の歌のように感じられるようになりました。
再演を前に楽しみにしていたのは、その間に歌が変化し、笠置という人物も自分の内側で深まっていたことでした。
同じ役にも、初演のときとは違う感覚で向き合おうとしていたのです。
その間の2024年には、カバーアルバム『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』を発表しています。
発売に伴うコットンクラブの公演では、「オールマン・リバップ」「ラッパと娘」で管楽器の奏者たちと掛け合いました。
笠置を演じる舞台で出会った曲は、ジャズの演奏家と歌うライブへも広がっていたのです。

撮影:KUMIKO YAMADA/画像出典:KING RECORDS TODAY
2026年には、笠置の曲の一つである「オールマン・リバップ」について、歌う自分が解き放たれるように感じると語っています。
親しみのある数曲から入り、役を演じ、歌う曲を増やす中で、自由を感じられる音楽に出会っていたのです。
広がっても、残しておきたい演歌の味
これほど歌う曲が広がっても、神野は演歌とジャズで歌い方を切り替えているとは考えていません。
2025年にそう尋ねられると、違わないと答えています。
音楽から感じたものを自分の歌で表現すれば、長く歌ってきた演歌の味も入る。
それこそが自分の個性で、なくしてはいけないものだと捉えているのです。
「無法松の一生」では、聴き手に伝えるために歌の背景を学び直しました。
「リンゴ追分」では異なる歌手の声と重なり、笠置の曲は歌い込むことで自分の内側へ入ってきました。
そして「オー・シャンゼリゼ」では、歌う自分も歌に支えられました。
神野の歩みには、演歌を歌ってきた自分を土台にしながら、曲との関係を何度も新しくする過程があります。
一曲の中で音をどうつなぎ、どの程度まで感情を込めるか。
「浪花恋おんな」や「泣き上手」での具体的な選択は、神野美伽の歌い方で掘り下げています。







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