歌が安定していけば、最初の歌い方を卒業するものなのでしょうか。
≠MEの冨田菜々風が大切にしてきた「空白の花」は、そう簡単には割り切れない曲です。
本人は後年も、その時の自分に合う歌を探していました。
初期の不安、曲の幅が広がった時期、細かなニュアンスを相談するようになった録音をたどると、彼女が歌で引き受けるものの変化が見えてきます。
歌声で選ばれたセンターと、まだ不安だった本人
2019年に結成された≠MEで、冨田は最初のオリジナル曲「≠ME」のセンターを任されました。
指原莉乃が決め手として伝えたのは、彼女の歌声だったといいます。
冨田は当時、自分のソロ部分を指原が気に入ってくれたことや、初パフォーマンスの場となったTOKYO IDOL FESTIVALで、歌いながら思いが込み上げたことを話していました。
歌でグループを引っ張る役割は、この頃から彼女の前に置かれていたのです。
ただ、本人の自信が最初から役割に追いついていたわけではありません。
2021年に初期を振り返った際には、練習しても本番で歌をコントロールできず、何曲も歌うと声が荒れ、公演の終わりには体力も足りなくなったと説明しています。
メンバー全員で体幹のトレーニングにも取り組んでいました。
声を評価されることと、ライブの中で繰り返しその声を届けることには、別の難しさがあったのでしょう。

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2020年、「今の声」を残すための「空白の花」
そんな活動初期に生まれたのが、2020年5月にMVが公開されたソロ曲「空白の花」です。
指原は制作理由について、十分に場数や訓練を重ねた先の声を待つのではなく、当時の冨田の声と、自分が書きたい内容が合っていたと説明しました。
ピアノとストリングスを中心にしたバラードで、一人の歌が物語を担います。
MVは同年1月の撮影であり、公開の時期とは分けて受け止めたい作品です。
この曲の出発点には、経験が増えることだけでは説明できない声の価値があります。
まだ歌い慣れていない時期だからこそ、残しておきたい表情があった。
指原の言葉を踏まえると、ここで求められたのは、完成した技巧を先に見せることよりも、その時の彼女だから伝えられる気持ちだったと考えられます。
安定を求めながら、かわいさ以外の表現も広げた
2022年春、冨田は以前より歌が少しずつ安定してきたと話しています。
そのうえで目指していたのは、元気でかわいい曲と、別の種類の曲の両方を表現できることでした。
センターとして目立つだけでなく、細かな見せ方を普段から考え、歌でも認められたいという思いを言葉にしています。
初期にあった本番への不安から、どんな作品を担える歌手になるかへ、課題の置き方が広がった時期です。
同年2月の「チョコレートメランコリー」は、その広がりを作品として捉えやすい一曲でしょう。
冨田は、従来の≠MEとは違う危うい雰囲気に驚きながらも、こうした暗い色の曲が好きで、取り組むことを楽しみにしていたと話しました。
爽やかな青春を歌うグループの中で、重い感情を表現する役割も引き受ける。
かわいらしさを一つの完成形として守るだけでは、届かない曲が加わっていったのです。
この年の終わりには、自分の変化を表す言葉として「芯」も挙げていました。
以前なら不安で折れかけた場面でも、気持ちを立て直せるようになったという説明です。
緊張そのものが消えたわけではなく、本番前には舞台袖で体を動かし、先生に話して安心を得ることもありました。
堂々とした姿の裏側に、落ち着きを取り戻すための具体的な行動があることも、初期からの歩みを理解する手掛かりになります。
2023年、盛り上がり方が違う曲に向き合う
2023年、冨田が初めての大きな挑戦として振り返ったのは、蟹沢萌子とダブルセンターを務めた「P.I.C.」でした。
グループにとって初のダンス曲で、イメージの変化を感じたといいます。
そして「天使は何処へ」では、加入当初なら理解できなかったと思う内容を、経験を重ねた自分として受け止めていました。
新しい曲を増やすことが、歌う言葉への理解を更新する機会にもなっていたのです。
同年12月の「アンチコンフィチュール」では、サビ前の静けさからシャウトへ入る感覚が、新しい課題になりました。
本人にとって初めての感覚で、緊張もあったといいます。
格好よい曲の経験を重ねても、次の曲では声を生かす場面がまた変わる。
ここにも、曲ごとに表現を探り続ける姿が表れています。
2025年、歌い出しから最後のソロまでをつなぐ
2024年の「夏が来たから」では、振付を担当したCRE8BOYによる演技の練習もありました。
相手へ思いを伝える人、反対の言葉を返す人、そのやり取りを見る人に分かれ、感情の動きを確かめるものです。
冨田は、その後に踊った際、振付師から好評だったと話しています。
ここで確認できるのは身体での表現に関する経験ですが、作品の人物の気持ちを考えて届ける姿勢が、具体的な練習にもなっていたことが分かります。
翌2025年の「モブノデレラ」は、≠MEの表題曲では初のミディアムバラードでした。
最後のサビ前のソロでは、複数の歌い方を録音しています。
前後のメンバーとのつながりまで相談したという本人の録音の話には、歌を安定させる段階から、細部を選び取る作業への広がりが表れています。
作品への理解は、その後の撮影や披露でも深まっていました。
「モブノデレラ」のMVで冨田が担当したのは、感情が溢れ、鏡を割る場面です。
そこまで気持ちを高めるのは難しく、新たな感情も生まれたと話しています。
撮影後も踊る機会を重ねる中で、理解が深まっていったといいます。
録音したら終わりではなく、声で歌った人物を身体でも演じ、作品に取り組み続けているのです。
「空白の花」を歌い直すこと、新しい作り手に招かれること
2025年2月の6周年コンサートでは、「空白の花」を再び一人で歌いました。
近年は蟹沢との二人編成や、姉妹グループのメンバーとの三人編成で披露する機会もあったため、改めてソロで届けることに緊張したといいます。
本人は一つの完成形を決めず、その時の最良の歌を届けたいと説明しています。
初期の録音を残しながら、今の自分としても育てている曲なのです。

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2026年1月には、Night Tempoの「Night Fly」にボーカルで参加します。
きっかけは前年のテレビ番組で、Night Tempoが編曲した松田聖子「裸足の季節」を歌ったことでした。
その歌唱を受けて、彼の作品でも歌ってほしいと声が掛かったとされています。
今回は土岐麻子の歌詞を歌い、冨田自身は、孤独から少しずつ解放されるような優しい夜のイメージを受け取っていました。
≠MEで重ねてきた歌が、異なる作り手の曲へつながった一例です。
初期の声に惹かれてソロ曲が生まれ、その後は歌の安定や表現の選択肢を増やし、同じ曲も新しい曲も歌い直していく。
冨田菜々風の変遷には、最初の良さを過去へ置き去りにしない面白さがあります。
「空白の花」の出発点と「モブノデレラ」の録音を重ねると、声の個性を保ちながら、一節に込める判断が細かくなってきた歩みとして捉えられるでしょう。
曲ごとの声の使い分けは、冨田菜々風の歌い方で詳しく見ていきます。

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