前田亘輝の歌声はどう変わった?「夏のTUBE」と戦い、声帯手術を越えた40年の歌唱変遷

TUBEの夏曲と声帯手術を越えた前田亘輝の歌唱変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

前田亘輝さんの歌声は、40年間ずっと同じ夏を歌ってきたように見えます。
実際には、TUBEは一度、「夏のバンド」というイメージから逃れようとしました。

秋冬のツアーを行い、夏以外の曲を作り、自分たちの可能性を広げようとする。
それでも観客が最も待っていたのは、青空の下で開く太い高音でした。
前田亘輝さんの変遷は、若い声が成熟したというだけでなく、他人に決められた季節を、自分たちの役割として引き受けるまでの物語です。

その後、歌詞の題材は友人や後輩の人生へ広がり、声帯手術を経て、声は力で押すものから軽く出せるものへ変わりました。
近年、本人が目指しているのは、意外にも大声の先ではなく「朗読に近い歌」です。

1985年、本人たちより先に「夏のバンド」が作られた

TUBEは1985年にデビューしました。
当初のバンド名はThe TUBEで、前田亘輝さんはまだ20歳になる前でした。

デビュー期から、海、太陽、若さを前面に出す方向が用意されていました。
翌1986年の「シーズン・イン・ザ・サン」が大きなヒットとなり、前田亘輝さんの明るく太い高音は、夏の到来を知らせる声として全国へ広がります。

デビュー期の前田亘輝とTUBE

ただし、この時点ではメンバーが作詞作曲の中心だったわけではありません。
外部の作家が作った夏の歌を、若いバンドが圧倒的な勢いで形にしていました。
歌声の個性は強かった一方、自分たちが何を歌うバンドなのかは、周囲の設計によって先に決められていたのです。

1987年から、「夏だけではない自分たち」を探し始めた

夏の成功は、同時に窮屈さも生みました。
新曲を出すたびに海や太陽を期待され、季節が過ぎると活動まで終わったように見られる。
若いメンバーにとって、「夏のTUBE」は勲章であると同時に、誰かが作った枠でした。

そこで秋や冬にもツアーを行い、季節を限定しない作品へ挑みます。
夏以外にも自分たちの音楽があると示そうとしたのです。

しかし、観客が最も大きく反応するのは、やはり夏の曲でした。
本人たちは新しい面を見せたいのに、目の前の人はTUBEにしか作れない夏を求めている。
この食い違いが、後の歌声を変える重要な時間になります。

1989年、曲を与えられるバンドから自分たちで作るバンドへ

1989年頃から、TUBEはメンバー自身による制作へ大きく舵を切りました。
前田亘輝さんが歌詞を書き、春畑道哉さんが曲を作る形が、バンドの中心になります。

これは作家名が変わっただけではありません。
前田亘輝さんの歌声が、用意された夏を演じる声から、自分で選んだ言葉を届ける声へ変わる転機です。

初期はメロディーの勢いと声の強さが先に届きました。
自作曲が増えると、どこで言葉を切り、どの語尾を伸ばし、どの場面を高音の頂点にするかまで、歌い手自身の経験と結びつきます。

夏から逃げるのではなく、自分たちの言葉で夏を作り直す準備が整いました。

1990年、「あー夏休み」で夏を自分たちの名前にした

1990年の「あー夏休み」は、TUBEが夏のイメージを真正面から引き受けた曲です。
タイトルを見ただけで季節が分かり、掛け声のような歌い出しと太い高音が、バンド名と夏を切り離せないものにしました。

制作時には、あまりにも露骨な夏の題材へ迷いもあったと振り返られています。
しかし結果として、この曲は他人から貼られた「夏のバンド」という札を、自分たちの看板へ変えました。

前田亘輝さんの歌声にも変化があります。
「シーズン・イン・ザ・サン」の若い直線的な高音に、言葉のこぶし、掛け合い、アドリブが加わりました。
きれいに歌い切るより、観客を巻き込み、その場の熱でフレーズを伸び縮みさせる歌唱が前へ出ます。

夏を避けて自由になるのではなく、誰より深く夏を掘ることで自由になった。
この逆転が、TUBEを一時的な季節バンドから長く続く存在へ変えました。

1990年代、「夏を抱きしめて」で強さの中に余白が増えた

1990年代に入ると、前田亘輝さんの歌は、強いサビだけでなく、そこへ向かう静けさを広げます。
1994年の「夏を抱きしめて」は、開放的な高音を残しながら、Aメロでは言葉を急がず、声の濃淡を大きく取る曲です。

初期の代表曲では、若さと速度が曲全体を押しました。
この時期になると、息を含んだ声、すぐには揺らさない長い音、静かな語尾が増え、サビの太さを対比で見せるようになります。

「夏」という題材も、単純な楽しさだけではなくなりました。
過ぎていく時間、戻れない恋、毎年同じ季節が来ることの寂しさが歌へ入ります。
前田亘輝さんの声は、夏を始める声から、夏が終わる気配まで残す声へ広がっていきました。

2000年代、他人の人生を借りて言葉を深くした

作詞を始めた頃、前田亘輝さんは自分の経験を中心に歌詞を書いていました。
年齢を重ねるにつれ、友人や後輩から聞いた恋愛や人生の話を、自分の中へ取り込んで書くことが増えたといいます。

2004年の「プロポーズ」は、太い高音を見せつける曲ではありません。
大切な言葉へ近づくまで声量を抑え、話すような距離から感情を広げます。

ここで変わったのは、声の高さより、歌の主人公との距離です。
若い頃は自分の熱をそのまま言葉へ乗せました。
その後は、別の人の経験を借りながら、聞き手が自分の話として受け取れる隙間を作るようになります。

「夏のTUBE」という大きな看板を保ちながら、バラードでは季節や海を使わずに声の存在感を残す。
歌詞を書く経験が、前田亘輝さんを大声の似合うボーカルから、小さな言葉も持たせられる歌手へ変えました。

2015年から2016年、声帯手術で「もっと踏む」歌い方を手放した

2015年末、前田亘輝さんは声帯のう胞のため、翌年に手術を受けることを公表しました。
長い活動の中で、声を使おうとしても思うように反応しない状態があったとされています。

声帯手術を公表した時期の前田亘輝

2016年2月の手術は成功し、回復も順調でした。
歌唱を再開した本人は、声が15年ほど若くなったように感じ、以前より身体が楽になったと話しています。

その変化を説明したのが、アクセルのたとえです。
手術前は踏み込んでも速度が出ず、さらに力を加えようとしていた。
手術後は、軽く踏むだけで声が出るようになりました。

復帰後には長いメドレーも披露し、TUBEらしい力強さを失いませんでした。
ただし内側では、強い声を作るために力を足す歌唱から、声が反応する状態を利用する歌唱へ感覚が変わっています。
現在の発声については、前田亘輝さんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

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2020年代、「大声の人」が朗読に近い歌を目指す

近年の前田亘輝さんは、歌の理想を「朗読に近い歌」と表現しています。
音程や声量を見せる前に、言葉が話のように届き、その延長で旋律になる歌です。

これは初期のTUBEから考えると意外な到着点です。
「シーズン・イン・ザ・サン」では、若い高音の勢いが一瞬で夏を作りました。
現在は、強い声を出せることを前提にしながら、出さない時間と言葉の温度を中心へ置こうとしています。

2025年の40周年企画では、世代も音楽性も異なる複数のアーティストと作品を作りました。
昔の夏曲を再現するだけでなく、現在の声を別の音楽へ置き、新しい反応を引き出す試みです。

さらにTUBEとGACKTによる「サヨナラのかわりに」では、夏の祝祭とは異なる重い題材を扱いました。
太い声の存在感を残しながら、言葉の痛みを急いで大きくしない歌唱は、長年バラードで育ててきた面とつながります。

変わらなかったのは高音の高さではなく、観客と一緒に夏を作ること

40年の間に、前田亘輝さんの声の重さ、息の使い方、語尾、歌詞との距離は変化しました。
手術を経て、声を強くする感覚そのものも変わっています。

一方で、デビュー期から残っているものがあります。
歌手一人の完成品を客席へ見せるのではなく、観客の声や季節の記憶を巻き込み、その場で曲を大きくすることです。

初期は、周囲が作った夏の歌を若い声で成立させました。
1990年には、自分たちで作った「あー夏休み」によって、期待される夏を引き受けました。
現在は、40年分の記憶を持つ観客と、新しい共演者の間で、同じ季節を作り直しています。

桑田佳祐さんの歌唱変遷にも、長く愛されたバンドの看板と、本人が広げたい表現の間を往復する歴史があります。
前田亘輝さんの場合、その葛藤の名前が「夏」でした。

まとめ

前田亘輝さんの歌声は、若い頃の太い高音をそのまま保存したものではありません。
1985年には周囲が用意した夏を歌い、成功後はいったん夏のイメージから離れようとし、1989年以降は自分たちで言葉と曲を作るようになりました。

1990年の「あー夏休み」は、他人から貼られた「夏のTUBE」という札を、自分たちの看板へ変えた転機です。
その後は静かなバラードと作詞経験によって、強い声の周りに余白と言葉の深さを増やしました。

2016年の声帯手術後、本人は、アクセルを軽く踏むだけで声が出るようになったと語っています。
還暦を迎えた現在の目標は、力強さの証明ではなく、朗読に近い歌です。

夏に縛られた若者が、夏を自分の役割として選び、最後には大声を出さなくても言葉が届く場所を目指す。
前田亘輝さんの40年は、季節のイメージから逃げた歴史ではなく、そのイメージを自分の言葉と現在の声で何度も作り直した歴史です。

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