汐れいらの歌声はどう変わった?物語の登場人物から「自分のこと」を歌うまで

汐れいらの2026年取材写真 シンガー

汐れいらは、自分が歌いやすいメロディーを作るところから、曲作りを始めた。
けれど歌詞では、すぐに自分の体験を語ろうとはしなかった。
架空の人物を立て、その人に合う声を考えて歌う。
その方法が、ライブを重ね、自分自身の気持ちを曲にする中で変わっていく。
「センチメンタル・キス」から「pink」、『HB2U』へ。
歌う人物との距離と、聴き手に届く声の置き方を見直した道をたどる。

自分が歌いやすい曲を作り、路上へ出た

高校の軽音部では、最初はボーカルだけを担当していた。
ギターのメンバーが辞めたため、自分でも弾く必要が生まれたという。
その後、一人で歌うためにアコースティックギターを手に取る。
弾き語りの大会で、声とギターだけでも人を引き付ける歌い手を見たことも、その魅力に気づくきっかけになった。

曲作りも、まず自分の声に合うものを探す行為だった。
2024年の本人取材によると、バンドは既存曲のコピーが得意ではなく、自分が歌いやすい音程で詞とメロディーを作ると、周りからも好評だった。
難しい曲を歌いこなしてから書き始めたのではなく、歌える曲を作る中で、自分の表現を見つけていったのである。

大学では歌詞に役立てようと文芸を学んだが、学業や仕事と並行すると音楽の時間がなくなっていった。
バンド活動中に事務所から声がかかり、その後には路上でも歌うようになる。
路上はライブハウスより緊張しにくく、そこでの経験が、会場でも自然に歌えることにつながったと振り返っている。
立ち止まる人と通り過ぎる人が見える場所で、歌への反応を受け取っていた。

「センチメンタル・キス」が広まっても、本人には距離があった

2022年3月に出た「センチメンタル・キス」は、Acoustic版が最初の配信だった。
5月に通常版が続き、恋愛リアリティー番組への起用などを通じて知られていく。
ギターを軸にした版が先に届き、その後、同じ曲が別の編成でも広がったという順序になる。

ただ、その反響を、本人はすぐに自分のこととして実感できたわけではない。
2024年には、まるで自分の曲ではないような感覚もあり、ファンに直接声をかけられて初めて驚いたと話している。
もともと歌詞の中に作っていたのも、本人の実話に限らない誰かの物語だった。
聴く人が身近に感じた曲と、書き手が作品として眺める曲には、距離の違いがあった。

ライブでは、その距離が少し縮まる。
聴いている人の顔が見え、反応が自分へ返ってくるからだ。
汐はこの時期、聴かれ方も聴かせ方も増え、ライブを通して曲も育つと感じていた。
作品を完成させて渡すことに、その場で人へ届け直す経験が重なっていく。

『No one』で、別々の人物を歌う強みが形になる

2024年の初EP『No one』では、曲ごとに異なる主人公を立てた。
本人は当時、自分の体験を書くとありふれた言葉になり、想像したほうが細かく描けると説明している。
メロディーや言葉から連想し、書き進めながら人物像を見つける。
歌の主語が「私」であっても、歌っているのは汐本人の生活そのものとは限らなかった。

「備忘ロック」は、その仕組みが分かりやすい曲だ。
彼女を失ったバンドマンを主人公に、彼が音楽へ使っていた言葉は、彼女から受け取ったものだったのではないかと考えた。
音楽と恋人のどちらを大事にしていたのか、という問いを一人の人物へ託している。
汐自身の失恋談として読むより、その人物が何を失ったのかを追うと、言葉の向かう先が見えてくる。

一方、この曲の録音には、普段のライブを支えるミュージシャンも参加した。
架空の人物を描いた歌が、自分たちで演奏した時間の記録にもなったと本人は話す。
作品の主人公は自分でなくても、歌い、共演する経験は、自分のものとして積み重なっていた。

同じEPの「笑ってベイビー」は、高校のバンド時代に作った曲だった。
バンドを辞めて弾き語りを始めた頃から周囲に好まれ、後に久しぶりに歌うと、自分でもよい曲だと思えたという。
古い歌を残したことには、創作時の完成度だけでは分からない、歌い続けて見つかる価値も表れている。
一曲で自分のイメージを固定せず、異なる歌を持ち続ける姿勢が、このEPにはあった。

ライブを重ね、「pink」では役に合わせない声へ

2025年8月の『THE FIRST TAKE』では、「センチメンタル・キス」をピアノと歌った。
一人で出演した別企画のときと違い、普段から共演する鍵盤奏者が一緒におり、意外にも落ち着いて歌えたという。
本人は三年前を懐かしむつもりではなく、現在の自分が表れる曲として新鮮に歌ったと説明している。
代表曲を過去の録音のまま保つより、そのときの自分と共演者で受け取り直していた。

同年11月の「pink」をめぐる取材では、歌の主語を見直した背景も明かした。
物語の曲は完成すると手を離れ、以前から存在した歌を歌うような感覚になる。
それに対し、自分自身について書くと、ライブで気持ちの入り方が違ったという。
「pink」の前にも自分を題材にした曲を試しており、長く歌っていくには、自分の気持ちを込めた曲も必要だと感じ始めていた。

「pink」は、空の色や身近な幸せを手掛かりに、調子のよくない日の自分へも向けた歌になった。
普段の物語なら人物に合う声を考えるが、この曲は声を変えなくても自然に歌いやすかったという。
気を抜いて歌うという意味ではない。
作品へ込めた気持ちと、それを声にする本人の間にあった距離が、近くなったのである。

汐れいらの2025年公式インタビュー写真
汐れいら(2025年の公式インタビュー写真)。
写真出典:汐れいら公式インタビュー

自分の体験を書けなかった理由についても、言葉が単純になるからという説明だけではなくなった。
傷ついた自分と深く向き合うのが怖かった、と本人は振り返る。
想像する力を捨てるのではなく、自分の感情も、想像上の人物と同じだけ丁寧に見ようとしていた。

『HB2U』では、いま抱えている迷いも声にする

2026年2月のEP『HB2U』に収めた「déjà vu」では、今の自分が何をよいと思うのか分からなくなる迷いを歌った。
タイアップ曲に取り組む中で、周囲が評価しても、自分以外の人にも書けるのではないかと感じたことが発端だったという。
その悩み自体を書けば、これまでと違うことへ踏み出せる。
他の人物を通して気持ちを描いてきた人が、現在の自分を正面から曲へ入れた。

自分を歌えば、作品を否定されたときにも、他人の物語だからと距離を置けない。
それでも書いてみると、ライブで感じていた心の隔たりが小さくなったという。
歌う人物を理解して声を当てる方法に、自分の中にある気持ちから声を出す方法が加わった。

この変化は、編曲の選び方にも及んだ。
汐は2026年の別の取材で、以前は物語が決まると、音もその筋に合う形へ絞られやすかったと説明している。
自分の感情を軸にする曲では、そこから複数の方向を試せるようになった。
自分の話をすることが、音楽の形を狭めるのでなく、選べる形を増やしていたのである。

好みの声と、届きやすい声を分けて考える

『HB2U』の時期には、声そのものの選び方も見直している。
以前の吐息を多く含む歌い方では、リズムやグルーヴを出しづらいと気づいたという。
好みの声の質感と、人が聴きやすい声は同じとは限らない。
拍との合い方に目を向け、録音とライブも分けて考えられるようになった。

自分の声を生かすために、伴奏の側を調整する方法もある。
「火の用心」については、楽器が多い音も好きだが、音数が少ないほうが自分の声は前へ出やすいと話した。
編曲者が演奏を出し入れすることで、にぎやかさの中にも声の場所を作っている。
歌を届けるための工夫は、声量を増やすことだけではなかった。

最初は、自分が歌いやすい音程を探して曲を書いた。
その後は、物語に合う声を選び、自分を歌う自然さを知り、聴き手が受け取りやすいリズムも考えるようになった。
歌う本人の気持ちと、届く相手の耳の両方へ、判断の範囲が広がっている。
一曲の中で言葉の入り方や余韻をどう選ぶかは、汐れいらの歌い方で扱う。

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