2015年の「ミカヅキ」で、さユりは自分の欠けた部分を隠さずに歌いました。2022年の「花の塔」では、人と出会う喜びと切なさを一曲の中に置いています。この二曲を、暗い歌から明るい歌への変化として並べるだけでは、間に起きたことを見落とします。
他人の作った歌を受け取って自分の声に気づき、初めてのアルバムを作り終えてからは、歌を誰に届けるかを考え直した。2019年には、言葉からではなくメロディから曲を作る方法も試しました。本人の発言と各時期の作品をたどると、声を別物に取り替えたのではなく、同じ声で向き合える相手と表現を増やしていった歩みが見えます。
「ミカヅキ」――欠けた自分のまま、声を外へ出す
デビュー前、さユりはギターを持って路上で歌っていました。音楽は自分の居場所になったと語る一方、歌う前から不安が消えていたわけではありません。2015年のデビュー曲「ミカヅキ」も、満たされた自分が他人を励ます歌として始まったのではなく、欠けている自分がそれでも先へ進もうとする歌でした。
本人は、サビの大切な言葉を二年ほど前から持っていたと振り返っています。三日月は欠けたままで終わるとは限らない。その小さな可能性を、曲の中心に据えました。歌を聴く人にとって切実なのは、この声が完成した答えを告げるより先に、歌い手自身の未完成さをさらしていることです。
デビュー曲はアニメ『乱歩奇譚 Game of Laplace』のエンディングにも使われました。後の取材でさユりは、自分には希望を込めた言葉を怖いと受け取った視聴者がいたこと、物語が進むにつれてその受け取り方も変わったことを話しています。歌は作り手の意図だけでは終わらない。その発見は、後に聴き手へ向けた言葉を考える土台になります。

提供曲が教えた、自分の声で歌える言葉
2016年、梶浦由記が書いた「それは小さな光のような」と、野田洋次郎が手がけた「フラレガイガール」を歌いました。自作曲なら言葉とメロディを作る過程に自分の声も含まれます。すでに形のある曲を歌うときは、その声をどこに置くかを改めて選ばなくてはなりません。
「それは小さな光のような」は、誰かを守ろうとする意志を歌います。さユりは当時、自分の中にもそういう気持ちはあるが、まだ十分には外へ出せないと話しました。それでも、この歌を歌うことで外へ向かえるかもしれない。何度も歌い、きれいなメロディの表面だけをなぞらないようにしたと振り返っています。自分の弱さを見つめる「ミカヅキ」から、相手を守りたいと言葉にする歌への一歩でした。
「フラレガイガール」の録音前、さユりは野田のピアノと歌によるデモを受け取りました。歌詞の終わりには自分から意見も伝えています。しかし歌い回しについては、曲の物語に導かれるように歌った、と当時の取材で説明しました。与えられた歌だから自分を消したのではなく、曲の人物がどんな気持ちで進むかを自分の声で引き受けたのです。
翌年の取材では、この二つの提供曲を歌った経験が、自分の声の出し方や表現を以前より意識するきっかけになったと語っています。周囲から声の特徴を指摘され、初めて「この声だから歌える言葉やメロディがあるのでは」と考え始めた。生まれつきの声質が変わったという話ではありません。自分の声を曲作りの道具として見直したことが転機です。
「平行線」から「月と花束」へ――自分を語る声が、相手へ向く
2017年、自作の「平行線」には、交わりたいのに交われない人の距離が描かれました。さユり自身は「フラレガイガール」を歌ってエネルギーをもらったから、その先を描くことに迷いがなかったと話しています。他人の書いた曲を歌う経験が、次の自作曲の言葉につながりました。ここでは、同じ孤独を別の語彙で繰り返したのではなく、傷つく怖さを抱えながら人に近づこうとしています。
同年のアルバム『ミカヅキの航海』を作り、ツアーで曲を届けたあと、本人は初めて自分の中の変化を感じたと振り返りました。それまで自分に向き合うことで結果として誰かとつながっていた。2018年の「月と花束」では、アニメ『Fate/EXTRA Last Encore』から他者と向き合う課題を与えられ、そこから自分を考え直したと言います。歌詞も、見つけたものを報告する形から、この先どう生きたいかを示す形へ変わりました。
同じ2018年には、MY FIRST STORYとの「レイメイ」でHiroと声を交わしました。一人でギターを抱えて歌う姿とは違う、二人で曲を進める場です。ただし、共演したから突然別の発声法に変わったとまでは言えません。ここで広がったのは、歌の中で他者を想定するだけでなく、実際の相手の声と一曲を分け合う表現の場でした。
「航海の唄」――言葉を先に決めず、歌えるメロディから探す
2019年の「航海の唄」は、アニメ『僕のヒーローアカデミア』第4期のエンディングとして書かれました。さユりは作品の登場人物の勇敢さを出発点にしつつ、作っている途中で、曲が自分のデビュー曲や初アルバムにつながっていると気づいたそうです。「ミカヅキ」の続きとして最初から設計したわけではありません。
このころは、伝えたい言葉を先に置く作り方に加え、メロディから作ることも増えたと話しています。どんな言葉なら届くかを考えすぎて曲が進まないとき、音の流れから道が開く。本人は「航海の唄」の転調についても、歌っていて最も気持ちを乗せられる高さがそこにあったと説明しました。歌詞の主張だけでなく、実際に自分の声がどう運べるかを曲の選択に反映したのです。
曲では強い言葉を使いながら、本人が思い描いたのは力で押し切る信念ではなく、静かに信じ続ける気持ちでした。デビュー時の欠けた自分を消すのではなく、そのまま聴き手と向き合おうとする。歌う相手が「自分だけ」から「あなた」へ広がったことが、この時期の大きな変化です。
2020年『め』――同じ曲を、声とギターで歌い直す
2020年の弾き語りアルバム『め』には、「ミカヅキ」や「平行線」、「レイメイ」、「航海の唄」など、それまでの転機になった曲が新録で収められました。二人で歌った「レイメイ」も、この盤ではさユり一人の歌唱です。編曲や歌い手の人数が変わるので、原曲と新録の違いをすべて声の成熟だけに結びつけることはできません。それでも、かつての曲を現在の自分がギターと声で引き受け直した、という事実は大きいでしょう。
『THE FIRST TAKE』では「ミカヅキ」を座布団に座り、弾き語りで披露しています。2015年の楽曲を2020年にもう一度歌った映像です。デビュー曲の公式MVと撮影条件は異なりますが、同じ曲を別の時期・別の場で歌う姿を見比べられます。

「花の塔」――出会いの明るさにも、切なさを残す
2022年のアルバム『酸欠少女』は、前のオリジナルアルバム以降に発表した曲と新曲を収めました。活動初期から掲げてきた名をアルバムと同名曲に改めて置き、ファンが長く音源化を待っていた「酸欠少女」も収録しています。自分を表す言葉を歌の題名として引き受け直した作品です。
同じ盤には「花の塔」も収められました。『リコリス・リコイル』のエンディングであるこの曲について、さユりは、出会いに伴う光と影、喜びと切なさの両方を描いたと説明しています。
「ミカヅキ」が欠けた自分の声から始まったとすれば、「花の塔」は他者と出会ったときの複数の感情を同時に受け止める歌です。明るい曲に変わった、と一言で片づけると、切なさを残すという本人の意図が消えてしまいます。提供曲で自分の声を見つめ直し、曲を聴く人の解釈を知り、相手のいる歌を重ねたからこそ、この二面性に至ったと見ることができます。
さユりは2024年に亡くなりました。後からその事実を重ねて曲の意味を決めつけることはせず、本人が制作時に語った言葉と作品をたどりたいと思います。声の具体的な使い方についてはさユりの歌い方で、年代順ではなく一曲の中の判断から読み解きます。彼女が残した歌には、欠けた自分を見つめる声と、人に向かう声の両方が息づいています。

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