大江慎也さんの歌は、いわゆる「歌のうまさ」だけでは説明しにくいものです。
音を丸く整えるわけでも、豊かなビブラートで包むわけでもない。それなのに「ロージー」や「恋をしようよ」の短い言葉は、何十年たっても古びません。
その理由を、大江さん自身が驚くほど簡単に語っています。
ブルースより強くギターを弾いたら、歌も強く歌わなければならなくなった。つまり、最初に特殊な声を作ったのではなく、バンドの音に必要な歌が身体から押し出されたのです。
大江慎也さんの発声を理解する鍵は、喉の技術を細かく分類することではありません。
ギター、リズム、言葉、四人の勢いが一つになる瞬間に、なぜあのぶっきらぼうな声が最適だったのか。そこから見ていきましょう。
声を強くしたのは、先に強くなったギターだった
ルースターズ初期の核にあったのは、ブルースとR&Bです。
大江さんはハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズに惹かれ、バンドを始めた時にはローリング・ストーンズの初期作品を丸ごと演奏するところから基礎を作りました。
ただし、昔の音楽を上手に再現することが目的ではありませんでした。
大江さんは、バンドを続ければ影響は自分たちなりの形へ変わっていくと考えていました。「恋をしようよ」も、ブルースの大胆なラブソングを日本語の若い衝動へ置き換えた曲です。
ここで面白いのが、発声の変化を説明した本人の順番です。
純粋なブルースよりギターを強く弾くようになり、「歌も強く歌わないと」と感じた。声量を増やす練習から始めたのではなく、花田裕之さんのギター、井上富雄さんのメロディアスなベース、池畑潤二さんのビートに押されて、必要な声の強さが決まりました。
だから大江さんの声は、伴奏の上にきれいに乗るというより、ギターと同時に曲を前へ進めます。
歌と演奏を別々に磨いて最後に組み合わせた声ではなく、四人で鳴らすうちにできた声なのです。
「一本調子」は弱点ではなく、曲が逃げないための輪郭
大江さんの歌を、単調、朴訥、不安定と表現する聴き手は少なくありません。
一方で、技巧的ではないのに心をつかまれる、他の人が歌うと同じ曲に聞こえない、という感想も繰り返し語られてきました。
この二つは矛盾しているようで、実は同じ特徴を見ています。
大江さんは、母音を長く美しく伸ばして感情を説明しすぎません。短い言葉を角のあるまま置き、同じリズムを反復する。そのため声だけを取り出すと変化が少なくても、バンドのビートから言葉が外れません。

初期ルースターズの曲は、一つか二つのグルーヴを軸にしたものが多く、最初の録音では一週間に約40曲を録ったといいます。
細かな表情を後から足すより、普段ライブで鳴らしていたものを、そのまま作品にする速度がありました。
ぶっきらぼうな声は、感情がないのではありません。
装飾を減らしたぶん、言葉がビートの中で迷わず立つ。歌唱の情報量を増やす代わりに、曲の輪郭を濃くする歌い方です。
実際には、甘い歌も暗い歌も同じ声の中にある
「大江慎也は勢いだけで歌う」と決めてしまうと、ルースターズが早い段階から変化した事実を見落とします。
「ヘイ・ガール」には、本人が憧れた甘いソウルの感覚が入りました。
「GIRL FRIEND」では、ボーカルへ集中するためスタジオを暗くし、譜面台とマイクだけに光を当てて録音しています。強いギターへ声をぶつけるだけなら、そんな環境は必要ありません。
さらに「SAD SONG」の時期になると、レコード会社側の解説でも、感情をどこかへ置いてきたような歌、不安定さを演奏が支える歌として扱われています。
初期の直線的な声と、後期の揺れる声は別人のようにも見えますが、共通点があります。どちらも歌だけを立派に見せず、曲全体の状態へ自分の声を預けていることです。
大江さんの歌は、発声法を一つ覚えて全曲へ当てはめたものではありません。
強く押し出す声も、甘い声も、沈んだ声も、曲が必要とする場所まで本人が移動して生まれました。
四人が言葉より音で通じたから、歌にも説明がいらなかった
ルースターズのオリジナルメンバーは、再び集まった後も、長い打ち合わせをしなくても音を出せば通じたと語られています。
この関係は、初期の録音方法にも表れていました。
東京へ出る前から演奏していた曲を、そのままスタジオへ持ち込む。
一緒に暮らし、機材を運び、同じ車でリハーサルへ向かう。歌詞が移動中にでき、その日のうちに曲になることもありました。
この環境では、ボーカルだけが感情を説明する必要がありません。
ドラムが焦り、ギターが噛みつき、ベースが歌えば、大江さんは短い言葉を置くだけで曲の人物になれます。
鮎川誠さんの歌い方にも、歌とギターを切り離さず、バンド全体で言葉を運ぶ面白さがあります。
大江さんの場合は、さらに四人の会話そのものが演奏になり、声はその会話の一部として存在しました。
若い頃の緊張を手放しても、声の正体は消えなかった
若い頃の大江さんは、ライブを緊張感だけで満たしていたと振り返っています。
その張り詰め方は初期の強烈さにつながる一方、本人にとって自由に音楽をする余白を奪うものでもありました。
活動再開後の大江さんは、緊張は必要でも、リラックスできなければ自由に演奏できないと話すようになります。
目的も、自分を心配しながら見てもらうことではなく、観客が楽しく帰ることへ変わりました。

ここで声が丸く無難になったわけではありません。
ブルースを「帰る場所」としながら、弾き語り、リズムマシン、ソロバンドと形を変え、ルースターズの曲も歌い続けています。
若い頃は、バンドの爆発に追いつくため声が強くなった。
後年は、観客と同じ部屋で音楽を成立させるため、力を抜く余裕が増えた。声の表面は変わっても、目の前の音に必要な歌を選ぶという正体は同じです。
チバユウスケさんのしゃがれ声も、音色だけを真似しても本質へ届かないタイプの歌です。
どちらも声の傷や荒さを商品にしたのではなく、バンドの速度と言葉の必然が先にありました。
真似するなら、荒い声ではなく「何に反応して歌うか」を見る
大江慎也さんらしく歌おうとして、喉を締めたり、わざと不安定にしたりする必要はありません。
大江さんの声は、荒くするテクニックを先に選んだ結果ではないからです。
参考になるのは、声を単独で完成させようとしない姿勢です。
ギターのリフが強くなれば歌も強くなる。甘いコードなら、声の角を少し外す。バンドが沈むなら、感情を説明せず一緒に沈む。音楽の変化へ反応した結果として歌い方が変わっています。
これは、がむしゃらに伴奏へ張り合うこととも違います。
痛みや強いかすれが出る発声は中止すべきです。借りられるのは声の損耗ではなく、伴奏と言葉をよく聞き、何のために強くするのかを決める順番です。
忌野清志郎さんの発声と比べると、同じく一声で人物が立ち上がる歌でも、言葉の飛ばし方が違うことが分かります。
清志郎さんは言葉を客席へ届け、大江さんは言葉をバンドの音へ打ち込みます。
年代ごとの変化は、大江慎也さんの歌唱変遷で詳しく追っています。
大江慎也の声は、上手に歌う前に曲の必要へ応えた
大江慎也さんの歌が胸をつかむのは、ぶっきらぼうだからでも、不安定だからでもありません。
強くなったギターへ強い歌で応え、甘い曲では光を落としてマイクに向かい、後年は観客を楽しませる余裕を選びました。
声の型を守り続けたのではなく、その時の音楽へ反応し続けたのです。
だから技巧を削ったような短いフレーズにも、四人の演奏、北九州で覚えたブルース、若い衝動、長い時間が一緒に入ります。
大江さんの歌を「うまいか下手か」で測ると、答えはいつまでも定まりません。
けれど、なぜ他の声へ置き換えられないのかと考えると、輪郭ははっきりします。あの声は曲の上に乗ったものではなく、曲が生まれる瞬間からバンドの一部だったのです。






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