涼音(レトロリロン)の歌い方|強い声、低い声、一人で重ねる声を選ぶ理由

涼音(2026年音楽ナタリー掲載写真) シンガー
涼音(2026年音楽ナタリー掲載写真)

レトロリロンの涼音(すずね)の歌は、力強さと繊細さを一緒に備えています。
その特徴を考えるには、迫力のある声だけでなく、温かさを出す低い声や、一人で重ねたハーモニーにも目を向けたいところです。

どんな気持ちを、どんな声で届けるのか。
ここでは代表曲「深夜6時」を入り口に、本人の制作談と具体的な公演の場面から、声の選び方をたどります。

柔らかさがあっても、言葉が遠くならない

低い音の深みや、高い音で息を感じさせながら薄くならない響き。
涼音の歌声には、力強さだけでは説明できない質感があります。
柔らかさと声の存在感が両立して聞こえるところが、その魅力です。
こうした響きの印象だけから、身体の内側で起きている発声の仕組みまでは断定できません。

言葉の届き方にも、その存在感があります。
2025年10月26日のPenthouseとの対バンでも、共演した「深夜6時」で、涼音の歌詞がよく聞き取れたと受け止めた観客がいました。
一つの公演での反応ですが、滑らかな音色に加え、何を歌っているかが前へ届く声でもあるのです。

本人は、歌詞に心を動かされた経験から音楽へ入り、言葉とメロディの配分やリズムを意識するようになったと語っています。
声をきれいに響かせることと、言葉を表すことを別々には考えにくい歌手です。

「Dear」の低い声には、温かさを作る課題がある

「Dear」で本人がこだわったのは、声の温度と音色でした。
低い声の出し方、発音に苦労しながら取り組み、楽器の数も減らしたと説明しています。
低い音が出れば完成というわけではなく、その声で温かさを伝えることが課題だったのです。

曲の制作では、ドラマの物語を受け、人との出会いで人生が変わる感覚を表そうとしています。
メンバーも、セッション中に出た音を生かし、miriは普段のように持ち帰って整理する必要がなかったと振り返りました。
歌が表す人の温度と、演奏の自然な手触りを、同じ方向に揃えていたと読めます。

涼音、Zepp Haneda公演(2026年4月18日、写真:スエヨシリョウタ)
涼音、Zepp Haneda公演(2026年4月18日、写真:スエヨシリョウタ)。
画像出典:画像掲載元

「エゴ」では、声がロックの勢いを引き受ける

「エゴ」では、エレキギターのいない編成でロックを表すため、ボーカルにその役目を持たせたといいます。
同じ歌手でも、ここで求める声の役割は「Dear」と異なります。

2026年4月18日のライブ初披露では、力強い歌声と、戦う気持ちを感じさせる演奏が観客を鼓舞しました。
歌の強さが、曲全体の勢いを作る場面です。
ここで分かるのは舞台上での表現の効果であり、喉にどのくらい力を入れたかという身体の内側ではありません。

「咒」は、つぶやく声と感情の噴き出す声をつなぐ

声の幅を考えるうえで大切なのが、ピアノと歌だけの「咒」です。
2026年7月4日、長野のLIVE HOUSE Jでの公演では、小さなつぶやきから、激しい感情を外へ出すところまで歌いました。
最初から同じ強さで押し通すのでなく、声の大きさや切実さの幅が、曲の体験を作っているのです。

この日の「僕だけの矛盾」にも、愛情を穏やかに伝えるだけでなく、助けを求めるような激しさがありました。
ラブソングだから柔らかく、バラードだから静かに、という単純な分け方では捉えきれない。
歌の中の人物が何を求めているかで、声の切迫感が変わるところが興味深いのです。

息遣いを聴かせるために、動きや伴奏も選ぶ

別の場面からも、この歌の細やかさが見えてきます。
2026年4月18日の公演では、「僕だけの矛盾」を椅子に座って歌いました。
息遣いや抑揚、言葉の置き方が印象を残す場面です。
派手な演出を抑えた時間に、声そのものへ注意が向く。
強いフレーズを待つだけでなく、その前後をどう歌っているかが聴きどころになります。

同じ公演の冒頭でも、客席をあおる熱さから、「ラストハンチ」で細かな感情を聴かせる方向へ変化していました。
一曲の中の強弱に加え、曲が変わると歌と客席の距離も変わる。
その振り幅があるからこそ、声を大きくする場面も、じっと聴かせる場面も生きるのでしょう。

歌う姿勢も、表現の選択の一つです。
2024年2月12日の公演では、ギター中心のグルーヴから、涼音がハンドマイクを持つ「DND」へ移り、ホーンの音を重ねた厚いサウンドで迫りました。
同じ夜の「ひとつ」でも、ゆっくりした曲調の中で圧倒的な歌を聴かせています。
ギターを弾く姿だけでも、静かなバラードの姿だけでも、この人の声は捉えきれません。

録音の「UNITY」では、その距離を伴奏の側から整えています。
miriは、歌の切れ目をピアノで埋めると、耳がそちらへ向くと考え、歌と同時に動くフレーズを選びました。
歌詞を聴かせるために、歌手だけが強く発音するのではなく、周囲が声に耳を向けやすい状況を作っているのです。

レトロリロン、Zepp Haneda公演の会場(2026年4月18日、写真:スエヨシリョウタ)
レトロリロン、Zepp Haneda公演の会場(2026年4月18日、写真:スエヨシリョウタ)。
画像出典:画像掲載元

声を重ねる人数にも、歌の意味を込める

「TOMODACHI」の制作談は、重ね録りが飾りではないことを示します。
終わりのハーモニーは、外へ見せる自分と内側の自分という、二つの存在を表したものです。
全員で歌った版では明るすぎたため、涼音一人の声にしています。
華やかに聞こえる曲の内側に、孤独を残すための選択でした。

「独歩」では、左右で異なる歌詞を歌う仕掛けもあります。
一つの旋律を前に出すだけでなく、同時に存在する声の関係で心の複雑さを表す。
声の配置までが、歌唱表現に含まれているのです。

「AMANO-JAKU?」の冒頭と終わりでも、一人で声を重ねています。
こちらはゴスペルを一人で試す意図に加え、多数の声と一人の主旋律に、多数派と少数派の共存を託したものです。

一方、「咒」の録音で本人が大事にしたのは、二度と同じ形では出せない瞬間の歌でした。
声をいくつも重ねて世界を作ることも、一度の歌を残すこともある。
涼音の表現では、どちらが優れているかより、その曲が求めるものに合っているかが判断の中心にあるのでしょう。

声を強くする、低い音で温度を伝える、伴奏と一緒に言葉を運ぶ、一人で複数の声を担う。
涼音の歌は、こうした選択の組み合わせで立ち上がります。
録音への向き合い方がどう変わったのかは、涼音(レトロリロン)の歌唱変遷で紹介しています。

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