古内東子の歌唱変遷|「誰より好きなのに」から弾き語りへ、歌が客席に近づくまで

古内東子の本人写真 シンガー

古内東子は、ピアノで曲を作っていても、人前で弾きながら歌うことには苦手意識があった。
歌も演奏も中途半端になるのではないか。
そう思っていた人が弾き語りを続け、2022年には自分のピアノを初めて作品に残す。
その間には、スタジオで曲を完成させる喜びとは別に、目の前の一人へ歌が届く喜びを知る時間があった。
「誰より好きなのに」が生まれた1990年代から、昔の曲も今の気持ちで歌えるようになるまでをたどる。

「誰より好きなのに」1996年のオリジナルMV。

好きな曲を書くことと、期待される歌の間で

1993年に「はやくいそいで」でデビューした古内は、1996年に「誰より好きなのに」を発表した。
近しい相手への思いが届き切らない恋を、日常の言葉で歌った代表曲である。
古内にとって活動の出発点は、まず自分で詞と曲を書くことだった。
作ることが面白くなくなれば歌手としても続けられない、とデビュー前から考えていたという。

しかし、デビューから少し経つと、周囲は泣けるバラードを求めているのではないかと思い込んだ時期があった。
自然に出てくるものを曲にする楽しさと、期待へ応えようとする仕事の間に、ずれが生まれていた。
そこで大きな休みになったのが、2005年の約三か月のニューヨーク滞在だ。
曲も作らず、歌も歌わずに離れてみると、周囲が本当にそこまで求めていたのか、自分で決めつけていた部分も見えてきたという。
好きな曲を作り、その出来で納得してもらえばよいと、考え直す時間になった。

古内東子の本人写真
古内東子(2022年の取材写真)。
写真出典:Mikiki取材

毎回緊張するツアーから、一人でも歌える場所へ

舞台には、また別の難しさがあった。
古内はライブ経験のないままデビューしている。
ツアーの終わりに感覚をつかみかけても、次に歌うのは一年後という間隔では、また緊張するところから始めなければならなかった。
ライブを楽しいと感じられるところまで、なかなかたどり着けなかったという。

2022年の取材では、約十五年前から、その間隔を変えようとしたと振り返っている。
もっと頻繁に歌うため、自分一人でも公演ができるピアノ弾き語りに取り組んだ。
完成した伴奏の前で歌うだけでなく、自分の手でも曲の流れを作ることになる。
多少おぼつかなくても、自分で弾いて歌うからこそ伝えられるものがあると気づき、客席に近い場所で歌う楽しさを知った。

そこでは、代表曲だけが特別な歌ではなかった。
有名ではない曲を待っていた人が喜び、ある一節で表情が変わる。
古内は、曲には聴き手の数だけ思い出が結びついていることを、近くで見られるようになったと話している。
曲を作る時間と、人前で歌う時間がつながり始めた。

2011年のCOTTON CLUB公演を収めた『夢の続き(The Piano Night 2011 at COTTON CLUB)』にも、「誰より好きなのに」が残されている。
1996年のシングルから十五年が過ぎた曲が、ピアノを中心にした公演で、客席へ向けて歌われている。

「誰より好きなのに」2011年COTTON CLUB公演(2012年発売)。

昔のラブソングが、今の曲として歌える理由

古い曲を歌うとき、当時の気持ちへ無理に戻る必要はなかった。
2021年のBillboard JAPANの取材で古内は、昔のラブソングも歌い続けてきたので、大きな隔たりを感じないと話している。
受話器のように時代を感じさせる言葉はあっても、その都度の編成に合わせてアレンジを変えれば、歌う気持ちも更新できるという。

実際、2020年に公開した「誰より好きなのに」の公式セッションでは、石成正人のギターと松本圭司の鍵盤を伴って歌っている。
ピアノ公演で歌うことも、別の楽器の組み合わせで歌うことも、同じ曲との付き合いを続ける方法になっていた。

「誰より好きなのに」2020年公開の公式セッション。

2022年の取材では、選曲の基準にも変化があったと説明した。
以前のように歌いたい曲を選ぶだけでなく、会場や楽器の編成を考えて選ぶと、それが曲を育て直すことになる。
昔の作品を保存しておく感覚から、その日の演奏として動かす感覚へ。
同じ歌詞を歌っていても、いま会っている人に渡す歌になっていった。

『体温、鼓動』で、ピアノと歌の関係を見直す

こうした経験から生まれたのが、2022年の『体温、鼓動』だ。
全編をピアノ、ベース、ドラムのトリオを核に作り、六人のピアニストと、古内自身の演奏を収めた。
一人、二人、バンドと、さまざまな形で公演を重ねたことで、自分の曲にとってのピアノの存在をあらためて意識したという。

参加するピアニストを決めてから曲を書き始めたことも、今回の特徴だった。
それぞれの演奏を思い浮かべながら作り、ピアノが印象に残る導入部から先に考えた曲も多い。
編曲では演奏者の個性を歓迎しつつ、自分のデモにある曲の骨格を大きく変えないよう相談した。
声だけを仕上げるのではなく、どんな演奏の中で言葉を歌うかを、制作の入り口から選んでいた。

「動く歩道」は、その場の空気も作品に入った一曲だ。
古内は、森俊之ら演奏者が互いのプレイを褒め合い、録音現場が盛り上がったことを印象深く覚えていると話した。
その記憶も、この曲をアルバムのリード曲に選んだ理由になっている。
長く歌ってきた人が、新しい共演の瞬間にも心を動かされていた。

「この夜を越えたら」で、自分の演奏を作品に残す

このアルバムには、ライブでの変化をそのまま形にした曲もある。
「この夜を越えたら」は、古内が弾き語りしている自分を思い浮かべて作り、初めて自分のピアノを正式に録音した曲だ。
公演で弾くことには意味を感じていても、録音作品に残すことは別だと考え、それまでは踏み出さずにいた。

いざ録るときも、気軽に弾けたわけではない。
これだけ弾き語りをしてきたのだから、と自分を励まして臨んだという。
小松秀行とTomo Kannoからピアノだけでもよいのではと言われたときには、支えてほしいと頼み、ベースとドラムも加わった。
一人で何もかも担うことが到達点ではなく、自分の演奏を中心にしながら仲間の助けも受け取った。

録音後に得た手応えも、それまでと違った。
普段は作った曲を編曲で華やかにしてから世に出すが、この曲では頭の中から生まれた姿を、そのまま残せたように感じたという。
人前で歌うために始めたピアノが、曲の最初の形を作品にする手段にもなった。

古内東子の本人写真
古内東子(2022年の取材写真)。
写真出典:THE FIRST TIMES取材

「はやくいそいで」を、現在の声で引き受ける

同作の最後には、デビュー曲「はやくいそいで」の「2022 Piano Trio Version」を収めた。
デビュー前から関わったソニーミュージックで再び作品を出す機会に、最初の曲を歌う意味も感じていたという。

古内が避けたかったのは、昔の形をそのままなぞることと、原曲を好きな人が戸惑うほど変えてしまうことの両方だった。
長く共演してきた河野伸と、元のよさを残しながら新しい音へ作り直した。
最初の曲をよく知る聴き手の記憶も、今の演奏も、一緒に置こうとした再録だった。

声そのものにも、時間の積み重なりを感じている。
古内は2022年、昔のCDを聴くと自分とは思えないことがあり、その時々で声は違うと語った。
一方で、声の核は変わらないとも考えている。
何十年も会っていなかった友人が、電話で話しながら歩く自分を声で見つけた、という出来事も明かしていた。
変わった声で歌っても、古内東子の曲であり続けられるという感覚がある。

『体温、鼓動』公式ティザー(2022年・収録曲の抜粋)。

ライブの仲間と、一枚のアルバムを作るように

翌2023年の『果てしないこと』では、よく共演するメンバーと固定のバンドで一枚を作った。
デビュー当時は、名手が初めて曲を見て、その場で演奏を仕上げていく制作を見ていた。
今回は、できた曲の歌入りデモを共有し、数曲まとまるとリハーサルをする。
一緒に時間をかけて作ってみたい相手と出会ったことが、新しい進め方を生んだという。

「素肌」では、甘い歌の世界と、バンドのクールな演奏が釣り合う形を思い描いた。
言葉数で押すより、一つずつ置くような曲として書いている。
歌入りのデモを共有した仲間と、歌と楽器が互いを生かす形を確かめた。
ライブを増やした歩みは、録音で歌を届ける環境も変えていた。

2025年には、ライブをしない月がなく、以前より舞台が自分に合うようになったと話している。
聴き手の反応を知ることは、新曲でどこにしんみりしてほしいか、どこで心が動くかを考えることにもつながった。
自分の言葉から始まった歌が、客席を通り、また次の曲へ戻ってくる。
古内東子の変遷は、声が年月を帯びる過程であるとともに、歌を手渡す相手の顔が見えるようになる過程でもあった。

一曲の言葉と声の関係は、古内東子の歌い方で詳しく扱っている。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました