吉幾三の歌声はどう変わった?山岡英二、津軽弁ラップ、正統派演歌の50年

吉幾三の歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

吉幾三さんは、演歌歌手になるまでに、ずいぶん遠回りをしています。
最初は本人が売れないと思った衣装で踊るアイドル歌手でした。
次は、ギター一本と木魚で歌った正体不明のコミック歌手。
その後、故郷の不便さを津軽弁で畳みかけ、日本語ラップの先駆けと呼ばれ、さらに正統派演歌の大ヒット歌手になります。

普通なら、どこかで以前の自分を消したくなる経歴です。
吉さんは反対に、売れなかった青年も、笑われた歌も、故郷の訛りも捨てませんでした。
昔の声を守ったのではなく、過去の役柄を次の歌へ持ち込み続けたのです。

吉幾三さんの歌声の変遷は、「コミックソングから演歌へ転向した」という一行では足りません。
笑いと哀愁のどちらかを選ばず、二つを行き来できる歌手になるまでの歴史です。

1968〜1973年、長靴の少年は演歌歌手を目指して東京へ出た

中学を卒業した吉さんは、歌手になるため青森から上京しました。
母が買ってくれたガットギターと空のトランクを持ち、雪の中を長靴と毛糸の帽子で出発したため、上野では家出人と間違われたと振り返っています。

故郷では、民謡歌手の父と踊り手の母のもとで育ちました。
小学生の頃から家族と各地を回り、人前で民謡を歌って家計を助けています。
本人は演歌歌手になるつもりで、作曲家の米山正夫さんに師事しました。

ところが、1973年のデビュー曲「恋人は君ひとり」で用意されたのは、本人が思い描いた演歌ではありません。
芸名は山岡英二。
髪が短い料理人だった青年が、宇宙服のようだと感じた衣装を着せられ、振り付けを習うアイドル路線でした。

後の姿を知ると意外ですが、この不一致が最初の重要な転機です。
与えられた人物像を演じても、自分の声と言葉が一つにならなければ届かない。
吉さんは、歌手として世に出た瞬間に、自分ではない役を歌う難しさを知りました。

1977年、レコード会社にも正体を知られない「吉幾三」が生まれた

山岡英二として売れない時期、吉さんは喫茶店で働きながら、水前寺清子さんや北島三郎さんの前座で地方を回っていました。
借金が増え、家族への負担を考えて、歌手を何度も諦めかけます。

転機になった「俺はぜったい!プレスリー」は、整えられた再デビュー曲ではありませんでした。
酒席でギターを弾きながら即興した歌が関係者へ伝わり、スタジオへ行くと、置かれていたのはギター一本。
酒を飲みながら録音し、後から木魚まで加えられたため、本人はデモテープだと思っていたほどです。

完成したレコードには本人の写真がなく、名前も知らないうちに「吉幾三」へ変わっていました。
以前の所属先の人から、いま売れている吉幾三を知っているかと聞かれたという話まで残っています。

笑われることを恐れず、田舎の青年をそのまま声へ入れた時、初めて歌と本人が一致しました。
ただし、この成功は「コミック歌手」という強い印象も作ります。
ここから吉さんは、笑いで得た名前を、本人が本当に歌いたかった演歌へどう運ぶかという次の難題へ進みました。

1984年、「俺ら東京さ行ぐだ」は訛りを弱点から音楽へ変えた

1984年、吉さんは千昌夫さんへ「津軽平野」を提供し、作家として結果を出します。
同じ年、自ら歌った「俺ら東京さ行ぐだ」が大きな話題になりました。

この曲の種は、先輩がニューヨークから送ってくれたレコードにありました。
楽器の旋律を中心に聞く日本の歌とは違い、言葉を話すようにリズムへ置く録音が記憶に残り、後に津軽弁の語りと結びつきます。

大切なのは、都会的な音楽へ近づくために訛りを消さなかったことです。
最もローカルな言葉を、そのまま新しいリズムの主役にしました。
田舎を笑う歌のようで、歌っている本人は、長靴で上野へ着いたかつての少年でもあります。

笑いの中に上京の実感があるため、単なる架空の村人になりません。
吉さんの声はここで、コミックソングの声から、地方で生きる人の現実を笑いへ変換する声へ進みました。

1985年の舞台で歌う吉幾三

1986〜1988年、「雪國」と「酒よ」が笑いの後ろにあった寂しさを表へ出した

「雪國」の原型は、那須の宴会で酒を飲みながら即興した、人前では出せない冗談の歌でした。
後日、その旋律を生かすよう勧められ、テレビで雪煙を上げる列車を見た吉さんが、北へ人を追う物語へ書き換えます。

正統派演歌として出すことには、千昌夫さんも反対しました。
すでに「プレスリー」と「東京さ行ぐだ」の人として知られており、急に真面目な演歌を歌っても売れないという判断です。

しかし、吉さんにとっては急な思いつきではありませんでした。
上京した時から、ずっと演歌を歌いたかった。
笑いで知られた声の奥に、最初から置かれていた志望へ戻った作品だったのです。

「雪國」の成功後、仕事が集中し、当時の記憶がほとんどないほど忙しくなり、円形脱毛症にもなったと本人は語っています。
ヒットは望んでいた演歌歌手の座を与えましたが、今度は期待される吉幾三を毎回成立させる重圧も生みました。

1988年の「酒よ」は、大きな悲劇を作り上げた歌ではありません。
夜道で、郵便ポストへコートを掛けて酒を飲む男性に声を掛けた、小さな出来事から生まれています。
地方出身者同士の短い会話が、誰にでもある寂しさへ変わりました。

この二曲で、コミック歌手だった人が別人へ変わったわけではありません。
酒席の冗談から「雪國」が生まれ、街の酔っぱらいから「酒よ」が生まれた。
笑いを見つける目と、寂しさを見つける目が、同じ場所を見ていたと分かったのです。

1990年代〜2002年、演歌の看板を背負いながら「吉幾三の歌」を広げた

正統派演歌の成功後も、吉さんは一つの型へ収まりませんでした。
作詞家・作曲家として他の歌手へ作品を提供し、芝居やテレビでは、人を笑わせる役も続けます。

歌だけを厳粛に扱い、話す時の自分を別室へ閉じ込めるのではありません。
コンサートでは笑わせ、次の曲で泣かせる。
この構成そのものが、吉幾三という歌手の表現になっていきました。

2002年の「Dream」は、住宅会社のCMを通じて、演歌番組を見ない世代にも声を届けた曲です。
故郷や酒場の物語から離れても、ざらつきのある声と、語りかけるような言葉の置き方は残りました。

ここで声の役割は、北国の男を演じるだけではなくなります。
家を建てる人の希望を歌うCMソングでも、すぐに吉幾三だと分かる。
ジャンルより先に人物が伝わる声へ定着した時期です。

2019年、「TSUGARU」で35年前の発明を現在の故郷へ戻した

「俺ら東京さ行ぐだ」から35年後、吉さんは再び全編津軽弁の「TSUGARU」を発表しました。
ただし、昔のヒットをそのまま再現した続編ではありません。

本人によれば、曲は数年前に冗談として作り、録音も済ませていました。
地元以外には意味がほとんど伝わらないかもしれない。
それでも訳を前面に出さず、過疎が進む故郷の日常と、帰ってこない若い世代への思いを津軽弁のまま置きました。

若い頃の「東京さ行ぐだ」は、村を出る人物の歌でした。
「TSUGARU」は、長く活動してきた本人が故郷へ戻り、いなくなった人を数える側の歌です。
速い言葉と笑いは同じでも、視線の向きが反対になっています。

配信で話題になると、吉さん自身が「演歌の吉幾三」がこんな曲を出してよいのかと冗談めかして語りました。
ここが面白いところです。
コミック歌手から演歌歌手へ苦労して進んだ人が、演歌の大御所になった後、もう一度ふざける自由を取り戻しました。

頼り頼られの映像に登場する吉幾三

2022〜2025年、50周年の後も過去の代表曲だけで終わらなかった

2022年、芸能生活50周年を迎えた吉さんは、舞台と歌謡ショーを組み合わせた特別公演を行いました。
本人は50年の重さをあまり感じないと語り、周囲は、笑いのために自分を削る姿勢と長い継続を評価しています。

近年の作品にも、故郷と身近な人が残っています。
2023年の「昭和の背中」、2025年の「南部…春と夏」では、両親、東北の季節、震災で失った友人への記憶が作品へ入りました。

一方、2025年の「二枚目気取り」は、盟友の杉本眞人さんが作曲した作品です。
自作曲だけで現在を証明しようとせず、別の作家が作った男の役を引き受けています。

山岡英二の時代には、他人から与えられた姿が自分と合いませんでした。
50年以上たった現在は、他作家の歌でも、吉幾三という人間の時間を通して受け取れる。
変わったのは、自作か他作かではなく、声の中に自分の生き方を置けるようになったことです。

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変わらなかったのは、格好悪い過去を歌から追い出さないこと

吉幾三さんの歌声は、山岡英二のアイドル路線、正体不明のコミック歌手、津軽弁ラップ、本格演歌を通って変わりました。
若い頃の勢いは、言葉を急いで笑いへ変える力になり、年齢を重ねた声のざらつきは、故郷や家族を振り返る歌へ深さを与えています。

それでも、一番大切な部分は変わっていません。
売れなかった青年、酒席の冗談、訛り、借金、故郷の貧しさを、成功後の経歴から消さなかったことです。

「雪國」で正統派になった後も「TSUGARU」を歌い、50周年後も新しい役を受け取る。
吉さんは過去の自分を脱ぎ捨てて成長したのではなく、すべてを同じ舞台へ連れてきました。

だから、笑わせる声と泣かせる声が分裂しません。
どちらにも、格好の悪い瞬間を知る同じ人がいる。
吉幾三さんの50年は、声を美しく作り替えた歴史ではなく、自分のどの時代も歌にしてよいと証明した歴史です。

現在の歌い方で、ハスキーな太さ、津軽弁のリズム、言葉の間をどう使い分けているのかは、吉幾三さんの歌い方・発声で詳しく解説しています。

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