ASAGIの歌い方を知るには、きれいな声と荒い声の幅だけでなく、その声が何を演じているかに注目すると面白くなります。
裏声で森を広げる歌もあれば、口をあまり開けずに幼虫を表す歌もある。
Dでも浅葱名義のソロでも、声は主役を演じるだけでなく、周囲の景色や大勢の登場人物まで作っていきます。
具体的な曲をたどりながら、発声や重ね方の選択が、どんな表現へつながるのかを見ていきましょう。
裏声で、音の高さと景色の広がりを使い分ける
「Bluebell wood」で思い描いたのは、花が一面に敷き詰められた森でした。
あえて波を付けず、平らに広がる声を考え、音量のバランスでもファルセットを前へ出したと説明しています。
裏声は、高音へ届く手段だけでなく、景色を作るためにも選ばれているのです。
歌を強くうねらせると、歌い手の感情や動きが前へ出ます。
その動きをあえて抑えて広がる音を選ぶと、聴き手の前に場面を置くような表現になる。
音を伸ばす場面でも、どれだけ揺らすか、どんな声を前に出すかで、役割が変わります。
「冬椿 ~白妙の化人~」の高いファルセットには、雪女の吐く雪の息というイメージがあります。
同じ裏声でも、森を面として広げる歌と、雪女の存在を感じさせる歌とでは、目指すものが違います。
その声で何を見せているかまで考えると、歌の輪郭が深まります。

画像出典:画像掲載元
「アサギマダラ」では、口の開け方にも物語がある
「アサギマダラ」のAメロでは、幼虫が歌うイメージから、口をあまり開けず、少しこもるような歌い方を選んだと本人は説明しています。
そこから蛹を経て、サビでは成虫が羽ばたく。
歌の進行と、蝶が姿を変えていく過程を重ねていたのです。
明瞭に、大きく、伸びやかに歌うことだけが、表現の正解ではありません。
あえて内へこもる場面があるから、先で外へ向かう気持ちが際立つ。
口の開け方も、全曲を通して同じ状態に保つものではなく、場面を作る選択になっています。
この曲では、歌い出しだけを切り離して評価するより、最後にどこへ向かうのかと合わせて捉えることが大切です。
同じアルバムの「白面金毛九尾の狐火玉」では、最後に高く抜ける部分を、女性である九尾の狐に合わせてファルセットにしたと語っています。
目指す音色は、人間の男性である歌手自身の印象に固定されていません。
役に合う声を探すことが、切り替えの理由になっています。
多重コーラスで、一人の声から群れを作る
ASAGIはオペラの発声を学んだ経験があり、合唱も自分の声で表現することにこだわっています。
「Dark fairy tale」を含むシングルでは、全体で300~400人分に相当する声を重ねたと説明しました。
「慈愛の虜囚」の合唱にも、多くのゴブリンが声を上げるという、人数を増やす理由があったのです。
人数分というのは、実際にその人数の歌手を集めたという意味ではありません。
自分の声を重ね、一人では出せない広がりを録音の中へ作る方法です。
厚い響きを聴いて、そのすべてを一声の強さと考えると、本人の発声と、声を積み重ねた効果が混ざってしまいます。
合唱の音色も一定ではありません。
『愚かしい竜の夢』では、従来のオペラ調とは異なる、細く絞る感覚を本人は説明しています。
ブルガリアの民族音楽に触発された独自の方法であり、現地の伝統的な歌唱法そのものと同一視はできません。
声を重ねる前の一つひとつが変われば、集まったときの印象も変わります。
録音で大きく聞こえる箇所を、一人で無理に再現しようとするより、どんな音色の声がどの役を受け持っているかを追うと、ASAGIの歌と制作の関係が分かりやすくなります。
和の曲では、芯を据えながら言葉を歌う
浅葱名義の『斑』では、芯と重心を保ったままリズムへ乗る感覚を大切にしました。
「妖刀玉兎」では母音を長く使い、刀を手にする場面で静から動へ気持ちを切り替える。
能の謡を思わせる歌にも、場面の変化が組み込まれています。
ここでの芯は、単に力を強く入れるという意味に置き換えないほうがよいでしょう。
動きの多いロックの曲でも、歌う人物がそこに立っているような存在感を保つ。
そのイメージが、本人の声の出し方を導いています。
短い単語を次々に運ぶ歌と、母音の響きで場を作る歌とでは、声の時間の使い方も変わるのです。
古語も、飾りとして選んだ言葉ではありません。
浅葱は、描く時代や世界には、その言葉が必要だと説明しています。
現代語で直接伝える場合とは異なる趣を、音と言葉の両方で持たせる。
意味を知ってから聴き直すと、発音の響きも、登場人物の距離感につながってきます。

画像出典:画像掲載元
荒い声や動物の声にも、感情の流れを付ける
Dの「7th Rose」についても、シャウトやグロウルを、狼の遠吠えや怒り、薔薇の棘といったイメージから選んだと説明しています。
激しい演奏だから荒く歌う、という順番ではない。
声の質感に、物語の中で何かを表す役目を持たせているのです。
「妖狐の嫁入り」では、一曲の最初から最後まで、同じ怒りを叫び続ける形にはしていません。
感情が変わっていく流れを求め、妖狐自身になったつもりで歌ったと話しています。
激しい声を使う場合でも、感情の量をずっと最大にすることとは違うのです。
荒さを一つの効果として扱うと、強い箇所を増やすほど迫力が出ると考えがちです。
しかし、歌の途中で感じ方が変わるなら、声にもその差が必要になります。
きれいな歌へ急に激しい声が入る場面も、音の刺激だけでなく、そこへ至る気持ちを追うと、曲の中での意味をつかみやすくなります。
「ミシュマシュ」では、ロバ、犬、猫、鶏になりきって歌うことに挑戦しています。
録音そのものより、鳴き声の練習に時間をかけたというのが面白いところです。
特に鶏の高い声は、音量を下げてもよく抜けたため、最後までバランスを調整したと話しています。
声を作ることと、曲の中でどう聞かせるかは、別々に考えられていました。
この作品では、勢いを加える掛け声はメンバーで録り、それ以外のコーラスは本人が担当したとも説明しています。
一人で演じ分ける部分と、仲間の声で盛り上げる部分。
その分担も、歌のにぎやかさを支えています。
ASAGIの歌は、一つの美声をどの曲にも当てはめる歌い方ではありません。
裏声、口の開け方、合唱の重ね方、荒い声。
そのどれもが、誰を歌い、どんな場面を作るのかという問いと結びついています。
多彩な声を技の数として数えるところから、声の選択を追うところへ進むと、一曲の中にいる人物や、その周囲の景色まで見えてきます。
Dとソロで制作や歌唱への考え方を広げた歩みは、ASAGI(D/浅葱)の歌唱変遷でたどっています。







コメント