トム・ジョーンズの歌声の変遷|大きな声を、いつ大きく使うのか

2021年の取材に掲載されたトム・ジョーンズ シンガー
2021年の取材に掲載されたトム・ジョーンズ

声は以前より低くなったが、低い音はむしろ力強くなった。
トム・ジョーンズがそう語っていたのは、まだ44歳だった1985年です。
後年の深い声は、ある日突然現れたものではありません。

そして70歳の頃には、高くなると自然に声を大きくしてしまう自分と、もう一度向き合いました。
大きな声を持つ歌手が、その声を抑えることで何を見つけたのか。
トムの変遷をたどる鍵は、力の有無より、その使い道にあります。

最初から、大きなオーケストラの歌手だったわけではない

少年時代のトムが夢中になったのは、ラジオから流れるブルースやゴスペル、そしてロックンロールでした。
ウェールズのクラブでは、自分でアコースティックギターを弾き、カントリーやフォークの曲も歌っています。
やがてバンドの歌手が来なかった晩に代役を務め、エレキギターとドラムを背に歌う喜びを知りました。
声を届ける相手や編成が変わるたび、歌の居場所も広がっていったのです。

1965年の大ヒット「It’s Not Unusual」も、最初から完成したトムらしい形で用意されていたわけではありません。
サンディ・ショウに聴かせるためのデモを歌った本人が、この曲を自分で出したいと望みました。
ただ、当初の曲調は、彼の激しい歌い方に比べて穏やかでした。
そこでピーター・サリヴァンが、声を受け止めるために金管楽器を提案し、レス・リードが編曲へ加えます。
声の勢いを抑えて曲へ収めるのでなく、伴奏のほうを声に合わせて強くする。
後に象徴となる華やかな響きは、そうしてつくられました。

1969年、『This Is Tom Jones』の宣伝写真に写るトム・ジョーンズ(ABC Television)
1969年、『This Is Tom Jones』の宣伝写真に写るトム・ジョーンズ(ABC Television)。
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声が変わっても、新しい曲へ手を伸ばす

1985年の公演では、プリンスの「Purple Rain」や、当時の新しいポップ曲も歌っていました。
声が下がったことを認める一方、昔のヒット曲だけに選曲を閉じてはいなかったのです。
低音の強さと、新しい曲を歌いたい気持ちは両立していました。

その姿勢が大きな成果になるのが、アート・オブ・ノイズとの「Kiss」です。
トムはプリンスの曲を気に入り、まず自分のショーでR&B風に歌っていました。
1987年のテレビ出演でも披露すると、それを見たアート・オブ・ノイズから共演の話が届きます。
新しい世代の曲を、若い歌手の声まねで歌うのではない。
自分が舞台で試した歌を、電子音のグループと録音する。
その順序で生まれた組み合わせでした。

1988年に発表された「Kiss」では、基本の伴奏に自分らしく歌い、残りの音づくりを相手に任せています。
周囲の音が変わっても、歌の中心に本人の声を置く。
後にイーサン・ジョーンズと制作するときにも、トムはこの関係を思い出していました。

1999年の『Reload』では、多くの歌手との共演で、さらに違う音楽へ踏み込みます。
「Sex Bomb」を含むこの時期の成功によって、新しい世代にもトムの声が届きました。

ただ、録音された声に納得できないこともありました。
ミック・ハックネルとの「Ain’t That a Lot of Love」で、声の重みが出ていないと感じたトムは、ブース内で制作側へ直接歌って聴かせています。
新しい音に挑戦することと、自分の声を薄めることは別でした。

ワイクリフ・ジョンとの作品についても、制作中は楽しんだものの、発売後には自分が何を加えたのかを問い直しています。
新しい様式へ入るだけでは、自分の新しい魅力が出るとは限らない。
後の作品が生まれる前には、そうした試行もありました。

2010年、抑えた声で近くへ届く

イーサン・ジョーンズが望んだのは、ごく少ない演奏家と一緒に録音し、声の中心にあるものを取り出すことでした。
それはトムが、ウェールズのクラブで小さなバンドと歌っていた頃にも通じる方法です。
大きな金管や弦楽器に囲まれる前の関係へ戻り、今の声で試してみる。
その協働が、2010年の『Praise & Blame』から始まります。

このアルバムでは、長い年月で低く豊かになった声を生かすため、キー選びに時間をかけました。
ボブ・ディランの「What Good Am I?」では、低いキーと遅めの流れを選び、押し出さずに歌うようイーサンが促します。
音が上がれば声も大きくなる、という習慣をそのまま使わない。
柔らかく歌い切った結果、強く訴える場合とは別の、近くへ語りかける表現が生まれました。

トムはこの時期、フランク・シナトラから、いつもそれほど強く歌う必要はないと助言されたことも振り返っています。
若い頃には、それこそが自分の歌い方だと考えていました。
けれど、力を緩めたほうが、その曲に忠実になれる場合もある。
声の強さを失ったから静かに歌う、という話だけではないのです。

2012年、今の自分が歌う言葉を選ぶ

『Spirit in the Room』では、その方法をゴスペル以外の作品へ広げました。
レナード・コーエンの曲を選ぶ際、「I’m Your Man」は、これまでの男らしい歌手像に近すぎると考えます。
代わりに選んだのが「Tower of Song」でした。
年を重ねて歌い続ける人の感覚が、自分のこととして受け止められる。
何を歌えばトムらしく見えるかより、今のトムがどの言葉を本当に引き受けられるかが、選曲の軸になっています。

続く2015年の『Long Lost Suitcase』には、昔のカセットやレコードをしまったスーツケースから掘り起こした曲も入りました。
「Bring It On Home」など、長く歌いたいと思いながら録音していなかった曲を、ようやく形にする。
新しい魅力を探すことは、知らない曲を次々に増やすことだけではありません。
昔から大切だった歌を、今の声と演奏家で歌う方法もあったのです。

2015年の取材に掲載されたトム・ジョーンズ
2015年の取材に掲載されたトム・ジョーンズ。
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2021年、歌い上げずに語る声も使う

『Surrounded by Time』では、イーサンとの制作が再び方向を変えます。
少人数の生々しい演奏をそのまま続けるのでなく、シンセサイザーと生楽器を組み合わせ、曲ごとに違う空間をつくりました。
伴奏の実験が進んでも、声を別人のように加工して置き換えることは、トムが求めたものではありませんでした。

「Talking Reality Television Blues」では、大きな旋律を歌い上げる代わりに、語る声を選んでいます。
手掛かりは、ハンク・ウィリアムズが別名義ルーク・ザ・ドリフターで残した語りの作品でした。
テレビの歴史を扱う歌の中には、トム自身が見てきた出来事や知っている人物がいる。
自分の経験と結びつく言葉を、歌手としてだけでなく、語り手として届けたのです。

「I’m Growing Old」も、長い時間を経てようやく歌えた曲でした。
ボビー・コールから受け取ったとき、トムはまだ30代で、歌うには若すぎると感じていました。
それを80歳で録音する頃には、言葉と自分の人生が重なっています。
同じ歌でも、歌える音があることと、歌の内容を自分のこととして届けられることは違うのです。

2016年に妻リンダを亡くした後には、もう歌えないかもしれないと感じた時期もありました。
再び歌うために選んだのは、感情がこみ上げる「What Good Am I?」でした。
少人数の演奏家を集め、ホテルの一室で歌ってみる。
2010年に新しい声の使い方を見つけた曲が、今度は、歌い続けることを確かめる曲にもなりました。

2022年のトムは、若い頃より低い声が強く豊かになった一方、昔の録音には歌いすぎたと感じる曲もあると語っています。
けれど、若い頃のすべてを未熟だったとは捉えていません。
24歳で録音した「Autumn Leaves」には、自分でも驚くほど経験を感じさせる節回しがある。
年を重ねれば一方向によくなる、という単純な話でもないのです。
大きく歌える声を持ち続けながら、その曲にはどれだけの力が必要かを考え直す。
そこに、トムの長い歩みをつなぐ変化があります。

キーと音量、低い声、リズムや語りの使い分けは、トム・ジョーンズの歌い方で掘り下げています。

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