ヒスンの歌声の変化には、少し意外な転機があります。
強い声を求めるうちに、もっと軽く歌ったほうが自分の声は生きる、と考えるようになったことです。
ENHYPENでの録音、個人のカバー、EVANとしてのソロ作品。
その歩みをたどると、歌える曲が増えただけでなく、何をよい歌とするかという基準も変わってきたことが分かります。
2020〜2021年――曲の力に応えながら、声の幅を広げる
2020年にENHYPENでデビューしたヒスンは、最初から全曲を同じ強さで歌おうとしていたわけではありません。
「Given-Taken」ではエネルギーと声の印象を大切にし、「Let Me In (20 CUBE)」では歌詞の意味を考えて、言葉を無理に強く言いすぎないようにしたと話しています。
一曲の雰囲気に応える歌と、言葉の気持ちを伝える歌。
デビュー期から、その両方を考えていました。
練習生の頃には、ヨンジュンの歌とダンスを見て、自分の得意な歌だけに満足していては足りないと感じた経験もあります。
評価へ向けて力を伸ばす時期でした。
一方、歌える範囲にはまだ課題もありました。
2021年のKCON:TACT 3で披露した「Very Good」は、普段歌うところよりも高い音が求められ、いろいろな方法で練習した曲です。
高音を任される姿からは、最初から楽に歌えていたようにも見えるかもしれません。
しかし本人の説明には、できるところを使うだけでなく、必要な歌唱へ近づくために練習する過程があります。
2022年前半――細い声に、もっと大きな響きを求めて
2022年1月、ヒスンは自分の声を、もともと細いほうだと説明しています。
そのため、声の響きを大きくし、時には粗さを加えることを意識していました。
「Attention, please!」では、エレクトリックギターに合うよう、勢いのある大きな声を選ぶ。
同じ歌手でも、R&Bの「Just A Little Bit」とは求める声が違います。
細い声をそのまま使うだけでなく、曲に必要な厚みをどう足すかが、この時期の課題だったのです。
ここを押さえると、後の変化が見えやすくなります。
当時の試みを、遠回りや失敗と片づける必要はありません。
強く歌う方法を試したからこそ、自分の声をどこまで変え、どこから自然な響きに任せるかを考えられるようになった、と捉えることができます。

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2022年のカバー――軽さを残すほうが、声に重みが出る
2022年5月に公開した、ジャスティン・ビーバーの「Off My Face」のカバーは、ヒスン個人の歌へ目を向けるきっかけになりました。
尊敬する歌手の、普段から聴いていた曲。
ヒスン自身が自分の声で歌いたいと望んだ選曲で、グループの楽曲とは別に、一人で曲を引き受ける姿を見せています。
その後の本人の説明には、声への考え方の変化が表れます。
以前は声が細いことを気にして厚くしようとしていたけれど、力みをほどいて軽く歌うほうが、かえって歌に重みが出る。
無理に変えすぎない声のよさに気づいたのです。
「Off My Face」を作る過程は、自分が納得できる歌の基準を持つことにもつながりました。
大きい声を出せるようになることと、よい声の条件を考え直すことは、別の成長です。
ここで起きたのは後者でした。
強さを増す方向だけを目指すのではなく、自分の軽い響きにも役割があると分かった。
この発見によって、歌の選択肢が広がったと考えられます。
2023〜2025年――歌う本人が、録音の表情を決めるようになる
2023年の『DARK BLOOD』では、声を選ぶ仕事が録音全体へ広がります。
「Bite Me」では歌のリズムや細かなニュアンスを考え、メンバーの録音にも関わりました。
自分の歌でも、先生と相談しながら「Bills」と「Karma」の方向を決めています。
指示された歌を完成させるだけでなく、この曲はどんな声であるべきかを、本人が判断するようになったのです。
2024年には、その変化を自分でも振り返っています。
初めは与えられたことを完璧に行うのが目標だったけれど、経験を重ね、録音について理解できることが増えると、違う試みができるようになった。
歌う技術が、録音で新しい案を出す力につながっています。
自身の制作曲「Highway 1009」でも、すぐに形ができたことと、満足できる作品になることは別でした。
最初のデモは短時間で作れたものの、納得するまでには時間がかかったと話しています。
整ったメロディーを作るだけでなく、気持ちが伝わるかを考える。
声を自分で選ぶ姿勢が、曲を作るところにも及んでいます。
2025年、Coachellaを経験した後には、メンバーと公演を準備する喜びと、アルバムや舞台へもっと深く関わりたいという責任感を語りました。
同年の「Helium」を勧めた理由も、ライブで歌う姿を想像した時のエネルギーです。
スタジオで完成した歌を、その先の舞台でどう届けるか。
歌い手としての視野は、録音の外にも広がっていました。
公演は完成した音源を再現するだけの場所ではなく、メンバーと話し合い、準備して形にするものでした。
その作業を観客が受け止めてくれた実感が、次の作品へもっと関わろうとする気持ちにつながっています。
2026年、EVANへ――自然な声を知ったうえで、新しい荒さに挑む
2026年にはENHYPENを離れ、EVANという名義でソロ活動へ進みます。
EVANは、幼い頃から使ってきた名前でした。
新しい名前を付けて別人になるというより、自分が大切にしてきたものを、音楽として届ける出発でもあります。
ソロの制作で引かれていたのは、バンドの生々しさでした。
整い切った音とは違う、少し不揃いなところもある音楽の力。
本人は制作へ使う時間も増え、さまざまな作り手と曲を試すようになったと話しています。
これまでの経験を使いながら、まだ自分にない表現を探す時間が増えたのです。

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6月22日にEVANとしてソロデビュー。
その「Ride or Die」で求めた、大きく荒い声は、本人にとって慣れた歌い方ではありませんでした。
高い声を使う展開にも練習が必要だったといいます。
自然な軽さを見つけた歌手が、今度は自分から、いつもの声では収まらない曲へ向かったのです。
ソロの第一歩の先にも、声を選び直す過程がある
続く『DEATH OF ME』の表題曲にも、簡単には済まなかった高音がありました。
デモの時には出た音が、後で同じように出せない。
本人は練習を重ね、歌えるところまで持っていったと話しています。
一方、アルバムでは「Twilight」のような明るくくつろいだ歌も扱い、自分の持ち味を生かす声を意識しました。
新しい歌い方へ挑むことと、よく知る声を生かすことが、並んでいます。
9月の作品発表でも、EVANの音楽は、ENHYPEN時代とすべてを切り離すものではありませんでした。
暗さや強いパフォーマンスにはつながりがありながら、曲の中へ自分の経験や考えを入れていく。
何もかも新しくするより、これまでの声で、誰の物語を歌うかが変わっているのです。
全8曲の制作へ参加したこの作品では、現在の自分だけでなく、幼い頃からの考えや価値観も題材にしました。
ソロ転向という一つの出来事だけで全曲を説明せず、以前から続く本人の物語として捉えたい作品です。
ヒスンからEVANへの変遷を、細い声が太くなった、という一本道では説明できません。
厚みを求め、軽さを見つけ、録音の表情を選び、必要なら慣れない強い声にも挑む。
一度できた高音も練習し直しながら、曲にふさわしい自分の声を探し続けています。
変わってきたのは声の使い道と、それを選ぶ本人の基準なのです。
声の軽さや言葉の運び、曲による強い声の使い分けは、ヒスン/EVANの歌い方で掘り下げています。

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