大木伸夫の歌声の変遷|荒々しいロックから、バラードを自分の強みと呼べるまで

2019年の大木伸夫 シンガー
2019年の大木伸夫

大木伸夫は、激しい曲を歌ってきたACIDMANが、スローバラードでも客席を惹きつけられるようになったことを喜んでいます。
2025年の武道館公演を振り返る言葉には、歌い手としての確かな手応えがありました。

その手応えは、どのような挑戦から生まれたのでしょうか。
歌い直した作品や、普段と違う舞台での経験をたどります。

ギターを弾きながら歌う、という出発点

ACIDMANが現在の3人編成になったのは、ボーカリストが脱退した1999年です。
それまでギターを担当していた大木が歌も引き受け、2000年にインディーズ盤の「赤橙」、2002年にはメジャーでアルバム『創』を発表します。

大木には、高校時代に別のバンドでボーカルだけを務めた経験がありました。
歌うこと自体より難しかったのは、ギターを弾く動作と歌を同時に進めることです。
3人で成立するのかという不安も、スタジオで合わせ、実際にライブをする中で変わっていきました。

初期から同じ歌い方を続けていたわけでもありません。
2005年に「赤橙」を振り返った大木は、インディーズ盤とメジャー盤では録音をやり直し、編曲だけでなく歌い方も変わったと説明しています。
本人の捉え方では、後の歌唱のほうが大人びたものになっていました。
同じ曲名でも、出発時の録音と、歌い直した録音を分けて考える必要があります。

『創』の若い声を、後年の自分はどう聴いたか

2019年、『創』の再現ツアーを前に、大木はアルバムを改めて聴き直しました。
そこに感じたのは、日々への不満を抱え、諦めたようでいて希望を手放せない若者の声です。
粗さを認めながらも、その率直さや若々しさには好意を寄せていました。

当時は、多くの人に理解してほしい一方、分かりやすい言葉で共感を求めることには抵抗があったといいます。
抽象的な情景を好んだ姿勢は、若い声の距離感とも結びついていました。
後年の本人が昔の歌唱に照れを感じても、メロディーや言葉まで否定していないところが面白い点です。
昔の歌にも、今とは異なる価値を見いだしていました。

「季節の灯」で、恥ずかしくても試してみる

2012年には「Under the rain」を弾き語りで試し、感情を込めやすく、旋律の魅力も伝わると感じていました。
激しい曲を歌い直すことは、その曲の別の良さを見つける試みにもなっていたのです。

2015年の『Second line & Acoustic collection Ⅱ』では、すでに発表した曲を別の形へ作り替えています。
「季節の灯」は当初、バンド編成で録る予定でした。
ところが一度通してみると、原曲との違いが乏しく、収録自体をやめようという気持ちになります。

そこでディレクターとマネージャーが提案したのが、弾き語りでした。
大木はためらいながらも試す価値を感じ、録ってみた結果を肯定しています。
この時の本人は、自信を得たからできたのではなく、恥をかいても構わないと思えたのだと説明しました。
元の曲を別の伴奏に載せる作業が、自分の歌をより露わにする選択にもなったのです。

2015年の取材時の大木伸夫
2015年の取材時の大木伸夫。
画像出典:画像掲載元

同じ2015年の「897 Sessions」では、ギター一本で登場し、小林武史のピアノと「ALMA」を歌う場面もありました。
バンドの外で歌う経験は、この頃から具体的な舞台となっていきます。

小林に声を評価され、ボーカリストとして招かれたことは、大木にとって大きな出来事でした。
ギターボーカルとして活動してきた自分に、歌い手として声がかかった喜びを、後年の対談でも語っています。

ギターを置くと、一つひとつの言葉へ集中できた

2017年に始まった「ROCKIN’ QUARTET」は、NAOTOらの弦楽四重奏を背に、大木がボーカルだけを担う企画です。
2018年の対談で大木は、普段と大きく違う心持ちで歌っていると語りました。

ACIDMANでは、歌だけでなくバンド全体への責任も引き受けています。
この舞台では、伴奏をNAOTOたちに預け、ギターを弾かずに歌へ集中できる。
それによって、一つずつの言葉へ気持ちを込め、自由に音楽へ入り込めるといいます。
編成が変わったこと以上に、歌う時に意識を向ける先が変わった経験でした。

2017年の「ROCKIN’ QUARTET」
2017年の「ROCKIN’ QUARTET」。
画像出典:画像掲載元

悲しみに寄り添うバラードへ

「愛を両手に」を発表した2017年、大木は、若い頃には格好よさを優先し、バラードを歌うことにも抵抗があったと振り返っています。
音楽を続ける意味を問い直す中で、人に何を伝え、どう心を動かすかへと関心が向かいました。

「愛を両手に」は、祖母との別れから生まれた曲です。
個人的な体験を出発点にしながら、聴く人にもそれぞれの思いを重ねてほしいという願いを、大木は発表時の文章に残しています。
また、このシングルではバンドとして初めて外部プロデューサーに小林武史を迎えました。

この頃は、伝えたいことが明確なバラードには、子どもにも届く言葉を選びたいと話していました。
抽象的な表現の魅力は残しながら、悲しみを抱える人へ直接語りかけることも引き受ける。

激しさを残したまま、遅い歌にも手応えを得る

この歩みは、激しいロックを卒業する話にはなりません。
2025年の『光学』には、映画『ゴールデンカムイ』の主題歌「輝けるもの」と、ドラマ版のエンディングを担ったバラード「sonet」が共に収められています。
当初は穏やかな曲を先に出す構想もありましたが、映画側からの激しい曲という要望が「輝けるもの」へつながりました。

2025年の武道館では、「sonet」からのバラードの場面に四家卯大ストリングスが加わりました。
後から映像を見た大木自身が、その場面の歌と演奏に強く心を動かされたといいます。
長く歌ってきたことが、本人の評価の変化にも表れています。

かつて抵抗を感じたバラードを、今は自分たちの強みと呼べる。
その手応えには、長い活動の中で、声をさらすことや他の演奏者へ委ねることを試してきた歌い手の歩みが重なっています。

曲によって声の勢いや息の感じをどう使い分けるのかは、大木伸夫の歌い方で詳しく見ていきます。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました