末吉秀太の歌声の変遷|踊る楽しさから、自分の言葉で人生を歌うまで

2016年3月のソロイベント。撮影:田中聖太郎 シンガー
2016年3月のソロイベント。撮影:田中聖太郎

末吉秀太は、最初から歌うことが好きだったわけではありません。
ダンスに夢中だった青年が、歌にも本気になり、やがて一人の声で舞台を作るようになりました。

その歩みをたどると、歌の変化は「上手になった」という一言では収まりません。
人を驚かせる物語の中で歌っていた声に、自分で作った言葉や旋律が加わり、聴き手へ届けるものも変わっていきます。

2019年のツアー映像

ダンスが入り口だったからこそ、歌にも本気になれた

原点は、長崎県佐世保市で目にしたブレイクダンスでした。
中学生のころ、公園で踊る人たちに衝撃を受け、自宅でも布団を集めて練習したといいます。
ダンスを通じて人とつながるうちに、人前に立つことへの抵抗も薄れていきました。

AAAにつながるオーディションの合宿では、ダンスに加えて歌や演技の基礎を学びます。
本人は、表現をジャンルで区切らず、自分ならではのものを作りたかったと振り返っています。
好きではなかった歌にも、取り組むうちに熱が入っていった。
歌への意欲は、ダンスから離れることで生まれたのではなく、表現を広げたいという思いから育ちました。

AAAでは、異なる声のメンバーが一曲を歌い継ぎます。
2014年のアルバム制作では、宇野実彩子と與真司郎も、個人の好みとグループに必要な曲を分けて考えるようになったと話していました。
その集団の中から、末吉自身の世界を一人で見せる活動が、少しずつ形になっていきます。

2016〜2018年、歌声が一つの舞台を動かし始める

2016年3月の初ソロイベントは、その出発点をよく示しています。
オリジナル曲「Switch」「to.ri.ca.go」を披露する一方、ギタリストのKBとバラードのカバーも歌いました。
劇を交えたダンスや観客と踊る時間もあり、歌だけ、ダンスだけという区切りを越えた公演になっています。

当時は、まだ自分の曲を増やし、次は別の形で披露したいと話していた段階でした。
歌の種類が増えれば、舞台で見せられる場面も増える。
ここには、その後のソロ活動につながる発想がすでにあります。

2017年の「AsiaProgress」では、「Sad Story」で切ない気持ちを表し、「to.ri.ca.go」では挑むような歌へと転じています。
曲が変われば、人物も変わるように歌う。
ソロ初期から、そうした幅が舞台の持ち味になっていました。

2018年の初アルバム『JACK IN THE BOX』を携えた武道館公演では、その発想がさらに大きな形になります。
本人が映画を見るような気持ちで楽しんでほしいと語った舞台で、「My First Love」の歌は、物語を描く映像と結びつきました。
歌唱は一つの見せ場として完結せず、次の場面へ観客を運ぶ役割も担っています。

その「My First Love」では、ピアノとともにファルセットを聴かせています。
ダンスで人を惹きつけてきた表現に、柔らかな裏声で会場を聴き入らせる時間があったことも、この時期のソロを捉える大切な点です。

2018年4月、日本武道館で歌う末吉秀太
2018年4月、日本武道館で歌う末吉秀太。
画像出典:画像掲載元

2019〜2020年、「HACK」で届いた親しみやすさ

2019年の『WONDER HACK』では、ライブを先に思い描いて作品を作る方針が、本人の言葉でもはっきり示されます。
当初の収録予定は5曲でしたが、考えている舞台には足りず、インスト曲を含む8曲へ増やしたといいます。
作りたい時間に合わせて歌を増やす発想が、作品の規模にも表れています。

同じ時期には、ISSAとの「Over “Quartzer”」も発表しています。
AAAとは別の歌い手と声を重ねる仕事が加わる一方、ソロでは「WILD」のラップから「Human」のアコースティックな歌まで、曲の幅が広がっていました。

そして「HACK」が、クールな印象に親しみやすい表情を加えます。
2019年のアルバム曲として発表された後、2020年にはTikTokを通じて広く知られるようになりました。
早口で繰り返される言葉と、体を動かしたくなる曲の作りが、短い動画とも結びついたのです。

ただし、流行した時点で急に歌い方を変えたわけではありません。
その前からライブでは、観客が一緒に跳ねて楽しむ曲でした。
舞台の中にあった一つの表情が、後から大きく外へ届いた出来事として見ると、この曲の位置づけが分かります。

舞台が遠のいた時間に、自分の旋律を持つ

2020年の『prêt-à-porter』にも、踊れる音楽を軸にしながら、「SO-RE-NA」のポップさや「KANAU」の前向きな表情を盛り込む姿勢が続いていました。
ところが、作品を観客の前へ持っていく計画は、予定どおりには進みません。

感染症の拡大により、2020年のツアーは多くの公演が中止となり、一部は2021年へ振り替えられました。
2021年7月の最終公演では、観客が声を出せない状況でも、手拍子を教えて一体感を作っています。
声援が返ってくることを前提にせず、その場で歌と人をつなぐ方法を探した時期でした。

同年9月に発表した「灯蛾」は、本人にとって初めて作曲を手がけた作品です。
それまでの歌唱や作詞に、旋律を作る仕事が加わりました。
この曲は、後のアルバム『Bifröst』にも収録されます。

ここからの変化は、発表曲の数だけでは捉えられません。
用意された歌をどう自分の声にするかに加えて、自分が歌いたい言葉と音を、曲の始まりから考える段階へ入ったのです。

2024年、空想の舞台に自分の人生が重なる

2024年12月、ツアー最終公演の末吉秀太
2024年12月、ツアー最終公演の末吉秀太。
画像出典:画像掲載元

2024年の『Bifröst』では、全曲の作詞作曲に携わりました。
末吉は以前の制作を、用意された土台に色を加える仕事にたとえています。
それに対し、このアルバムでは、自分の言葉や欲しかった音を集めて形にしたと説明しました。
共同で作る人の力を借りながらも、歌を生み出すところから関わる範囲が大きくなったのです。

活動が思うように出来ない時間に制作を重ねた結果、生きることや人生観を扱う曲が増えていました。
「灯蛾」を経て、声で演じる物語に、自身の考えてきたことがいっそう深く重なります。

本人にとっては、作ったときの寒さや雨、虫のいた情景まで、一曲ごとに結びついていました。
歌う前から自分の経験と音がつながっている。
そこに、提供された曲へ表情を加えていたころとは違う、歌の出発点があります。

2024年12月のツアー最終公演では、その変化が歌の届け方にも表れていました。
「Herb」では言葉ごとに感情を込め、終演へ向かう「ノチハレ」はファンと歌っています。
人生について語りかけた後に歌を渡す構成によって、空想の世界を楽しむ時間と、同じ時代を生きる人同士の時間がつながりました。

2024年のツアー映像

SHUTA.になっても、一つの声には収まらない

2026年7月、ソロ名義をSHUTA.へ変更し、新レーベルI.N.C-を立ち上げます。
ただ、名義が変わった日を、歌声が一変した日と考える必要はありません。

本人が示したのは、ジャンルを先に決めず、そのとき良いと思う音楽を探していく姿勢でした。
年齢を重ねるほど新しい挑戦を避けるのではなく、未経験のことを表現へ返していきたいと話しています。

9月の初ライブでは、以前の曲と新曲が同じ舞台に並びました。
新曲「クラクルール」では速い言葉が前へ出て、「夏のとなり」にはファルセットが交じる。
新しい名義でも、異なる声の表情を行き来する幅は残っています。

ダンスから歌へ、舞台の物語から自分の言葉へ。
末吉秀太の変化は、過去の魅力を捨てて別人になることではありませんでした。
踊って楽しませる歌の隣に、静かに気持ちを託す歌を置き、その両方を自分で作るようになった。
その積み重ねが、現在の声を支えています。

曲ごとの声の違いは、末吉秀太の歌い方でも詳しく取り上げています。

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