レイ(RAYE)の歌声の変遷|ダンス曲の歌い手から、舞台を率いる表現者へ

2023年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE) シンガー
2023年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE)

レイ(RAYE)の歌声の変化を追うと、ダンス曲で知られた歌い手が、オーケストラや合唱を率いて自分の物語を語るようになる過程が見えてきます。
その個性は、独立した瞬間に生まれたものではありません。
以前から好きだった声の響きや音楽を、自分の作品へ取り戻すこと。
そして、舞台で表現できることを増やすこと。
その二つが重なり、今の歌につながっています。

2016〜2017年、ダンス曲の奥にあったゴスペルと声への憧れ

「By Your Side」や「You Don’t Know Me」への客演で注目された頃から、RAYEの音楽の根には教会がありました。
父が鍵盤を弾く教会でゴスペルを聴き、家でも音楽に囲まれて育っています。
2017年の取材では、当時出している曲にその影響が強く聞こえなくても、ゴスペルの開放的な感情表現は自分の大きな一部だと説明していました。

2017年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE)(写真:Jason Williamson)
2017年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE)(写真:Jason Williamson)。
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若い頃から惹かれていたのも、エタ・ジェイムズやニーナ・シモンらの、声そのものが持つ音色でした。
後年のジャズやソウルに近い歌唱にも、こうした下地があります。
当時の曲と本人の好みには、すでに距離がありました。

一方、当時の活動を後から振り返った本人は、短期間でヒットを出すことや、大きなフックを作ることが優先され、自分は仮面を着けているようだったと話しています。
歌う機会があることと、歌いたい内容を自分で決められることは、同じではありませんでした。

2020年、踊れる曲の中へ自分の失恋を持ち込む

『Euphoric Sad Songs』には、失恋から立ち直るまでの過程を残そうとしていました。
冒頭の「Love Me Again」は、ツアー中に泣きそうになりながら何度も歌っていた曲です。
最後の「Love of Your Life」へ進む頃には、新しい出会いを考えられるようになる。
その順序にも、当時の感情を託していました。

「Walk On By」では、別れ際の具体的な出来事を曲にできるまで、一年を要したといいます。
声を貸すだけの役割から抜け出したい気持ちが、独立後に初めて生まれたわけではないのです。
ダンス曲を歌っていた時期にも、自分の経験を一つの作品として渡そうとする試みはありました。

2021〜2022年、自分で言葉を選ぶ声になる

2021年にレーベルとの関係を終え、翌年「Hard Out Here.」を発表します。
曲の土台は、19歳の頃にマイク・サバスと作っていた別の歌のビートでした。
そこへ新しい言葉を書き、リビングの簡易スタジオで、抑えていた怒りを形にしていきます。
過去の制作物を捨てるのでなく、今の自分が語るために作り替えた曲でした。

本人はそれまで、誰にも自分自身を気に留めてもらえない、貸し出される声のように感じることがあったと明かしています。
「Hard Out Here.」で始めたのは、自分が何を経験し、何を言いたいのかを前に出すことでした。
力強い歌の背景には、自分の表現を自分で引き受ける、怖さも伴う選択があります。

ここを歌声の転機として見ると、変化は単に声量が増したことには収まりません。
誰かの曲を成立させる声から、自分の事情を聴き手に伝える声へ、歌の役割が変わったのです。

2023年、同じアルバムの中で声の役割を広げる

2023年2月、ようやく最初のアルバム『My 21st Century Blues』が届きます。
本人はこの年、制作中心だった生活から、数多くの公演を行う生活へ変わったと話していました。
自分の作品を聴いてもらうだけでなく、その作品を持って人前に立つ時間が急に増えた時期でもあります。

アルバムには、電子音のダンス曲「Black Mascara.」がある一方、「Buss It Down.」にはピアノとゴスペルの合唱が置かれています。
RAYE自身も鍵盤や制作に関わり、管楽器や弦楽器の編曲を担っていました。
声の周囲にある音まで、自分の表現として考えられるようになったのです。

同年4月のTiny Desk Concertでは、アルバムの曲を小編成のライブ用に組み直しました。
ジャズのスキャットやゴスペルの節回しを交え、最後の「Buss It Down.」では客席にも歌を教え、応答してもらいます。
録音された一つの声を聴かせるだけでなく、その場で別の声を呼び込む歌い手の姿が現れていました。

ダンス曲で覚えられた声が、客席とのやり取りを動かす声になる。
幼い頃から親しんできた音楽が、ここでは歌い方と舞台の作り方の両方に表れています。

2023〜2024年、オーケストラとともに歌を作り直す

2023年のロイヤル・アルバート・ホール公演に続き、2024年3月にはロンドンのThe O2で『My 21st Century Symphony』を披露しました。
ヘリテージ・オーケストラとFlames Collectiveを迎え、「Black Mascara.」にも弦と合唱による大きな起伏を加えています。
元のダンス曲を残しながら、声が動ける舞台を広げる試みでした。

この公演では、音を細かく動かす歌い回しやスキャットが大きな会場へ広がった一方、「Ice Cream Man.」は別の重さを持ちました。
本人は歌うことが楽になる曲ではないと語り、その日の客席の女性たちへ言葉を向けています。
舞台が大きくなったことは、個人的な話を遠ざける理由にはなりませんでした。

2023年、ロイヤル・アルバート・ホール公演。

2024年の「Genesis.」では、伝えたいことを収めるため、七分の長さを選びました。
R&B、ジャズ、ブルースなどを行き来し、内側の苦しさから光を求める表現へ進みます。
一定の印象のまま曲を終えるより、一曲の中で感情の行き先を変えていく構成になりました。

その歌は、一度で出来上がったものではありません。
本人は四か国で約12回も歌を録り直したと明かしています。
もとは二部構成で、最初から自分が歌う前提でもなかった曲を、自分に必要な表現として引き受けたのです。
自由を得た後も、どの声なら気持ちに届くかを探す作業は続いていました。

2025〜2026年、複雑さを自分の持ち味として引き受ける

2025年の「WHERE IS MY HUSBAND!」について、RAYEは13歳頃の自分とのつながりを感じています。
短い場所へ言葉をたくさん入れ、複雑な旋律を作りたがっていた頃の性格が、人気を集めた箇所に戻っていたからです。
単純に整えることばかりを求めず、その細かな動きも自分の音楽として残せるようになりました。

同時に、2026年の本人は、5〜6年前の自分には今の舞台でしていることは到底できなかったと振り返っています。
もともとの個性が見えるようになっただけでなく、練習と時間によって歌えることも増えていた。
自由と技量の両方が、その声を支えるようになったのです。

2026年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE)(写真提供:Audemars Piguet)
2026年の取材記事に掲載されたレイ(RAYE)(写真提供:Audemars Piguet)。
画像出典:画像掲載元

2026年の『THIS MUSIC MAY CONTAIN HOPE.』では、一つの音楽性に絞るよう求められてきた過去を踏まえ、多くの表現を好きなこと自体を強みとして扱いました。
その方向を後押ししたのは、前作のツアーで見た観客の涙です。
自分の痛みを打ち明けるだけでなく、それぞれ事情を抱えた人へ、希望を渡せる歌を作りたくなったといいます。

「Click Clack Symphony.」ではハンス・ジマーと組み、映画音楽のような終盤まで含む長い展開を選びました。
本人が望んだのは、オーケストラを飾りとして足すことではなく、その発想を作品の中へ深く入れることです。
また、聴き手が自分でも繰り返し口にできる言葉を届けたいという意識も語っています。

姉妹のAbsolutely、Ammaと歌う「Joy.」も、その作品の一曲です。
一人の体験から始まった歌が、家族と声を合わせ、観客にも渡す歌へ広がっています。

RAYEの変遷には、何もかもを捨てて新しい歌手になったという区切りより、以前から持っていたものを生かせる場所が増えていく連続性があります。
ゴスペルへの親しみ、細かい言葉の動き、自分のことを語りたい気持ち。
それらを支える歌唱力を育てながら、今では舞台全体を使って届けているのです。

高音や語り口、重ねた声の具体的な働きは、レイ(RAYE)の歌い方で掘り下げています。

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