高野寛の歌い方|ギターを持ち、言葉が届く場所を探す

2017年の高野寛アーティスト写真 シンガー

高野寛は「ハンドマイクだとあまりうまく歌えない」と、自分で話している。
大ヒット曲を持つ歌手としては意外な言葉かもしれない。
だがギターを持ち、歌詞を声に乗る形まで考える人として見れば、納得がいく。
「ベステンダンク」を歌う人の技術を高音や声量だけで説明せず、本人が大切にしている言葉、楽器、曲の形から見ていこう。

歌詞が聞き取れるように、アクセントから考える

高野は忌野清志郎を日本語ロックのお手本に挙げる。
清志郎が歌詞カードなしでも言葉を聞き取れるように歌い方を研究し、日本語のアクセントと旋律をなるべく一致させていたことに、影響を受けたと話している。
高い音を出す前に、その音へ乗せる言葉がどう聞こえるかを考える姿勢だ。

これが最もはっきり表れる例が、『A-UN』に収録した「時代は変わる」である。
高野は既存の直訳に興味を持ちながらも、日本語をそのまま詰め込むと字余りの感覚が残ると感じた。
自分の歌として置き直せないかと訳を始め、一年ほどライブで歌いながら言葉を調整している。
詞を書いたら終わりではなく、歌ってみて言葉と旋律のかみ合わせを確かめるのだ。

2019年取材時の高野寛
2019年の本人取材で撮影された高野寛。
写真出典:CDJournalの本人取材

「ベステンダンク」で、一行の実感を選び直す

「ベステンダンク」は、相手へ届かないかもしれないと知りながら、それでも声を届けようとする歌だ。
高野は長く歌う中で、目指す場所までの距離を表す一行を、自分の実感に合わせて変えてきた。
大切なのは、いつでも明るく前向きに聞かせることではない。
まだ到達していないけれど、以前より近づいたと思える。
その感覚を言葉にするから、同じ曲でも歌う理由が現在につながる。

声の強さを一段上げるだけでは、希望とためらいの細かな違いまでは決まらない。
いまの自分が何を確信し、何を言い切れないのか。
歌う言葉をそこまで確かめる姿勢が、高野の表現を支えている。
2019年にどの一行をどう変えたかは、高野寛の歌唱変遷で詳しく追っている。

音程を合わせることと、歌の表情を残すこと

高野は、最初から自然に歌を録れた人ではない。
本人が書いたデビュー時の回想では、「See You Again」の歌入れで、合っているつもりの音程が、聴き返すと高くなっていたという。
後からヘッドホンの音量を上げすぎていたと気づいたそうだ。
うまくいかない理由が、声を出す力だけにあるとは限らない。
自分にどう音が聞こえているかも、歌を作る条件だったのである。

さらに2023年のセルフライナーノーツでは、かつては正しい音程に気を取られすぎて、歌のニュアンスが平坦になりがちだったと振り返っている。
歌っている本人は、どの歌い方がよいのか分からなくなる。
外から冷静に判断するプロデューサーがいたことで、安心して思いを歌へ込められたという。
技術の正確さを確かめる耳と、その場で表現する自分を、一人で抱え込みすぎない方法だったのだ。

同じ文章で高野は、宅録の作品を一晩置き、翌日に聴き直してから整える手順も説明している。
録った直後の達成感から少し離れると、聞き手として気になる部分が見えてくる。
歌詞が届いているか、整えるうちに表情まで消していないか。
その両方を確かめることが、高野の言う自然な歌へつながると考えられる。

ギターは、歌のそばに置く楽器

高野にとってギターは、歌の前に飾る小道具ではない。
本人はフロントでハンドマイクを握るより、ステージではギターを持っていたいと話す。
シンガーであると同時にギタリスト、サウンドクリエイターでもあるという自己認識が、舞台の立ち方に表れている。

2019年の『City Folklore』では、プロデューサーの冨田恵一に音作りを大きく委ね、自分は歌とギターに集中した。
高野が渡したデモは、ギターと歌に軽いリズムを加えた簡潔なもの。
戻ってきた意外なアレンジへ、自分の声をどう乗せるかが新しい仕事になった。
音を全部自分で決めないことで、歌唱表現を掘り下げられたという本人の手応えが興味深い。

2019年にバンドと共演する高野寛
2019年の公演でバンドと演奏する高野寛。
写真出典:音楽ナタリーの2019年ライブ報告

今の街を歌うなら、今の言葉を使う

『City Folklore』の「Wanna be」では、本人はSNSの時代にさまざまな価値観が入り交じることを歌ったと説明する。
十年後には古く聞こえるかもしれないと承知しながら、「今の記録」として書くことを選んだ。
「Tokyo Sky Blue」でも、同じ「青」が空の色にも沈んだ気分にもなることを考え、東京の日常を言葉にしたという。

高野は冨田との制作で、自分のデモを予想外の音に変えてもらう一方、歌詞で2019年の街の実感を表現したと話している。
何を歌うかを作品ごとに決めることも、彼の歌い方を形づくっている。
昔のシティ・ポップらしい風景を借りるだけでは、いま自分が住む街の歌にはならないのだ。

曲に合わせて、歌える高さも形も探し直す

高野が矢野顕子に提供した「ME AND MY SEA OTTER」を自分で歌うときは、元の歌手と同じようにはいかない。
歌詞もコードも覚え直し、自分に無理のないキーを探し、編曲のリズムやコードも手を入れたという。
自作曲だから自動的に歌えるわけではない。
誰のための旋律だったかを踏まえたうえで、自分の口とギターに合う形を一から組み立てる。

この話はカラオケで原曲の高さを競う発想とは逆だ。
高野がやったのは、曲を自分の歌として成立させるための選び直しである。
一方でキーだけ変えれば歌い方が完成するわけでもない。
歌詞を体に馴染ませ、編曲と声の出番を合わせて初めて、一つの演奏になる。

『A-UN』では、歌とバンド演奏を同時に録る方法も選んだ。
本人の制作回想によれば、基本となる録音は三日間で終え、一本のマイクに皆で向かってコーラスを重ねる場面もあったという。
一人ずつ完成した音を持ち寄るだけでなく、同じ場所で相手の声や演奏へ応じる作り方だ。
歌詞とキーを準備した先に、人と一緒に歌う時間がある。

その「ME AND MY SEA OTTER」には、坂本美雨をゲストボーカルに迎えた。
矢野顕子のために書いた曲を、自分の声へ引き寄せながら、別の声とも分け合っている。
提供曲を一人で取り返すようなセルフカバーではなく、現在の仲間との演奏として育て直したのである。
歌いやすい高さを探す作業も、そのアンサンブルの中で言葉をどう届けるかという判断につながっている。

「ベステンダンク」の明るさも、声を張る一瞬だけでできているのではない。
言葉が聞き取れる位置を探し、ギターとともに歌い、年月がたてばその言葉を自分の実感へ引き寄せ直す。
高野の歌い方は、録音を一回完成させて終わらせないところに個性がある。

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