フレデリックの三原健司を「高い声で速い言葉を歌う人」と覚えているなら、「FEB」の話は少し意外だろう。本人は、冬の冷たい空気の向こうに光が見える感じを声で表すため、地声とファルセットの割合まで考えたという。一方、ライブの「オドループ」では、旋律を歌う代わりにその場の言葉を差し込むこともある。同じ声の人が、なぜ曲によってこんなに違う判断をするのか。音域の広さより、歌に何の役割を与えるかに注目すると見えてくる。
「オドループ」の反復を、歌と会話の両方にする
「オドループ」の短い言葉と反復するリズムは、健司の声を一つの打楽器のように聴かせる。2022年のラジオ取材で本人も、フレデリックの歌は言葉を「刻む」という問いかけに同意していた。速く歌うことだけが技巧だとは考えていない。往年の歌のように音を長く伸ばすほうが、ボーカルにはむしろ大変な場合があるとも話している。
ここで重要なのは、彼の歌を「早口だから難しい」とだけ説明しないことだ。短く区切られた言葉がバンドのビートと噛み合う曲と、一つの音を保って情緒を届ける曲では、必要な判断が違う。三原はもともと速い曲ばかり歌っていたわけでもない。メジャーデビュー前には、今よりゆったりした曲も多かったと明かしている。
ライブでは、この反復が固定した作業にならない。『THE FIRST TAKE』の「オドループ」一番Aメロで、健司はその場に向けて言葉を発する。本人によれば、これはあるライブで突然話し始めたことから生まれ、バンドのメンバーが演奏を少し変えるのと同じライブアレンジだ。観客がそれを待っていると感じると、逆に普通に歌うこともある。どちらも曲を崩すためではなく、目の前の場を動かすための選択である。
2022年のラジオでは、バンドの音源は仕掛けを詰め込むことがある一方、ライブではある八小節を十六小節に伸ばしたり、ギターソロを変えたりできると話している。これは、すべてのライブで「オドループ」の長さを必ず変えるという意味ではない。ただ、録音で固定された構成をそのまま繰り返すだけがフレデリックの演奏ではない。声のアドリブが入る余地も、その場に合わせて動くバンド全体の発想とつながっている。
歌うのか、話すのかを選ぶには、何を先に用意し、何を現場に残すかも大切だ。健司は「楽しくないと呼びかける言葉が出ない」と話している。あらかじめ決めた合いの手を毎回同じ場所で入れるのとは違う。メンバーや観客の反応を受けながら、その一節を歌のまま保つこともできる。反復の強い曲に変化を持ち込めるのは、土台がしっかりしているからだ。

「USO」では、感情を叫ぶ人ではなく語り手になる
短い言葉を押し出す歌だけが、健司の歌い方ではない。2015年の「USO」について本人は、歌の焦点が一人の人物に当たらないなら、歌う自分は物語の語り手でもよいと考えたと説明した。歌謡曲を思い描き、息を多めに含めた声を試している。
これは、息が多い声のほうが必ず「優しい」などという単純な話ではない。誰の目線で歌うかを決め、その距離感に合わせて声を置いたということだ。言葉を聴き手へまっすぐ打ち込む「オドループ」と、情景を少し離れた場所から見せる「USO」。歌の主人公との距離を変えられるところに、声の使い分けがある。
同じ『OTOTUNE』の「ハローグッバイ」は対照的だ。メンバーの脱退を経験したバンドが前へ進む意志を伝える曲で、健司は自分たちのメッセージを直接歌うことを選んだ。作詞や編曲が変われば、同じ歌手でも言葉の差し出し方を変える。息の量だけを取り出して「三原健司の歌い方はこれだ」と決めることはできない。
「かなしいうれしい」は、二つの感情を歌い分けない
「かなしい」と「うれしい」という反対の言葉が並べば、一方を暗く、もう一方を明るく歌いたくなるかもしれない。だが健司は2017年の取材で、そのように分けると、この曲の複雑な感情が単純になってしまうと話している。悲しさの中にも嬉しさがあり、嬉しさにも寂しさが混じる。そこで二つの言葉を同じ感情で歌うことにしたという。
歌詞の意味を声でそのまま説明するのではなく、声のニュアンスをあえて大きく切り替えない。聴き手がどちらか一方の気分に決められない余白を残す選択だ。これは「USO」で語り手の距離を取り、「ハローグッバイ」で自分たちの言葉を直接伝えるのとも違う。相反する気持ちを、同じ一人の中に置いたまま届けている。
この判断を支えるのは歌手一人ではない。ドラマーの高橋武は、踊れるリズムと歌の表現を両立させることを考え、サビではハイハットを開かず、声が伸びる部分を聴かせる工夫をしたと語った。声の伸びが聴こえるのは健司の発声だけの功績、という説明にはならない。楽器側も場所を空けることで、歌詞の割り切れなさが届きやすくなった。
「FEB」では、地声と裏声で空気の温度を探す
2023年のミニアルバムに入った「FEB」では、健司は二月の冷たい空気の中に穏やかな光が上がる様子を声で表そうとした。本人の説明では、地声を八割、ファルセットを二割ほどの感覚で使ったという。技術の配分を細かく決めれば自動的に情景が生まれるわけではなく、吸い込む空気の冷たさを感じてもらうための手がかりを探し続けた。
この「八対二」を、誰もが再現できる練習の数値として受け取る必要はない。本人が一曲の表現を説明するために使った目安だ。「オドループ」のような前へ進むビートでも、「USO」のような語りの距離でも届かない景色があり、その曲のために声の明るさや軽さを探したのである。高い声をいつも同じ強さで鳴らす歌手、という見方だけでは、この選択は説明できない。
「FEB」は2023年のミニアルバム『優游涵泳回遊録』に収められている。冬の一場面を声で描くために選んだ配分を、健司自身が取材でここまで具体的に語っているからこそ、普段の高い声だけでは見えない表現の細部が分かる。
「サイカ」の弾き語りでは、伸ばす間も自分で選ぶ
2022年の代々木公演で、健司は「サイカ」を一人で弾き語りした。バンドで歌うときは、メンバーを信頼して任せられる部分が多い。弾き語りでは、リズムを取る位置も、次の言葉を出すまでの間も自分で決める。本人は、その自由さを楽しみ、歌うほど肯定されるように感じたと振り返る。
歌が前へ急ぐ必要のない空間では、黙る長さも表現になる。曲は2021年に発表されていたが、翌年の弾き語りでは、これまでメンバーと分け合っていた時間の使い方も一人で引き受けた。健司が語った自由さとは、歌い手に任される選択が増えることでもある。

「上手さ」より、誰に何を届けるかが先にある
刻むように言葉を運ぶ「オドループ」、語り手の距離を取る「USO」、自分たちの意志を直接渡す「ハローグッバイ」、感情を分けずに歌う「かなしいうれしい」、寒さと光の感覚を探す「FEB」、一人で間を決める「サイカ」。方法は揃っていない。それでも、曲の中心に置くものを決めてから声を選ぶ点は共通している。
健司が早口のほうを必ずしも難しいと考えていないことも、この見方に通じる。速さ、声の高さ、音を伸ばす長さは、単独で優劣を決める数字ではない。その曲で何を伝えるかによって、必要なものが変わる。本人が個性的な声への迷いをどう乗り越え、歌の役割を広げていったかは、三原健司の歌唱変遷で時期を追っている。

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