「島爺の声は力強い」。
初めて「ブリキノダンス」を聴いた人なら、そう表現するかもしれない。
だが、制作を共にした堀江晶太が驚いたのは、声を強く出せることだけではなかった。
言葉の最初の音をどう立ち上げ、最後をどう切るか。
その細かな選択を、曲ごとに変えられることだった。
島爺自身も、感覚任せではなく試していると答えている。
一曲の中で声をどう扱うかを見ると、その力強さを支える細かな仕事が見えてくる。
早口の言葉を音楽へする方法、弱い声を空白にしない方法、原曲の歌い手とは違う自分の声を使う方法。
その三つから、島爺らしい歌い方に近づく。
速い歌詞を、ただ速く発音するだけで終わらせない
堀江が注目したのは、発音の「アタック」と「リリース」だった。
前者は音が始まる瞬間、後者は終わって次の音へ渡す部分を指す。
島爺は、声をどう出すと言葉がどんなリズムに聞こえるかを考え、曲に応じて使い分けると認めている。
長いフレーズを一息で言い切れるかだけが、早口の歌の面白さではない。
音節の始まりと終わりを変えることで、同じ歌詞の運びに違う勢いを与えられる。
このことに気づく大きなきっかけは、VACONの「HATED JOHN」をカバーした経験だった。
島爺は発音を真似しながら、母音と子音のそれぞれが音楽上の意味を持つと考えるようになった。
その感覚を別の曲へ持ち込むと、旋律の聞こえ方が立体的になったという。
「ブリキノダンス」のような言葉数の多い歌を、単純な滑舌の速さで説明しきれない理由がここにある。

写真出典:2018年の取材写真
「虚仮の一念 feat. VACON」は、その相手と今度は一緒に作って歌った曲だ。
島爺が曲を作り、二人が詞を書いた。
本人は、VACONの持ち味と自分の持ち味を両方残せたと受け止めている。
歌い方を細かく考えるのは、自分の技を誇るためだけではない。
異なる声が入っても曲としてまとまるよう、どの音を前へ出すかを選ぶ作業でもある。
小さくするだけでは、「弱い声」にならない
『AnisonGym』で歌った「only my railgun」は、島爺にとって弱い表現の難しさを確かめる曲になった。
本人は、弱く歌おうとして単に声を鳴らさなくすると、音量だけでなく表現まで乏しくなりやすいと説明する。
必要なのは、かすれ具合や息の量といった情報を、むしろ細かく込めることだという。
しかもこの曲では、Aメロからサビまで音域が比較的狭く、高い位置に続くと本人が語った。
大きな音域の跳躍で気分を切り替えるのではなく、同じような高さの中で、声の密度や歌詞の物語に沿った差を作らなければならない。
堀江も、強い声と弱い声のバランスを評価し、熱さは単に大声にすれば得られるものではないと話している。
音量を下げた部分にも、声の表面や言葉の運びによって感情を残す。
島爺の説明から見えてくるのは、そうした弱さの作り方だ。
聞く側も、強いサビだけを追うのでなく、その手前でどんな表情を保っているかに注意すると、歌の中に別の強弱があると分かる。
「ウィーアー!」では、真似しないことがまっすぐな歌になった
誰もが知るアニソンをカバーすると、原曲の歌い手へ近づけることが正解に思える。
だが「ウィーアー!」で島爺は、きただにひろしの歌を真似したり競ったりするのは違うと考えた。
堀江らが用意した力強いバンド編曲を聞いて、余計な仕掛けをせずにまっすぐ歌えば、自分の声に合うと感じたという。
これは何も考えずに力任せで歌うという意味ではない。
本人がまず決めたのは、原曲の魅力を尊重しつつ、別の歌手になりきらないことだった。
そのうえで編曲が求める勢いへ声を合わせる。
声の強さが、曲から独立した「島爺らしさ」の記号ではなく、伴奏との関係で決まる場面だ。
対照的に「ウタカタララバイ」では、Adoの表現をただなぞらず、激しいロック編曲へ自分の歌をはめていった。
島爺は最初に録音した声を後で聞き直し、気になる箇所を歌い直した。
ただ部分ごとに直せば曲全体のバランスが崩れるので、数日にわたって調整したと話す。
勢いがある歌ほど、一度の爆発力だけで完成するわけではない。
島爺は、歌っている最中は気持ちが高まるため、その場で良いと思った歌にも、後からずれを感じることがあると話す。
そのため、時間を置いて録音を聴き直す。
直した一節だけが目立ちすぎていないか、前後の熱量がつながっているかという、一曲のまとまりも判断の対象になる。

写真出典:2021年の公演写真
技を増やした人が、あえて技を引くとき
「心絵」は、『AnisonGym』の中でも特にまっすぐなバンド曲だった。
島爺は、自分には経験で身につけた技があるからこそ、その技へ逃げずに「若く、青く」歌うのが難しいと語っている。
下手に歌えばよいわけでも、原曲のクセを完全に写せばよいわけでもない。
何度も録り直しながら、技を使い過ぎない歌を探した。
「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」では、原曲の声質を再現できないことを認めたうえで、自分の持ち味を全面に出しながら、一曲の中に流れを作ろうとした。
二つの選択は反対に見えるが、どちらも「まず自分の声を誇示する」発想ではない。
曲が求める人物や気分を考え、自分の持つ音をどれだけ前へ出すかを変えている。
「Butter-Fly」は、強い声の中に切なさを残す
和田光司の「Butter-Fly」を歌うとき、島爺が大切にしたのは、前向きな曲調の中に残る切なさだった。
力強く歌うだけでも曲は成立するが、原曲の声に感じたものまで自分なりに表したかったという。
堀江も、もっと荒々しく歌える人が、あえて強い声に弱さを織り込んでいると受け止めた。
これは「only my railgun」の小さな声に情報を残す話と、もう一段違う選択だ。
大きく前へ進む声の中にも、聞く人が自分の迷いを重ねられる余地を残そうとしている。
島爺自身、子供たちに歌がどう届くかを考えるようになり、そこに優しさが含まれる気がすると説明した。
強さと弱さを交互に置くだけでなく、一つの声の中で両方を伝えたいという歌唱意図が分かる。
同じ声の使い分けは、録音だけの話ではない。
2021年の弾き語りイベントで島爺は、自作の速い曲「逆光」を落ち着いた歩調に変えて歌った。
公演評は、普段のバンド編成とは異なる、艶を帯びた歌唱を伝えている。
同じ日には「生爺のテーマ」「もいちど」でファルセットを交え、優しさや甘さも表したと記された。
楽器が減ったから単に小声にした、というより、同じ曲を別の場へ持っていくために、速さと声の置き方を選び直した例として読める。
島爺は、自分の声を特別に美しい声とは思っていないという。
それでも特徴のある「変な楽器」と捉え、その鳴らし方を探す。
速い言葉では音の始まりと終わりを刻み、弱い場面では情報を残し、有名曲では原曲と自分の距離を測る。
島爺の歌い方を支えるのは、いつも大きく歌う力ではなく、曲に必要な声を選び続ける判断だ。
カバー、自作曲、再録へとその選択が広がった歩みは、島爺の歌唱変遷でたどれる。

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