あらきと聞いて、勢いのあるハイトーンを思い浮かべる人は多いだろう。
だが、本人は『IDEA』の制作で、自分の声には低い成分が多くないと捉え、軽やかなフロウが電子的な曲にも合うと話した。
FAKE TYPE.から届いた「A New Voice」は、歌ったことのない曲調への入口になった。
では、速い言葉を運ぶ曲と、長く感情を渡す曲とで、あらきは何を変えているのか。
本人の録音時の話と公演評から、一曲ごとに声が担う仕事を考える。
時代をまたぐ作品の流れはあらきの歌唱変遷で追う。
「A New Voice」は、色気をなぞらずに言葉で踏み込む
エレクトロスウィングについて、あらきは「自分が触れてこなかったジャンル」だと語った。
色気のある声の人が歌う印象を持ったが、その声色を模倣するのでなく、自分ならではの切り込み方を考え、FAKE TYPE.と組んだ。
自分の声の軽さを生かしながら、これまでとは違うリズムへ踏み込んだのである。
レーベルが紹介したのは、ポップな曲の中で変化するラップの表現だ。
2022年のライブでは、手術後のツアーでこの曲を、滑舌を取り戻すという話の直後に置いた。
公演評も、巻き舌、言葉の密度、観客へ向ける動きに触れている。
録音で速く言葉を詰めることと、舞台でその言葉を客席へ届かせることは別の課題だ。
彼は曲を、技術の見せ場だけでなく、客席を動かす場所にもした。
その前の2022年6月、Zepp DiverCityの公演では、提供者側のTOPHAMHAT-KYOを迎えてこの曲を披露している。
SPICEのレポートが注目したのは、二人が交わす複雑なラップだった。
一人で言葉を運び切るだけでなく、相手から受け取って返すときの勢いも曲の魅力になる。
9月のソロでの歌唱と6月の共演を区別して見ると、同じ曲が一人の切れ味にも、二人の応酬にもなることが分かる。

写真出典:2022年の取材・公演写真
「re:GENERATE」で気をつけたのは、英語の最後の一音
同じ『IDEA』の「re:GENERATE」は全編英語の曲である。
あらきは取材で、英語を得意だとは言わず、語尾の音が抜けると歌詞の輪郭がぼやけるため、最後の音まで音符に入れる必要があると話した。
単語の末尾を見過ごすと、音程や勢いを保っても、言葉が伝わりにくくなる。
彼の関心は、高音をいかに派手に出すかだけではなく、言葉が終わる位置にも向いていた。
本人が例に挙げたのは、英単語のstayだった。
「ステー」と伸ばしたまま終えるのではなく、末尾の「イ」に当たる響きまで音符の中に収めるという。
音を長く保つことに意識が向くと、最後に動く母音を落としてしまいやすい。
そこで、伸ばす音と単語を閉じる音の両方に場所を与える。
取材者からは、発音を固めすぎるとカタカナのようになる難しさも指摘された。
あらきは、海外で暮らす人になったつもりで録音に臨んだと、冗談を交えて答えている。
細部を確認する作業と、言葉を歌の流れに乗せる感覚を行き来していたのだ。
2014年の英語カバー「ECHO」で知られる彼も、新しい曲では、一つの語尾から歌を組み直している。
軽いフロウと強いロックは、同じ声から選べる
「GOLD TOKIO」について、あらきは、自分には低音成分が多くないので軽やかなフロウが合うと考えた。
一方、取材ではその曲の録音がとても難しく、一度録り直したとも話した。
ジャンルに合いそうな声を持つことと、曲のリズムに言葉を収めることは同じではない。
高い声を出せるという長所だけでは、録音が完成しないところに面白さがある。
しかも録り直したのはこの曲だけでなく、同じkors kの「0 GAME」もだった。
あらきは二曲を挙げて、この作家の曲の難しさを振り返っている。
声質が曲調に合うという自己評価があっても、それだけで採用する歌を決めない。
声の印象と、実際に録った一曲の出来を別々に判断する姿勢がうかがえる。
反対側にあるのが、2021年の「UNKNOWN PARADOX」のようなロック曲だ。
制作時にはロック曲を作れる人へ依頼し、DECO*27らの曲を歌った。
ライブで「イスカノサイ」を歌ったときには、本人が書いた意見を客席へ投げる曲として取材に記録された。
言葉数の多いエレクトロスウィング、英語の語尾を整える曲、意見を正面から渡すロック曲。
曲の目的が違うから、声の置き方の課題も変わる。
「九死一生」は、静かな強さを自分の歌へ引き寄せる
ピノキオピー提供の「九死一生」では、作家本人の仮歌が届いた。
あらきが難しかったと話すのは、その歌を自分の声でどう塗り替えるかという点だった。
哲学的な歌詞を歌うと、自分でも怖くなるような感覚があるとも説明している。
受け取った歌に迫力を加えるだけでは、そこにある問いの重さを表し切れない。
本人がこの曲に感じた静かな強さを、自分の歌として成立させる必要があった。
一方、自ら詞を書いた「Cherish」は、心臓が動いているという実感を繰り返し、自分を奮い立たせる曲だという。
相手を圧倒するための強さと、自分にもう一度呼びかけるための強さは、向き先が違う。
「イスカノサイ」のように客席へ意見を投げる歌と並べると、同じ力強さの中にも、問いかけ、決意、自分への励ましという違いが見える。
静かな歌では、言葉を受け取ってもらう距離を作る
同じ2022年6月の公演では、アコースティックギターを弾きながら「Supernova」を歌い、「少女レイ」を静かな編成で届けたとライブ評が伝える。
2025年の『LIVE ARK CLASSICS』についても、公演評は「死んでしまったのだろうか」の儚い声、「しわ」で客席を見つめる姿、「銀河録」の低音から高音までの温かさを伝えた。
どの曲でも叫ぶなら、こうした言葉の近さは作れない。
高音で観客を動かす歌手が、静かに言葉を受け取ってもらう時間も作る。

写真出典:2025年の取材・公演写真
同じ2025年公演の「Dead End Dance」では、明瞭な高音と、愁いを含む中音域の対比も記録された。
一曲の中でも、高さによって受け取る表情が変わる。
「GOLD TOKIO」で話した声の軽さは、高音しか使わないという意味ではない。
中低音に表情を置く場面があるから、明るく抜ける高音も一つの選択として生きてくる。
あらきの歌い方を「常に強く、高く」と覚えるより、何を届ける曲なのかから見ると、違いがよく分かる。
「A New Voice」は密度の高い言葉と客席への働きかけ、「re:GENERATE」は英語の末尾まで崩さない注意、「イスカノサイ」は自分の言葉を投げる力。
そして静かな曲には、相手が聴き取れる距離を残す選択がある。
あらきの声は一種類の技ではなく、曲ごとに引き受ける仕事の違いで成り立っている。







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