緑仙の歌はどう変わった?Rain Dropsからソロ、2026年の『僕の一部始終』まで

緑仙 2026年「僕の一部始終」公式ジャケット シンガー

緑仙のソロ曲を先に知った人は、6人組のRain Dropsで歌っていた頃の話を聞くと意外に思うかもしれません。ユニットでは他のメンバーを見て、自分がどの位置を担うか考えていた。ところがソロでは、元気な場面も大人びた場面も一人で引き受けなければならないと本人は話しています。その変化は声の高さより、誰のために、どんな言葉を、どの立場から歌うかに表れました。自主制作時代から2026年のアルバムまで、緑仙自身の証言を軸にたどります。

自分の言葉を歌へ通した初期作品

にじさんじで2018年に活動を始めた緑仙は、歌を自分の強みと捉え、カバーとともにオリジナル曲も作っていました。2021年の取材では、生配信で直接話すと刺々しく聞こえる言葉や暗い感情も、歌にすると別の形で届くと語っています。歌は単なる得意分野ではなく、普段の言葉では渡しにくい気持ちを人に届ける方法だったのです。

2019年に公開した「エヴァーグリーン」は、Ayaseに依頼した初期のオリジナル曲です。本人は後に、好きな作り手へ任せ過ぎ、自分の考えをもっと伝えればよかったと振り返りました。その反省を生かしたのが、2020年3月公開の「イツライ」。ぼっちぼろまるとの最初の打ち合わせで、日々の不満や納得できないことを長文で渡したそうです。曲は2021年の自主制作盤『It'sLie』にも入りました。初期から、自分の扱いにくい感情を歌の材料から外さず、制作相手への伝え方まで変えていたのです。

Rain Dropsでは「6人の中の自分」を考えた

一方、2020年にデビューしたRain Dropsは6人組です。「オントロジー」やライブでの「リフレインズ」のような曲では、一人の感情だけで作品全体を押すわけにはいきません。緑仙は後の取材で、レコーディングでは最初に歌って他の5人の方針を作る場合も、最後に歌って先の声を踏まえる場合もあったと説明しました。どちらでも、自分の歌をグループのどこに置くかが課題になります。

2021年の取材では、Rain Dropsの制作チームが音楽面を担うことで、自身は表現者として歌うことへ意識を向けられたとも振り返っています。自分で企画を進めるソロ作品とは違う経験です。同じ緑仙の声でも、グループの中ではほかの声との関係を先に考える。後年、本人がソロとの違いを語るときに挙げたのも、その役割の分担でした。

Rain Dropsは2023年5月から無期限の活動休止に入りました。解散と呼べる発表ではありません。緑仙の音楽がグループからソロへ一本化されたというより、グループで学んだ「周囲を見て歌う」感覚を持ったまま、一人で作品を担う場へ進んだと見る方が自然です。

『パラグラム』で一人の幅を試す

2023年6月にソロのメジャーデビューを発表し、同年10月に最初のミニアルバム『パラグラム』を出しました。本人はRain Dropsの6人分の出力をソロでは一人で担わなければならないと話しています。『パラグラム』で多様な作り手・曲調を並べたのは、どの役割を自分が引き受けられるか探る時期とも重なります。

「ジョークス」のライブ映像には、歌だけでなく観客を前にした緑仙の表現が記録されています。Rain Dropsのメンバーに支えられる場とは違い、ソロの舞台では自分で場を動かさなければならない。本人はその不足を埋めようと、ユニット時代に始めたダンスを続け、ギターにも挑戦しました。歌に加え、自分が一人でどう見せるかという仕事の範囲が広がっていったのです。

歌の中身にも、本人がはっきり認める前後があります。「ジョークス」は「イツライ」の続編ですが、2023年の緑仙は当時より歌に余裕が出て、同じつらさでも中身が違うと話しました。以前は出なかった高い音が出せるようになり、裏声から地声への移行も滑らかになったといい、そこにはボイストレーニングの成果があると説明しています。ただ高音を獲得した話だけでは終わりません。「イツライ」でその時点の苦しさを歌った人が、「ジョークス」ではこれから進む覚悟を歌う。その両方を同じ人の歌としてつなぐのが録音時の難しさだったのです。

緑仙 2023年「パラグラム」公式ジャケット
2023年「パラグラム」の公式ジャケット。画像出典:公式掲載元

2024年、自分の言葉とロックを選ぶ

『パラグラム』の次に、何を音楽で伝えたいか。緑仙が選んだのはロックでした。本人は、音楽で心を動かされた体験が多く、ライブで受けた衝撃も覚えていると話します。2024年の『イタダキマスノススメ』では作詞にも参加し、楽曲の企画段階から制作チームと話すようになりました。提供された歌を表現するだけでなく、どの感情をどの言葉で渡すかにも責任を持つようになったのです。

「独善食」は他人との比較から生じる苦しさを扱いながら、自分の幸せの基準を持つ強さを描きます。以前から歌にしてきた負の感情を、より自分の言葉で組み立てた曲と言えるでしょう。ただし、ロックになったから常に強く叫ぶようになった、という単純な話ではありません。「リコネクト」はラジオを介して知り合った人や、亡くなるまで放送を聴いてくれた祖父とのつながりから生まれ、本人は素直で優しい気持ちで書けたと説明しています。一枚の中で、痛みを外へ向ける曲と、人へそっと届ける曲が並びます。

同年の『ゴチソウサマノススメ』は前作と対になる企画で、「食事と人生」を通して後半の人生や記憶へ目を向けました。「夜明けの詩」は小説の主題歌として、緑仙本人だけではない登場人物の心情を歌う仕事です。取材で本人は、この曲では普段と違う歌い方をしたと語っています。自身の心をそのまま出す歌と、物語上の誰かを受け持つ歌。その両方を一つの活動で扱うようになりました。

2025〜26年、他人の物語と初期の感情を同じ一枚に

2025年の「青春の向こうへ」は、あだち充の漫画『H2』とのコラボ曲です。緑仙は登場人物のどの視点に歌詞が寄るかを制作陣と細かく話し合い、録音の日にも表現を相談しました。作品の外から自分の感情を重ねるのではなく、物語の人物に不自然でない言葉を選ぼうとしたのです。

2026年の初フルアルバム『僕の一部始終』には、初期のぼっちぼろまるとの作り方へ戻った「バケネコダンス」と、自身が初めて作曲に参加した「機械仕掛けのワルツ」が収められました。「バケネコダンス」ではネット上で抱えた不満を作り手に渡し、形を変えて歌にする初期の方法を再訪しています。一方「機械仕掛けのワルツ」は、自分で作ったハミングをバンドメンバーと曲にした仕事。片方は昔の方法を選び直し、もう片方は作曲という新しい段階へ踏み出しました。

「機械仕掛けのワルツ」では、作曲することに最初はためらいもあったそうです。それでも自分でハミングした旋律を送り、鍵盤を担当する岸田勇気と一曲へまとめました。かつて「エヴァーグリーン」では作り手へ任せ過ぎたと悔やんだ緑仙が、今度は最初の旋律を自分から差し出しています。この違いは、単にクレジットが増えたという話よりも、制作で声を使う段階そのものが変わったことを示します。

同じアルバムには、コラボ曲「天誅」「ジガトラ」のソロ版もあります。緑仙は、ライブで一人でも歌えるようになったことを共演者に伝えたかったと話しました。Rain Drops時代に6人の中の役割を探した歌手が、今は他者と作った曲も一人で担い、その一方で新しい共作者にも頼る。独りで完結する方向へ直線的に進んだわけではありません。

舞台上の自信にも、本人が語る前後があります。2023年の初ソロライブはミスが気になって見返せない一方、2024年の仙台PIT公演は何度も見ているそうです。以前の「失敗したら次はない」という怖さから、今は一回の公演に「これが最後でもいい」という気持ちで臨むようになったと説明します。2026年に公開された「イツライ」の短いライブ映像は、この2024年公演の記録です。最初に自己紹介として作った歌を、数年後には一人のステージで引き受けていました。

緑仙の変遷を通して残っているのは、刺々しさや弱さを隠さず音楽へ変える姿勢です。変わったのは、それをグループの一部として歌うのか、自分の言葉で書くのか、物語の人物へ預けるのかを選べる範囲でしょう。個々の曲で歌の相手や言葉にどう向き合うかは、緑仙の歌い方で詳しく見ていきます。

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