感情の起伏を求める人には、物足りない歌に聞こえるかもしれない。
2024年、堀江由衣はそんな可能性も考えたうえで、さらりと歌うことを望んでいたと話しています。
『文学少女の歌集』の第3作で目指したのは、声や感情を作り込みすぎず、写真の女の子がそのまま歌うような表情でした。
その気持ちは、2019年にシリーズを始めた頃よりも強まったといいます。
物語を声で演じる経験のある人が、歌ではどこまで表情を加え、どこで加えないことを選んだのか。
『朝顔』から『夜明けのバス停』へ続く作品をたどると、その変化が見えてきます。
2019年、学生の景色を「素直な歌」で描き始める
『文学少女の歌集』の第1作は、2019年7月に発売されました。
夏の景色や、学生時代の記憶につながる世界を描いたアルバムです。
堀江は先に写真のイメージを作り、その世界に合う曲を選んだり、作家に写真を見せて制作を依頼したりしました。
曲を集める前に、アルバム全体で女の子の暮らす景色を思い描いていたのです。
ただ、本が好きな女の子を描けばよいという、単純な設定ではありませんでした。
後に堀江が説明した「文学少女」は、心にもやもやを抱え、独り言のように自分の思いを語っている人物です。
その言葉が歌詞になり、歌になる。
強い性格を声で分かりやすく示すことより、景色の中の生活や心の動きを大切にしたいイメージがありました。
『朝顔』は、その第1作を代表する新曲でした。
ここからシリーズの歌い方を考えるうえで大切なのは、堀江が後に、第1作の頃からできるだけ素直に歌うことを意識していたと振り返っている点です。
青春を描くために、声の若さを強調し続けようとしたわけではありません。
写真の中にいるような女の子が、その景色の中で歌う。
そのイメージが、声の作り方にもつながっていました。
2019年には、同作を携えたライブツアー『文学少女倶楽部』も行われています。
物語形式のライブを続けてきた堀江にとって、久しぶりに生バンドと行うツアーでした。
後に映像を見返したとき、以前から歌ってきた『Love Destiny』も、バンドの演奏によって新鮮に感じられたと話しています。
録音作品で作った学生の世界を、舞台でも育てていく時期になりました。
『Love Destiny』――2019年「文学少女倶楽部」ライブ音源

画像出典:写真掲載元
2021年、弱めた声で気持ちの余白を残す難しさ
シリーズの途中に発表した『虹が架かるまでの話』でも、声で気持ちを決めすぎないための工夫がありました。
2021年のこの曲は、『先輩がうざい後輩の話』のエンディングテーマです。
社会人同士でも急には縮まらない距離を描く作品に合わせ、歌詞も気持ちを直接言い切りすぎないようにしたといいます。
歌から始まる冒頭では、聴く人がさまざまなニュアンスを受け取れるよう、声を強く出しすぎたくありませんでした。
ところが弱めると、そのキーでは音程が揺れやすくなってしまう。
表したい気持ちと、安定して歌える加減の間で、試行錯誤したのでした。
同年9月のファンクラブイベント『黒ネコ集会 Vol.20』では、録音のときより歌いやすかったとも振り返っています。
声を飾らずに届けたいという思いがあっても、その形が最初からすんなり決まるわけではなかったのです。
「黒ネコ集会 Vol.20」――2021年9月12日公演・ダイジェスト
2022年、若く作る声と、実際の学生の声を考え直す
2022年3月の『文学少女の歌集Ⅱ-月とカエルと文学少女-』は、学生時代という軸を引き継ぎ、秋から早春へ季節を移した作品です。
ここで堀江は、まっすぐ歌うという方針を、声のトーンの話にまで踏み込んで説明しました。
女子高生くらいの人物を演じようとすると、若さを出すために声を高くしたキャラクターを作りがちになる。
一方、実際の女子高生を思い浮かべると、声のトーンは意外に低めでもある。
そこで今回の録音では、意識的に癖をつけず、まっすぐ歌おうとしたといいます。
人物の年齢に合わせて、声を分かりやすく飾ることを控えたのです。
ただし、曲までおとなしくそろえたわけではありません。
『月とカエル』については、明るさの中に切なさがあり、譜割も珍しく、歌うのが難しかったと話しています。
素直に歌うという方針と、複雑な曲を歌いこなす作業は、同時に進んでいました。
清竜人が提供した『瑠璃色の傘を差して』も、第2作の方向を決めた一曲です。
堀江は前作に続くアルバムであることと写真のイメージを伝え、曲調は清に任せていました。
届いたのは、予想していなかった本格的なバラードです。
学生の世界を軸にしながらも、車の中の別れを描く大人びた設定に、どう向き合うかという難しさを感じたといいます。
制作の序盤は、イメージに合う曲をなかなか選べずにいました。
新録曲の中で最初に録音したこの曲が、ほかにどんな曲を選び、どう歌っていくかを考える道筋になったと振り返っています。
自分の思い描く女の子を曲に当てはめるだけでなく、届いた曲からアルバムの人物像を考える。
想定していなかった一曲も、素直に歌うための手がかりになったのでした。
2024年、感情も作り込みすぎず、さらりと歌う
2024年7月の『文学少女の歌集Ⅲ-文学少女と夜明けのバス停-』では、再び夏を描きます。
第1作と同じ夏でも、堀江が望んだのは、夜や夜明けを含む、少し落ち着いた景色でした。
歌にも、素朴さを残したかったといいます。
『水色と8月』の話をする中で、堀江は、アルバム全体をできるだけ素に近い声で歌いたかったと説明しました。
特定のキャラクターらしい色をつけることはできても、今回は写真の女の子が歌っているような、誰かに限定されない声にしたい。
感情も細かく作り込みすぎず、さらりと歌いたい。
その意識は第1作からあったものの、今回は特に強まったと振り返っています。
声のトーンを作りすぎない選択に加え、2024年には感情の組み立て方についても、狙いを明確に語っています。
歌に強い起伏を期待する聴き手には、退屈に感じられるかもしれない。
そんな受け取られ方にも触れながら、今回は自分が望む歌い方を選びたいと話していました。
なお、『水色と8月』で合唱のような広がりが生まれることについて、本人はオクターブ下の声や複数のボーカルラインにも触れています。
一人の声を強く張ることと、声を重ねて広がりを作ることは、別の選択です。
歌を素朴に保ちながら、録音全体では豊かな景色を作ることもできる。
この作品では、歌い手の表情と、声の重なりを分けて考えると、本人の狙いを追いやすくなります。

画像出典:写真掲載元
素朴さを軸にしたアルバムの中でも、『まじめにムリ、すきっ』には、別の録音の工夫があります。
推し活をする人の思いが頭を巡る感じを、速いテンポと言葉の重なりで描いた曲です。
堀江は一、二行ずつ、時には一つの言葉だけを録り、前の言葉が終わるところへ次の言葉が少し重なるようにしていきました。
短く分けるほど歌いやすいわけでもなく、言葉だけを抜き出すとかえって歌いにくかったそうです。
歌っても先へ進まないもどかしさを感じたものの、完成した音源を聴いて、その録り方の意味が分かったといいます。
自然な表情を残す歌と、録音を細かく組み合わせて前のめりな気持ちを表す歌を、一つの作品に共存させていました。
『夜明けのバス停』で、自然に生まれた感情を残す
作り込みすぎない方向を深めたからといって、感情の高まりまでなくしたいわけではありません。
その加減がよく分かるのが、第3作のリード曲『夜明けのバス停』です。
最初のデモは、堀江の思い描く学生の景色よりも、幻想的で大きな世界を感じさせるものだったといいます。
好きな曲ではあったものの、アルバムに合わせてアレンジやコーラス、歌詞を調整しました。
目指したのは、学生たちが何かに取り組み、その先で迎える朝です。
歌もさらりとしたものにしたかったのですが、実際には曲の雰囲気によって感情が自然に引き出され、壮大な印象になったと話しています。
コーラスを少し減らしてバランスを取りつつ、その高まりは曲に合うものとして受け止めました。
自分で感情の起伏を強く作り込むよりも、曲に沿って歌った結果として生まれる表情を受け入れる。
ここに、第3作で強まった方針が表れています。
声にかける残響も、当初より減らしています。
すべて取り去るのではなく、目の前に広い海があり、風が吹いているような夜明けの感覚を残したかったからでした。
声そのものに大きな表情を足すことと、歌を包む景色を録音で作ることを、別々に調整していたのです。
『文学少女の歌集』で深まったのは、声を若く飾ることや、感情を大きく見せることだけに頼らず、女の子の景色を歌にする選択でした。
弱めた声の音程に悩むことも、思いがけない曲から歌の方向を見つけることもありました。
『夜明けのバス停』では、自然に生まれた感情を残しながら、コーラスや残響の量を調整している。
さらりとした歌は、何も考えずに歌った結果ではなく、どこまで声で示し、どこを曲や聴き手に委ねるかを選び続けた表現なのです。
声を弱めたときの音程や、高い曲での息継ぎなど、実際に歌う場面の難しさは、堀江由衣の歌い方で詳しく扱っています。







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