西島三重子は、歌をどう録音するかについて、はっきりした考えを持つようになりました。
その転機の一つが、後から歌をつなぎ直せない1988年の録音です。
本人が語ったその体験と、2025年のライブでCDとの差を聞き取った聴き手の記録から、演奏の中で生まれる歌の表情をたどります。
「カルナバルの朝」正規配信音源(『想いのとどく日』収録)
1975年、録音の仕組みに驚いたデビュー当時
1974年のオーディションをきっかけに、西島は翌年、シンガーソングライターとしてデビューしました。
初期の代表作となったのは、『風車』に収められ、1976年にシングルとして発売された「池上線」です。
柔らかな声で、別れの場面を近くに感じさせる歌として受け止められました。
当時の録音を後に振り返った西島は、複数の音を別々に録れる仕組みそのものに驚いたと述べています。
録音の仕組みを知ることから始まった時期でした。
「池上線」の声と言葉の置き方は、西島三重子の歌い方で詳しく扱っています。
1988年、歌を編集できない録音に挑む
東芝EMIへ移籍してからは、生楽器との同時録音を重ねました。
西島が望んだのは、歌のメッセージが演奏の中で埋もれずに届くことです。
1988年の『地球よ廻れ/DIRECT CUT45』では、さらに厳しい条件で歌うことになります。
演奏しながら直接レコードの原盤を作るため、片面を録り終えるまで止められず、歌を後からつなぎ直すこともできません。
「池上線」も、この条件で歌い直した一曲でした。
西島は、見守る人々に緊張し、責任を感じるほど歌に入り込む自分を振り返っています。
感情を込めすぎたり、歌詞を間違えたりすることもありました。
それでも、録音を聴き返すと、その場の人たちの息づかいまで思い出せるというのです。
2025年、録音とは違うハミングが聞き取られた
後年のライブにも、録音盤と異なる表情への記録があります。
2025年8月17日のバースデーライブでは、『想いのとどく日』の「カルナバルの朝」が歌われました。
会場で聴いたファンは、帰宅後にCDと比べ、ライブのほうがハミングが多く、豊かに感じられたと記しています。

画像出典:写真掲載元
注目されたのは、言葉のない声を歌の中でどれだけ使い、どんな表情を加えたかという違いです。
長く親しんだ曲でも、ライブではCDの歌唱と異なる楽しみ方が生まれていました。
1988年には、一続きの演奏で録るために、緊張も歌への入り込みも引き受けることになりました。
2025年の記録で聞き手が注目したのは、録音より増したハミングです。
録音盤の完成した形だけでは見えない、その場で歌う西島三重子の表情が、この二つの記録には残っています。







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