中村美律子の歌唱変遷|「大阪情話」で、都はるみを手本にした理由

2024年の「歌謡プレミアム」で歌う中村美律子(©日テレ) シンガー
2024年の「歌謡プレミアム」で歌う中村美律子(©日テレ)

中村美律子は、「河内おとこ節」はそのままで歌える曲だった、と振り返っています。
ところが、次の「大阪情話」では、自分らしく歌う方法を探すことになりました。
大阪弁の歌なら自然に歌えるはず、と思えた曲で、なぜ都はるみを手本にしたのでしょうか。

その後、芝居の経験から歌の中に物語を描くようになり、「命の花道」では曲の印象を変えるため、自らキーの変更を提案しています。
歌う声を探す試行錯誤は、場面を思い描くことや、曲の印象を選ぶ判断にも広がっていきました。
具体的な曲と本人の回想から、中村の表現の歩みをたどります。

「大阪情話~うちと一緒になれへんか~」―『歌カラ ベスト4 中村美律子』(1998年発売)収録音源

自然に歌えた「河内おとこ節」にあった土台

中村にとって歌は、メジャーデビューする前から仕事であり、暮らしの一部でした。
学生時代には河内音頭の音頭取りとして櫓に上がり、成人後はフリーの歌手として活動しています。
三十代になると二代目春野百合子に師事し、浪曲も学びました。
長い台詞や、節をつけて人物を語る世界にも踏み込んでいたのです。

1989年に発表した「河内おとこ節」は、河内音頭のリズムを取り入れた曲でした。
音頭取りとしての経験と結びつくこの曲を、中村は2026年の対談で、そのままの自分で歌える曲だったと振り返っています。
地元の言葉だけでなく、歌の動きにも親しみがあったことがうかがえます。

「河内おとこ節」―『歌カラ ベスト4 中村美律子』(1998年発売)収録音源

ただ、自分の得意な歌が見つかったからといって、次の曲でも同じ歌い方が通用するわけではありませんでした。

1990年、親しい大阪弁でも歌う声が決まらなかった

翌1990年の「大阪情話~うちと一緒になれへんか~」を初めて聴いたとき、中村は、大阪弁で自分にぴったりの歌だと感じました。
気を張らずに歌えそうだと思ったそうです。
ところが、「河内おとこ節」とは曲の雰囲気が大きく違います。
いざ歌うと、どんな声を出せばよいのか分からなくなりました。

なじみのある言葉を発音できることと、曲の人物として歌えることには、隔たりがあったのです。
そこで手本にしたのが、好きだった都はるみの歌い方でした。
はるみのように歌ってみようと意識することで、自分の声を向ける方向を探りました。
その歌は、関西に都はるみに似た雰囲気の歌手がいる、と評判になったといいます。

「大阪情話」には、大阪弁の台詞も入っています。
2024年に中村が語った台詞の聴きどころは、覚悟を決めれば怖いものはない、という心持ちでした。
親しい方言をそのまま話すだけでなく、語る人物が何を決め、どんな強さで言葉を発するのかまで含む曲だったのです。

一方、はるみを手本にしたことは、その声をそっくり再現できるという意味ではありませんでした。
2026年のラジオで「大阪しぐれ」のカバーが話題になると、中村は歌い方を意識していると認めながら、同じ声が出るわけではないとも話しています。
徳光和夫が、意識することとものまねは違うと応じると、中村も同意しました。

好きな歌手の表現を手がかりにしながら、実際に歌うのは自分の声です。
「大阪情話」は、最初から自然に歌えた曲ばかりではない中村が、外に手本を求めて自分の歌へ近づいた例として受け取れます。

中村美律子(右)と徳光和夫(左、2026年7月のラジオ出演時)
中村美律子(右)と徳光和夫(左、2026年7月のラジオ出演時)。
画像出典:写真掲載元

芝居を経験して、歌の中に物語を作るようになった

その後の変化を語る材料が、2008年の本人取材にあります。
当時、中村は歌だけでなく芝居の舞台にも取り組むようになっていました。
最初は台本を覚えることに苦労しながらも、一度舞台に立つと、もっと様々なことへ挑戦したくなったと振り返っています。

芝居の経験は、歌うときの考え方にも及びました。
中村によれば、歌詞を追うだけでなく、自分の中で物語を作りながら歌うようになったのです。
声をどう出すかに加え、その声がどんな場面から生まれてくるかを、内側で描くようになった変化です。

「瞼の母」を歌ったある公演の後、客から、雪が降っているのが見えたと声をかけられたことがありました。
自分の中で思い描いていた情景が伝わったことを、中村はとても喜んでいます。
景色を説明する言葉だけでなく、歌う本人が感じる場面まで届いたと受け止めたのでしょう。

「大阪情話」では、好きな歌手の歌い方が声を探す手がかりでした。
芝居を経験した後の回想では、自分の中に作る物語が、歌を支える手がかりにもなっています。
情景が伝わる喜びを得ていたのです。

「瞼の母(編集盤)」―『中村美律子オリジナルベスト(1989~2006)』(2022年発売)収録音源

2021年、歌の意味を考えて半音上げる

2021年の「命の花道」では、中村から制作側へ具体的な提案がありました。
最初の打ち合わせよりキーを半音上げて歌いたい、というものです。
短調の曲を低いキーのまま歌うと、暗さや重さが強くなり、前向きなメッセージが弱まると本人は考えていました。
作詞のたきのえいじと作曲の岡千秋も、上げたほうがよいと認めたそうです。

この曲への向き合い方にも、以前の男歌とは違うものがありました。
中村は、これまでの男歌には、自分の夢を何が何でもやり抜くという内容が多かったと説明しています。
「命の花道」では、そこに優しさや思いやりを感じ、聴いてくれる人への感謝を胸に歌うようになりました。
コロナ禍で励ましを届けたいという思いも、歌の受け取り方に重なっています。

白いブラウス姿で両手を組み、取材に臨む中村美律子
2021年掲載のインタビューに臨む中村美律子。
画像出典:うたびと

ただし、出だしから高音が続く曲を、さらに半音上げて歌う負担はありました。
本人は、録音では三回ほど歌うのが限度で、それ以上は疲れてしまったと話しています。
自分で選んだ表現だからこそ、その難しさも引き受けて歌ったのでした。

「命の花道」―2021年公開の公式MV(短縮版)

「大阪情話」で迷ったときには、好きな歌手の歌い方を手本にしました。
芝居を重ねる中では、自分の内側に物語を作るようになり、「命の花道」では、届けたい意味を考えてキーの変更も自ら提案しています。
中村の歩みには、曲ごとに自分の声と向き合い、歌うための手がかりを増やしていく過程があります。

半音上げた歌の高音が続く難しさや、対照的な曲で感情を抑える工夫は、中村美律子の歌い方で掘り下げています。

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