由紀さおりの歌い方|歌い出す前の息にも、情感を込める

明るい色のジャケットを着た由紀さおり(撮影年不明) シンガー
明るい色のジャケットを着た由紀さおり(撮影年不明)

由紀さおりは、歌い出す前の息や間合いも、情感を伝える表現として大切にしている。
「あなたにとって」を収めた2019年のアルバムでは、その余白を守るため、伴奏を抑えてほしいと頼んだ。

「あなたにとって」|2019年配信のソロ版・ユニバーサルミュージック提供音源

歌い出す前から、気持ちを伝える

『BEGINNING ~あなたにとって~』の録音で、由紀さおりは伴奏の音が大きすぎると感じ、少し抑えてほしいと申し出た。
間合い、歌う前の吐息、息を帯びた声、声の震えまでが、自分にとっての表現だったからだ。

言葉を歌っている瞬間だけが、情感を伝える場所ではない。
声が出る前の息にも、その言葉へ向かう気持ちがある。
由紀が守りたかったのは、大きな音の中に埋もれてしまう、そうした小さな表現の余地だった。

この間合いは、伴奏者との受け渡しにも表れる。
由紀は、長く共演したピアニストの佐山雅弘について、毎回同じ演奏をせず、歌い出しへつなぐ渡し方が絶妙だったと語っている。
前奏の段階で次の言葉へ気持ちを向けられ、歌い始めれば合いの手が返ってくる。
息や沈黙を生かす歌唱は、歌手一人で完結するのではなく、伴奏がどこで歌に場所を渡すかとも結びついている。

聴く側も、最初の言葉だけに集中せず、その直前の伴奏から耳を澄ませてみたい。
声が入った瞬間に何が変わるのか、演奏と声の距離がどう感じられるのか。
由紀が大切にする余白は、歌が始まるまでの待ち時間にも、表現としての意味があることを教えてくれる。

リズムと入り方は、客前の演奏で身につけた

透明な響きには、バンドの動きを受け取る力も伴っている。
Shihoとの対談で由紀は、合唱団からポップスへ進む際、アフタービートを覚えるためにジャズを習ったと話している。
2拍目や4拍目に重みを感じるリズムに親しむことが、まず必要だったのである。
「オール・オブ・ミー」などの曲を覚え、客前で歌う経験へと進んだ。

その舞台では、前奏の長さや、サックスのソロを受けて歌へ戻る場所が、その場で指示されたという。
決まった伴奏を何度もなぞるだけでは対応できず、曲のどこにいるかを把握して、演奏の流れの中へ入らなければならない。
本人は当時の経験を怖かったと振り返りながら、後のピンク・マルティーニとの共演に生きたとも語っている。

この話を踏まえると、由紀の歌の間合いは、単にゆっくり歌うこととは違って見える。
伴奏が動いている中で、言葉を置く場所を選び、次の音へ渡していく。
声の柔らかさと同時に、演奏と関係を保つ確かさにも注目したくなる。

透明な響きと、相手に沿わせる音色

由紀は自分の歌を歌うとき、クリアで濁らない響きを保ちたいと考えている。
一方、姉の安田祥子と童謡・唱歌を歌うときは、姉の音色に自分の音色を沿わせ、二人でハーモニーを作ることを意識する。

その切り替えを自覚するきっかけに、低い声の強さがあった。
歌謡曲のステージや番組の後で姉と歌うと、低音が強すぎると指摘されることがあったという。
一人で歌う場面の声を、そのまま二人の歌へ持ち込めるわけではなかった。

姉妹で歌うときに目指すのは、自分だけの響きを際立たせることより、相手の音色と合わさることだ。
ソロで息や間合いが聴こえるよう伴奏との関係を整えるのと同じように、姉妹の歌では、自分の声と相手の声との釣り合いに耳を向けている。

緑の衣装の由紀さおりの横顔(撮影年不明)
緑の衣装の由紀さおりの横顔(撮影年不明)。
画像出典:写真掲載元

他の歌手の崩し方を、そのまま借りない

音色を相手に沿わせる一方で、別の歌手の持ち歌を歌うときには、自分に合う表し方を見つけている。
一例が、松尾和子の「再会」を、作曲者の吉田正の指揮で歌ったときの話だ。
由紀は、松尾のように言葉を少し遅らせたり、拍より前へ出したりする歌い方に魅力を感じつつ、自分にはそのままはできないと思っていたという。

ところが吉田から喜ばれたのは、譜面に沿って歌ったことだった。
先に歌った人の印象が強い曲でも、同じ癖を再現することだけが正解ではない。
由紀の語るこの出来事には、旋律と言葉を素直に運ぶ自分の歌い方を、作品の魅力につなげる手がかりがある。
声の響きの美しさに加え、言葉をどのタイミングで置くかも、歌い手の個性になるのである。

日本語で歌う「スマイル」は、意味と響きの両方を届ける

2013年のアルバム『スマイル』では、日本語をきれいに歌うことと、ジャズを組み合わせることに取り組んだ。
由紀は取材で、制作陣が昔の曲を懐かしむだけでなく、新しい感性で生かそうとしていたことを受け止め、自分もそれに応えて歌ったと話している。
慣れた言葉を大切にしながら、伴奏や曲の捉え方は新しくするという仕事だった。

表題曲については、子どもから、挫折しそうな若い人、自分と同じ世代まで届く歌であることを重視している。
松尾潔による日本語詞を得たこの曲では、旋律の親しみやすさに、言葉の意味を直接受け取れる喜びが重なる。
『スマイル』を聴くときも、声の滑らかさだけでなく、どの言葉が一つのまとまりとして届くかに耳を向けたい。
柔らかい歌声が、聴く人への語りかけとして感じられる場所を探せる。

「夜明けのスキャット」も、響きから生まれた

「夜明けのスキャット」は、ラジオ番組のテーマ曲として作られた。
好きな音節を入れて歌うよう求められた由紀は、自分の声がよく響く音節を選んだという。
反響を受けて、二番に言葉の歌詞が加えられ、1969年のレコードになった。

本人がUSENの取材で振り返ったところでは、最初の録音は数回歌った段階で採用が決まったという。
歌詞の意味を追う前に、声だけで曲の雰囲気が届く作品だった。
言葉のない部分と言葉のある部分を続けて聴けるため、響きそのものの魅力と、意味を託した歌声の違いを考える入口にもなる。

「人生は素晴らしい」の明るさに、別れの気持ちも含める

2024年の「人生は素晴らしい」では、言葉の裏にある思いについて、さらに具体的な話をしている。
由紀によれば、繰り返される感謝は、ただ喜びを表すだけのものではない。
別れの悲しさがあっても、その前に出会いがあり、相手から与えてもらったものがある。
そのことへの感謝なのだと、USENのインタビューで説明している。

本人は、記念コンサートで客前に立って歌ったことで、その気持ちを初めて実感したという。
明るい題名の歌でも、どの言葉も一様に晴れやかに扱えばよいわけではない。
喜びと寂しさの両方があると知ることで、同じ言葉に込められる気持ちの幅が見えてくる。
歌い出す前の息や、一つの言葉のあとに置かれる間を大切にする姿勢も、そうした複数の気持ちを伝える表現として捉えられる。

言葉が少ない部分でも、声の響きそのものが印象を残す。
そして言葉のある歌では、息や間合いを含めて、その奥にある思いを届ける。
由紀さおりの歌い方を考えるとき、この小さな表現を大切にする姿勢が、透明な歌声の中身を教えてくれる。
聴き手の思いを歌う役割に至る歩みは、由紀さおりの歌唱変遷でまとめている。

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