和田アキ子は、Tani Yuukiが自分のために書いた「愛ヶ十」を一度断っています。
歌詞には引かれたものの、Taniの高い声で聴いた歌を自分の低いキーに移すと、伝えたい気持ちまで変わってしまうと感じたからです。
ところが2025年、しまっていた歌詞を読み返して涙がこぼれ、もう一度歌いたいと申し出ました。
50年以上歌ってきた人が、新しい歌を受け取るまでに何を考えたのでしょう。
その答えは、若い頃から歌い続けた「あの鐘を鳴らすのはあなた」にもあります。
和田はこの曲の〈あなた〉が誰なのかを作詞家に尋ね、長い年月の中で、その言葉を向ける相手を増やしてきました。
代表曲を練習し直した2014年、若い音楽家のリズムに飛び込んだ2021年を経て、二つの歌がどう結びついたかをたどります。
1972年――「あの鐘」の〈あなた〉は、誰だったのか
和田は1968年、十代で「星空の孤独」を歌ってデビューしました。
後年の本人の話では、作詞した阿久悠は当初、彼女をもっと年上の歌手だと思っていたそうです。
若い和田のもとには、すでに大人の孤独や出会いを歌う言葉が届いていました。
1972年の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を受け取ったとき、和田は阿久に、題名の〈あなた〉は親なのか、恋人なのかと尋ねました。
返ってきたのは、和田がそれまでに出会った人たちを指すという答えでした。
〈あなた〉には、和田がすでに出会った人たちの顔が重なります。
歌う年月が増えれば、思い浮かぶ顔も増える言葉でした。
代表曲になっても、「あの鐘」の練習はそこで終わりませんでした。
後年、和田は代表曲の音も、言葉の受け取り方も見直します。
2014年――何千回も歌った曲の音程を直す
2014年の取材で、和田は直前の約5年間、以前にも増してボイストレーニングに取り組んでいたと明かしました。
「あの鐘」や「古い日記」を何千回と歌っていても、細かな音程のずれが見つかり、一つずつ修正していたそうです。
何千回の経験は、練習をやめる理由になりませんでした。
音だけではありません。
和田は、二十代の頃より今のほうが一曲ごとの歌詞を深く理解して届けられるはずだとも話しています。
長く歌う中で増えた出会いや別れが、〈あなた〉という言葉にも重なっていきました。
同年に初出演したブルーノート東京は、客席との距離が近い会場です。
和田にとっては、憧れのレイ・チャールズと初めて会ったニューヨークのブルーノートにつながる、特別な名前でもありました。
いつか自分もその名を持つ舞台で歌いたいという思いを、持ち歌を磨き続けたうえで実現したのです。
和田は二度下見をしたものの、実際に観客を前にすると景色も気持ちも違ったと振り返っています。
店から声がかかった際には、ジャズの曲だけに限らず、代表曲も歌う「和田アキ子のショー」にしたいと伝えました。
公演では「あの鐘」に加え、「どしゃぶりの雨の中で」などの持ち歌と洋楽を組み合わせています。
初めて彼女を観る人にも楽しんでもらい、歌をじっくり聴いて帰ってほしいという選曲でした。
練習し直した声を届ける場では、聴き手が和田アキ子をどこまで知っているかも考えていました。

撮影:Takuo Sato/Blue Note Tokyo
「あの鐘」の一曲の中で、短い言葉と長く伸ばす言葉をどう使うかは、和田アキ子の歌い方の記事で詳しく扱います。
2021年――「YONA YONA DANCE」で、張り上げない強さを使う
2021年、フレデリックが手がけた「YONA YONA DANCE」では、相手の音楽へ入っていきました。
制作した三原康司は、あえてフレデリックの色を濃くし、和田にとって新しい曲を目指したと説明しています。
繰り返す短い言葉が、ダンス曲のリズムを動かします。
録音に立ち会った三原健司が驚いたのは、和田が声を思い切り張っていないのに、太さと力が残ることでした。
代表曲の大きな長音で知られる歌手が、ここでは声を張り続けずに曲を成立させる。
歌の強さは、常に音量を上げることと同じではないと、制作した側が感じたのです。
和田は後の取材で、依頼を受けた当初はフレデリックを知らなかったと笑っています。
それでも若い音楽家と仕事をするのは楽しく、「YONA YONA DANCE」を若い人が受け取ったことで、音楽には年齢の壁もないと感じたそうです。
1972年の歌を磨き続ける一方で、知らなかった相手から届いた曲には、別のリズムと力加減で向き合うことができました。
2023年――ホールの後ろまで届けたい「あなた」
2023年、和田は最後のホールツアーを計画しました。
本人によれば、前年から股関節や膝の痛みがあり、発声の際にも力を入れにくい状態だったそうです。
次の大きな周年まで待って、同じようにツアーを回れるかはわからない。
その思いから、55周年の今できる歌を届けようと決めました。
ただし本人は、歌うことをやめるという意味ではないと明言しています。
ホールという場所でしか届けにくい歌を、今のうちに歌いたかったのです。
その一曲が「今あなたにうたいたい」でした。
和田は、マイクを通さず客席の後方まで声を届けるように歌いたいと話しています。
十代から応援して、今も会いに来る人たちがいる。
「あの鐘」の〈あなた〉を尋ねた若い歌手が、ここでは目の前の聴き手へ感謝を伝えるため、会場の広さまで考えていました。
「今あなたにうたいたい」1999年アルバム収録音源

2023年のインタビュー掲載写真。
撮影:林直幸/Real Sound
2021年のダンス曲では声を張り続けず、2023年にはホールの奥へ生の声を届けたいと話す。
和田は曲と会場に合わせ、声の使い道を変えていました。
その後、届ける相手を歌詞の中心に据えた新しい曲が、いったん断った和田のもとへ戻ってきます。
2025年――「愛ヶ十」を断った理由が、歌う理由に変わる
Taniが「愛ヶ十」を書いたのは、本人によれば2022年ごろです。
和田の著書『5年目のハイヒール』を読み、彼女が出会ってきた人々を、十個の〈愛〉と感謝の言葉で表そうとしました。
初めから和田に歌ってもらうための曲で、最初の話がなくなった後も、ほかの歌手へ渡さず取っておいたそうです。
和田が断ったのは、歌詞を嫌ったからではありません。
本人によれば、Taniの高い声から自分の低いキーに移したとき、曲の思いがうまく届かないと感じました。
裏声も使えるが、この歌は自分の厚い声で歌いたい。
どうにか音を出すだけでは、自分が届けたい歌にならなかったのです。
数年後、整理中に出てきた歌詞を読み返すと、今度は涙が止まらなかったといいます。
和田は勉強し直して歌いたいとTaniへ伝えました。
〈あなた〉は出会った人たちだと知ってから歌ってきた「あの鐘」と、人々への感謝を和田の半生から書かれた「愛ヶ十」。
二つの曲には、出会った人へ気持ちをどう届けるかという共通点があります。
もっとも、引き受けた瞬間に歌いやすくなったわけではありません。
2025年の共演映像の収録で、和田は自分の歌い出しが低く、まだ探りながら歌っていると話しました。
現場の取材記録では、歌声と伴奏の音量を何度も確かめ、イヤモニから聴こえるクリックと歌い出すタイミングも確認しています。
歌詞への強い思いを持ちながら、声を出す直前の条件まで調整していました。
Taniが先に歌うのを聴いた後、母を思い出して泣きそうになり、声にならなくならないようこらえたとも明かしています。
最初に迷った「どう歌えば気持ちが届くのか」という問いは、収録の場でも続いていました。
さらに和田は、年末のブルーノート東京で歌う際には、半音上げることも考えていると話しました。
低い歌い出しをどう扱うかという、次の舞台へ向けた検討です。
一度引き受けた歌を完成形のまま持ち歩くのではなく、自分の声で届けやすい形を探し続けていました。
テレビで初めてこの曲を歌ったときには、字幕にも希望を出しています。
異なる言葉をいずれも〈愛〉と読ませる詞なので、画面でも元の言葉と読み方が伝わるようにしたかったのです。
声だけでは同じに聞こえる言葉の中身も、聴き手に受け取ってほしい。
かつて〈あなた〉の意味を作詞家へ尋ねた人が、今度は自分から歌詞の受け取り方を助けようとしていました。
同年の『和田アキ子 オールタイムベスト』には、1972年の「あの鐘」の原盤と、2025年に録り直した版が並びます。
何千回も歌った曲を直し、若い音楽家の曲では力加減を変え、断った歌詞を読み直して引き受けた人が、再び「あの鐘」を録ったという順番に意味があります。
1972年に〈あなた〉が誰かを尋ねた和田は、2014年には経験を重ねた今のほうが歌詞を深く理解できると話し、2023年にはホールの客席にいる人たちへ声を届けようとしました。
2025年には「ありがとう」を伝える新しい歌を引き受けます。
声を磨き直すことも、張らずに歌うことも、歌いづらい新曲を引き受けることも、和田にとっては、その言葉を相手まで届けるための選択だったのです。







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