anoの歌い方・発声|嫌いだった声が「いるだけで成立する」武器になった理由

anoの歌い方と発声分析 ano

anoさんの歌声は、幼く聞こえる細い声だけでは説明できません。
ささやくような声が曲の中心に残った直後、叫びやデスボイスが景色を壊すほど大きく現れます。

しかも、この落差は器用さを見せるための飾りではありません。
本人は自分の声を長く好きになれず、それでも消さずに音楽へ置いた結果、弱さも違和感もそのまま作品の強度へ変わりました。

anoさんらしさの正体は、かわいい声を作る技術ではなく、整えれば消えてしまうものを残す判断にあります。

嫌いだった声が、曲の中心へ置かれた

「ちゅ、多様性。」の制作で起きたことは、anoさんの歌を理解するうえで象徴的です。
本人は以前から自分の声を好きではなかったものの、その声が曲を成立させる音楽的な素材として扱われました。

制作側が見つけたのは、立派に響かせなくても、そこにいるだけで成立する声でした。
歌唱力を隠すために個性を強調したのではなく、声が持つ違和感そのものを曲の設計へ入れています。

声を音楽の素材として使うano

一般的な歌唱では、弱い声を太くする、揺れを安定させる、子どもっぽさを大人っぽく直す方向が想像されます。
anoさんの場合は反対です。

声を平均的な形へ近づけるほど、歌詞の孤独や居心地の悪さまで薄くなってしまいます。
欠点に見える部分を修正しなかったことが、ほかの歌手では置き換えにくい音楽を作りました。

幼く聞こえる声は、かわいさより距離の近さを作る

anoさんの声については、幼い、力が抜けている、話し声に近いという説明がよく使われます。
ただし、高い音程で鼻にかければ同じ印象になるわけではありません。

複数の歌唱解説が共通して注目しているのは、大きく響かせるより、言葉を細かく区切って前へ置く歌い方です。
「ちゅ、多様性。」では、短い言葉が次々に現れるため、声量より発音の輪郭とリズムが存在感を作ります。

結果として、遠くから歌い上げる歌手というより、すぐ近くで奇妙な独り言を聞かせる人物に感じられます。
声が細いから弱いのではなく、距離を縮めるために細さが働いているのです。

ここで重要なのは、「幼く聞こえる声」と「幼い声を演じること」を同じにしないことです。
本人も、以前と声が違うという見方に対して、変化そのものを否定していません。
長く活動すれば話し方も歌い方も変わり、曲によって必要な声の位置も変わります。

それでも一貫しているのは、聞き手との距離を遠くしないことです。
大人らしい太い声へ無理に寄せるのでも、いつも同じ幼い声へ固定するのでもなく、言葉が最も本人から離れない形を選んでいます。
この柔軟さがあるため、特徴的な声が単なるキャラクターで終わりません。

幾田りらさんの透明な高音も近い距離を作りますが、方向は異なります。
幾田さんは滑らかな息の流れで物語へ招き、anoさんは整い切らない言葉の置き方で、聞き手を自分の内側へ引き込みます。

「上手く聞かせる」より、言葉を本人から離さない

ソロ活動を始めた時、anoさんが目指したのは、誰にでも好かれる応援歌ではありませんでした。
生きづらさを抱える人が、自分を守るために持てる武器として歌を届けようとしています。

その目的なら、発音を滑らかにそろえ、感情をきれいに整理することが常に正解とは限りません。
言葉が詰まる、急に強くなる、声が頼りなく残るといった揺れにも、話している本人の切実さがあります。

2022年のメジャーデビュー前後には、ソロとバンドI'sを分けて活動し、それぞれで自分の世界を作っていました。
一人の歌手が一つの声色へ統一されるのではなく、作品ごとに自分のどの部分を前へ出すかを選んでいます。

この点は、多数の声色を人物のように切り替えるAdoさんの歌唱表現とも似ています。
ただし、anoさんの中心には、演じ分けの華やかさより、本人の居心地の悪さを作品から追い出さない姿勢があります。

デスボイスは、かわいい声の反対ではない

anoさんは近年、デスボイスや激しい叫びを作品とライブへ積極的に入れています。
制作をともにする側からも、準備を重ねなくても急にその声を出せることが語られています。

ライブで歌うano

ここだけを見ると、細い声と強い声を使い分ける二面性のように見えます。
けれども、どちらも「整っていない感情を整えずに出す」という点ではつながっています。

小さな声は、言えないことを飲み込みながら話すように残ります。
叫びは、飲み込めなくなった瞬間に現れます。

二つは別人の声ではなく、同じ人物の感情が距離を変えたものです。
そのため、デスボイスだけを切り取っても、anoさんの歌の怖さや面白さは再現できません。

「かわいい声も出せるし、激しい声も出せる」と技術の数だけを数えると、この関係は見えにくくなります。
小さな声の直後に叫びが来るから、聞き手はそれまで抑えられていた感情の大きさに気づきます。
反対に、叫んだ後で細い声へ戻ると、強さの奥に残っていた孤独が前へ出ます。

声色の切り替えは見せ場であると同時に、曲の中で感情の距離を編集する方法です。
どちらか一方だけでは成立しにくいところに、anoさんの歌の設計があります。

アイナ・ジ・エンドさんのハスキーな歌声も、きれいに整えない質感が感情を支えます。
アイナさんが一音の中へ痛みをにじませるのに対し、anoさんは小さな声と破裂する声の距離そのものを物語にします。

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「BONE BORN BOMB」で声はもっと本人の責任になった

初期のソロ作品でも、anoさんは自分の世界を強く持っていました。
それでも本人は、制作のすべてが自分だけの純度でできていたわけではないと振り返っています。

アルバム「BONE BORN BOMB」では、歌詞だけでなくメロディにも以前より深く関わり、作品を最初から組み立てる責任を引き受けました。
声を与えられた曲へ合わせる段階から、どの声が必要になる曲なのかを自分で作る段階へ進んだことになります。

この変化によって、かわいく聞こえる声を期待されても、それだけに閉じる必要がなくなりました。
デスボイスをもっと増やしたいという意志も、目立つ技法を足したいのではなく、自分の中にあるものを作品へ残し切りたいという流れの中にあります。

歌手が作家から渡された曲を巧みに歌う場合、声は完成した設計を実現する役割を担います。
自分で旋律へ深く関わると、順序が逆になります。
最初から「この言葉は小さく残したい」「ここでは壊れるほど強く出したい」と考え、必要な声が生きる曲を作れるからです。

嫌いだった声が評価されたことだけでも大きな転換でした。
そこからさらに、その声が最も面白くなる場所を本人が設計する段階へ進んだことが、近年の変化を特別なものにしています。

真似するなら、声色より「消さないもの」を決める

anoさんの歌い方を表面から真似すると、喉を狭くして幼い声を作るか、無理に叫ぶ形になりやすいです。
どちらも本人の声質や経験を飛ばしているため、似せるほど不自然になり、喉にも負担がかかります。

参考にできるのは、声色そのものではありません。
自分の声の中で、上手く聞かせようとすると最初に消してしまう部分は何かを考える姿勢です。

少し息が混じる、言葉の終わりが弱い、話す時だけ独特の間がある。
それが曲の内容と結びつくなら、すべてを平均的な美声へ直す必要はありません。

一方、痛みを伴う叫びや強いかすれは個性ではなく不調です。
デスボイスを本人の方法が分からないまま再現せず、発声中の痛みや話し声の異常が出たら中止してください。

anoの歌は、弱点を隠さなかったから強い

anoさんの歌声は、細く幼く聞こえる声と激しい叫びを持つから個性的なのではありません。
嫌っていた声を別人のように作り直さず、作品の中心へ置いたことに強さがあります。

小さな声は聞き手との距離を縮め、デスボイスはその近さを一気に破ります。
正反対に見える二つの声が同じ人物から出るため、かわいさだけにも、激しさだけにも回収されません。

声の弱点を消すことが上達とは限らない。
anoさんの歌は、その事実を最も分かりやすく音楽にした例の一つです。

年代によってこの声の役割がどう変わったかは、anoさんの歌唱変遷で詳しく整理しています。

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