ピーター・セテラ(元Chicago)の歌声の変遷|高音に苦しんだ初期から、自分の歌に手応えを得るまで

ピーター・セテラの高い声は、Chicagoの初期からよく知られていました。
ところが本人は、当時の歌をいつも楽に歌えていたとは考えていません。ずっと後のインタビューで、自分の歌が調子をつかんだのは『Chicago 16』『Chicago 17』の頃だと振り返っています。

デビューから十年以上たった時期です。
有名になった声と、本人が納得できる歌い方。その二つには時間差がありました。初期のロック、1980年代のバラード、ソロでの再録音をたどると、セテラが声だけでなく、歌うときの役割や曲との付き合い方も変えてきたことが分かります。

1969〜70年:高い声の担当にも、高すぎる曲があった

初期のChicagoで、セテラはベースと歌を担当していました。
ロバート・ラム、テリー・キャスもリードを歌うため、全曲で前に出るわけではありません。セテラの高い声は、複数の歌い手を持つバンドの大切な個性の一つでした。

1970年の「25 or 6 to 4」は、その初期を代表する曲です。バラード歌手の印象が強い方にも、ギターとホーンを持つロックバンドの中で歌っていたことが、はっきり伝わる曲でしょう。

ただし、高いパートを任されていたことは、余裕を持って歌えていたという意味ではありません。
セテラは初期の曲の高さに苦労した経験を語っています。後年の回想でも、当時は高い声を求められ、自分では心地よく歌えていなかったと説明しました。

初期の歌の勢いを好きな人にとっては、少し意外な話です。
録音に残った歌を聴き手が気に入ることと、本人がその歌い方を続けたいと思うことは、必ずしも一致しません。セテラの歩みは、若い頃に出た高音をそのまま守り続ける話としてだけ見ると、本人が何を変えたかったのかが分からなくなります。

1969年頃のChicago Transit Authority
1969年頃のChicago Transit Authority。写真:Hit Parader / Dcameron814 / Public domain

1976年:「If You Leave Me Now」が代表する声へ

1976年の『Chicago X』では、セテラが書いて歌った「If You Leave Me Now」が大きな成功を収めます。
恋人が去っていくのを引き留めるバラードで、Chicagoにとって初の全米シングル1位になりました。セテラの声を、この曲と結びつけて覚えた人も多かったはずです。

ここで、セテラの声が高いこと自体は、初期から変わっていません。
変わったのは、その声がバンドの曲の中でどんな役割を担い、何を歌う人として広く知られるようになったかです。「25 or 6 to 4」の歌い手が、恋人を失いそうな心細さを歌うバラードでも、バンドの代表曲を生みました。

とはいえ、本人がここですべてに満足したわけでもありません。
後にセテラは、1982年以前の制作には多くの意見が入り、自分では確信を持ち切れなかったと話しています。曲がヒットしたことと、自分の判断で歌や録音を作れることは、別の問題だったのです。

1982〜86年:歌に手応えが出て、ベースとの役割も変わる

1982年の『Chicago 16』では、プロデューサーにデイヴィッド・フォスターを迎えました。
「Hard to Say I’m Sorry」は、セテラとフォスターが共作した曲です。続く1984年の『Chicago 17』とともに、この時期をセテラは、自分の歌が調子をつかんだ時期として挙げています。

録音では、楽器との関係にも変化がありました。
フォスターはシンセサイザーのベースを使い、セテラが常にベースを弾く必要はなくなります。後にセテラは、ベースと歌を両方こなすことには限界を感じ、歌に専念するようになったと説明しています。

これは、歌い方の変化を考えるうえで見逃せない点です。
同じ高い声でも、ベースを演奏しながら歌うのか、歌だけに集中するのかで、歌い手が同時に担う仕事は違います。声だけが突然別物になったというより、セテラが歌を作り、歌うための条件も変わっていきました。

1985年にChicagoを離れ、翌年にはソロで「Glory of Love」「The Next Time I Fall」がヒットします。
ただ、セテラは後年、バラード以外の曲もヒットさせたいと考えていたことを話しています。レコード会社が次のバラードをシングルに選ぼうとするたび、もっと速い曲を出せないかと争ったというのです。

自分に合う歌を見つけても、それだけを歌う人になりたかったわけではない。ソロでの成功にも、セテラ自身の希望と、聴き手やレコード会社から求められるものとの違いがありました。

1990年代:昔の曲を、今の自分ならどう歌うか

ソロ活動では、女性歌手とのデュエットも大切な作品になりました。
1995年の「(I Wanna Take) Forever Tonight」や当時の公演評では、セテラの明瞭で強い声と、相手の息を含んだ声との対照が評価されています。若い頃の高音を一人で再現することだけが、歌の聴きどころではなくなっていました。

曲に応じて歌う人を分けたり、違う声と組み合わせたりする面白さは、ピーター・セテラの歌い方でも詳しく扱っています。

1997年の『You’re the Inspiration: A Collection』では、Chicago時代の「If You Leave Me Now」などを録音し直しました。
最初は再録音に乗り気ではなかったそうです。それでも、ダン・ハフと制作を進めるうちに、もし今これが新曲だったらどう作るか、という考え方に変わります。以前の録音をそのまま再現する作業ではなく、今の自分たちが手を加えられる曲として取り組んだのです。

名曲になると、昔の歌い方だけが正解のように思えてきます。
でも、セテラにとっては自分で書いた曲でもあります。一度成功した歌を、もう一度作り直して楽しめる。声の変遷には、年齢とともに何が出なくなったかだけでなく、過去の歌をどう扱うようになったかも含まれます。

ピーター・セテラ
ピーター・セテラ。写真:RPrinter / Public domain

2010年代:代表曲を残しながら、歌い続ける形を選ぶ

2015年の公演を見た評には、歌いやすいようキーを下げていたという指摘があります。その一方で、歌声や公演の勢いは好意的に受け止められていました。
これは、若い頃と同じ高さかどうかだけでは、公演の良し悪しを決められない例でしょう。

セテラ自身は2018年、古い曲のアレンジをできるだけ元の形に近づけつつ、音を今のものにしていると話しています。
よく知られた曲の印象を大切にすることと、歌や演奏のすべてを昔のままにすることは同じではありません。

2017年のビニャ・デル・マール音楽祭でも、「If You Leave Me Now」は演目に残っています。1976年のスタジオ録音から、約40年後のステージです。

同じ曲なので、若い頃との声の違いは気になるでしょう。同時に、録音作品と、大勢の観客に向かって歌う公演という違いもあります。
あの頃の声にどれだけ近いかだけでなく、今の歌い手として、この曲をどのように届けているか。そう考えると、後年の歌にも聴く理由ができます。

高音の持ち主が、自分の歌い方を選んでいった

セテラの歩みでは、声の高さだけでなく、歌い手としての役割の変化も目立ちます。
初期はバンドの中で高い声とベースを担い、1980年代にはフォスターとの制作を通じて歌に手応えを得る。ソロでは歌に専念し、デュエットや再録音では、昔の曲や自分と違う声との新しい組み合わせを作りました。

初期の勢いが好きなら、その好みを変える必要はありません。
ただ、本人は長い時間をかけて、自分が納得できる歌う場所や方法を選んでいた。セテラの歌声の変遷は、高音が出た若者が年を重ねたというだけではなく、あの声を持つ本人が、どんな歌をどう歌いたいかをはっきりさせていった過程なのです。

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