アレサ・フランクリンの歌声はどう変わった?14歳と29歳の「Never Grow Old」をつなぐもの

1968年の広告に使われたアレサ・フランクリンの宣材写真 アレサ・フランクリン
写真:Atlantic Records / Public domain

アレサ・フランクリンは14歳の1956年、デトロイトの父の教会で「Never Grow Old」を録音しました。
ソウルのスターになった29歳の1972年にも、ロサンゼルスの教会で同じ歌を歌っています。
後の録音では、彼女のピアノに合唱団とバンドが加わり、歌はずっと長い時間をかけて進みます。

成功した後で同じ歌を歌ったとき、何が変わっていたのでしょう。
アレサの道のりは、ゴスペルを離れて、後で取り戻したという筋書きだけでは説明できません。
最初の教会録音からポップスのスタジオへ、そして再び教会へ。
変わったのは、声を合わせる相手と、歌全体を動かす彼女の役割でした。

1956年――父の教会で、ピアノを弾きながら歌う

「Never Grow Old」の最初の録音は、父C・L・フランクリンが牧師を務めたニュー・ベテル・バプティスト教会に残されています。
アレサはそこで歌を披露するだけでなく、自分のピアノで伴奏していました。
父が登場する前に歌う役割も担っていたのです。

この録音を「まだ声が完成していない少女の記録」と見てしまうと、大事なことを逃します。
後に本人が振り返ったように、教会は若い歌手としての訓練の場でした。
彼女は父の説教を聴き、聖歌隊にも参加して育っています。

ただし、家の中がゴスペル一色だったわけでもありません。
父はジャズやポップスを禁じず、さまざまな音楽家が家を訪れました。
アレサはリズム・アンド・ブルースの放送も聴いて育ちます。
教会から別の音楽へ進む道は、最初から身近にありました。

1960年代前半――教会の外の歌を、自分で選んだ

ゴスペルからポップスへ進んだ歌手サム・クックの「You Send Me」を初めて車のラジオで聴いたとき、アレサと姉妹は車を止めるほど興奮したといいます。
すぐに同じ道を歩くと決めたわけではありません。
それでも彼の録音を聴き続けるうちに、アレサも歌う分野を広げたいと考え、父とともに大手のコロムビア・レコードを選びました。

そこで彼女はブルース、ジャズ、ポップスなどに取り組みます。
1963年発表の「Skylark」では弦楽器を交えた編曲の中で歌いました。
後年、この時期の弦楽器の編曲が好きだったと、本人ははっきり語っています。
ヒット曲の数だけを根拠に、コロムビア時代を「本当の声を出せなかった失敗」と片づけることはできません。

一方で、本人は1968年の取材で、自分を「ジャズ歌手」とは感じていないと話していました。
1968年時点の自分の歌はリズム・アンド・ブルースやブルースに近く、時にはポップスも混じるという認識です。
周囲が一つのジャンル名を付けても、アレサの関心は一つの枠には収まりませんでした。

1967年――ピアノが、スタジオの歌と再び結び付く

1967年、アトランティックでの録音が始まると、スタジオでの彼女の位置が変わります。
コロムビアでは歌唱ブースにいることが多かったアレサに、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーはピアノを弾きながら歌うよう勧めました。
最初の「I Never Loved a Man (The Way I Love You)」の録音が思うように進まないなか、彼女がピアノに座ると演奏がまとまり始めた、と本人は振り返っています。

ここで初めてピアノを身につけたわけではありません。
14歳の教会録音でも、すでに弾きながら歌っています。
大きかったのは、歌手の声に合わせてピアノを弾く彼女自身の判断が、ヒット曲を作るスタジオでも中心になったことです。

この時期の「Respect」で、言葉の立場や姉妹のコーラスまで組み替えた仕事は、アレサ・フランクリンの歌い方の記事でたどれます。
ここで押さえたいのは、教会を離れて別の声を獲得したのではなく、教会でも使っていた歌とピアノの結び付きを、新しい録音の中で生かしたことです。

1972年――同じ歌を、合唱団と会衆のいる時間へ

1972年1月13日と14日、アレサはロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で『Amazing Grace』を録音します。
「Never Grow Old」が歌われたのは2日目でした。
1956年の録音は3分弱、1972年の当初のLP版は約10分。
後年の完全版には15分を超える演奏が収められています。

同じ曲ですが、単に高い声や大きい声を増やした結果ではありません。
また、1972年の約10分版と15分を超える版は、年を重ねて歌い方が変わった二つの録音ではなく、同じ公演の編集の違いです。
長さを比べるときは、歌手の変化と、レコードに残された範囲を分けて考える必要があります。

前年の取材でアレサは、ジェームズ・クリーヴランドと良い合唱団を迎え、教会でゴスペルを録音する計画を語っていました。
実際に参加した南カリフォルニア・コミュニティ合唱団も、彼女が現地に来る前から、ほぼ1か月練習しています。

ただし、準備済みの合唱にアレサが加わるだけではありませんでした。
クリーヴランドによれば、彼女から渡された候補曲は後から何度も増え、最終的なリストが決まったのは録音の約2週間前。
本番前の月曜から水曜には、彼女が望む形を伝え、それを皆で音にするリハーサルを重ねています。
歌いたい曲を選ぶことと、その曲をどう進めるかを決めることの両方に、アレサが関わっていました。

彼女のピアノに、普段のバンドの演奏、合唱、会衆の応答が重なります。
14歳の録音でも周囲に教会の人々はいましたが、今度は合唱団とバンドが準備した大きな編成で、同じ言葉を何度も受け渡せる。
曲の長さの違いは、その場の作り方の違いでもあります。

曲目には、古い賛美歌だけでなく、キャロル・キングの「You’ve Got a Friend」やマーヴィン・ゲイの「Wholy Holy」も含まれています。
アレサがポップスを歌った年月と、教会で学んだ歌は、ここで別々のものとして切り離されていません。

その歌を支えるバンドにも、共に演奏してきた蓄積がありました。
ドラマーのバーナード・パーディーは、仲間と互いの音を聴き、ソロで目立つことよりもリズム隊として支え合っていた、と語っています。
一人が声を伸ばし、歌の時間を大きく使える背後には、周りの奏者が共通の流れを保つ仕事もあります。
アレサだけを見ていると、この自由を支えた人たちの役割を見落としてしまいます。

パーディーは、このアルバムで彼女が教会のルーツを離れていなかったことを世に示した、とも振り返っています。
アレサ自身も共同プロデューサーに名を連ねました。
歌い終えた後、どの曲を収め、どのような一枚として届けるかにも関われる立場です。
1972年の「Never Grow Old」は、スターが昔の曲を思い出して歌っただけの記録ではありません。
最初から持っていた歌を、大勢の人とともに成立させた記録です。

1987年――今度は父の教会に、姉妹と戻る

その15年後、アレサはニュー・ベテル・バプティスト教会で『One Lord, One Faith, One Baptism』を録音しました。
1956年に最初の曲を残した、父の教会です。
1987年の録音には姉妹たちも参加し、「Surely God Is Able」ではアレサとフランクリン姉妹の名前が並びます。
アレサはこのアルバムを自らプロデュースしました。

1956年は父の前で歌う14歳、1972年は自身のバンドや大きな合唱団と歌う世界的な歌手、1987年は家族の声とともに父の教会で歌を作る人。
同じゴスペルでも、彼女がそこに持ち込める経験と、歌を分け合う相手は変わっています。
「戻った」という一語では、その積み重ねが見えなくなります。

教会で育った歌は、1987年を最後に消えたわけでもありません。
2015年にはホワイトハウスのゴスペル公演でも歌っています。

2015年、ホワイトハウスで歌うアレサ・フランクリン
2015年、ホワイトハウスで歌うアレサ・フランクリン。
写真:Pete Souza / The White House / Public domain

2016年――教会で歌う意味を、自分の言葉で語る

2016年、アレサはニュー・ベテル教会で再び歌い、「Rock of Ages」を収録しました。
本人は、コンサートで歌うことと教会で歌うことは違う、と話しています。
同時に、どんな音楽にも人を動かす力があるとも述べました。
教会を特別に感じながら、ほかの音楽も大切にする姿勢は、ポップスへ進んだ頃から続いています。

1956年と1972年の「Never Grow Old」を比べると、後の録音の長さや編成に目が向きます。
けれども、そこから声量の増減や年齢による変化を決めつけることはできません。
彼女は教会でピアノを弾いて歌い始め、別のジャンルやスタジオを経験し、合唱団や姉妹と歌う形も選んできました。
歌う場所が変わるたび、独りで歌い切るのではなく、誰と音楽を作るかを広げていった。
その違いが、同じ曲を二度録音した記録には残っています。

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