ミニー・リパートンの歌声の変遷|「楽器のような声」だけで終わらせなかった

1974年のミニー・リパートンの宣伝写真 シンガー
写真:Epic Records

ミニー・リパートンといえば、「Lovin’ You」の高音を思い浮かべる人が多いでしょう。
ところが本人は、声を楽器の代わりに使いたがる人たちに、以前から違和感を覚えていました。
1976年の取材で、声の高低だけでなく、繊細に気持ちを伝えられることが大切だと話しています。

この言葉は、ヒット曲が出てから急に高音を嫌いになった、という意味ではありません。
グループでは自作曲を出さず、ソロでは歌を引き立てる編曲を経て、自分の曲と録音の作り方を選ぶようになりました。
声そのものが別物になったというより、その声で何を歌い、どう届けるかが変わっていったのです。

1967~69年|歌は任されても、曲は自分で選ばなかった

シカゴでセッション歌手として活動していたミニーは、1967年にロータリー・コネクションに加わりました。
サイケデリック・ロックやソウルを混ぜたグループの録音で、彼女の声はすでに際立っています。
初期作の「Memory Band」には、後に彼女の代名詞となる笛のような高音も登場します。
ただ、目立つ歌声の持ち主であることと、どんな曲を作るかを決められることは別でした。

1976年、ミニーは当時のグループについて、7人のメンバーがおり、録音する曲はプロデューサーが強く決めていたと振り返っています。
そのため、自分の曲を持ち込もうとは思わなかったそうです。
ライブとレコードのグループがかなり違っていた、とも話しました。
高い声を任される場所には立っていても、歌を通して自分をどこまで出せるかは、まだ自分だけで決められなかったのです。

1970年|『Come to My Garden』で、声は管弦楽の中へ

初のソロアルバム『Come to My Garden』では、グループの一員ではなく、ミニーの名前が表紙に出ました。
ただし、いきなり彼女一人で音楽を作り始めたわけではありません。
プロデューサーで編曲家のチャールズ・ステップニーが全曲の制作と編曲を担い、作曲にも関わっています。

興味深いのは、グループで歌った「Memory Band」を、このソロ作でも取り上げたことです。
二つの版を紹介した音楽番組では、ソロ版がボサノバを思わせる控えめな始まりから、弦と管楽器が広がる編曲へ進むと説明されました。
同じ曲でも、1970年にはミニー個人のアルバムを形作る一曲になっています。

「Les Fleurs」も、ステップニーの管弦楽的な音作りを示す曲です。
ロータリー・コネクション時代から彼女を知る音楽家パトリース・ラッシェンは、ミニーの魅力を、単純に声量が大きいことではなく、澄んだ声を柔軟に使えることだと捉えています。
ステップニーの編曲も、その声を押しのけずに生かしたという見方です。

グループ版の「Memory Band」にも高音があり、高い声を新たに獲得した変化ではありません。
一人の歌手を中心に、その声と楽器がどんな関係を作るかを追えるようになったことです。
後の「Lovin’ You」では、そこから楽器を思い切って減らす選択がなされます。

1974年|「Lovin’ You」を、デモの近さへ戻した

『Perfect Angel』のためにスタジオへ入ったとき、ミニーと夫で共作者のリチャード・ルドルフは、以前に自宅で作った「Lovin’ You」のデモを持っていました。
何度か録音し直しても納得がいかず、共同プロデューサーのスティーヴィー・ワンダーが、その簡素なデモをもう一度聴こうと提案します。
ミニーの歌とリチャードのギターを核に戻し、完成版ではワンダーのエレクトリック・ピアノを加えました。

この曲には、ベースもドラムもありません。
弦やコーラスを広げた『Come to My Garden』とは対照的ですが、ステップニーの編曲を否定したわけではないでしょう。
家庭で生まれた歌を、近くで語りかける形のまま届けるには何を残すか。
共同制作者たちは、その曲に合う編成を選び直したのです。

ツアーでは観客が「Lovin’ You」に強く反応しました。
リチャードによると、レコード会社はミニーをR&B歌手として売る方針を気にしてシングル化に慎重でしたが、二人は発売を求めました。
高音を目立たせるだけの見本ではなく、ミニーとリチャードが書き、届けたいと考えた一曲だったことも、この経緯から見えてきます。

高音を歌詞のどこに置き、柔らかな声へどう戻るかは、ミニー・リパートンの歌い方で一曲の中の選択として詳しく扱っています。
ここで注目したいのは、管弦楽的な1970年作から、彼女の声と言葉を近くに置く1974年作へ、録音の考え方が変わったことです。

1975~77年|「清らかな高音」のイメージには収まらない

「Lovin’ You」が知られたあと、同じ歌を繰り返す選択もできたはずです。
しかし1975年の『Adventures in Paradise』で、ミニーはリチャード、スチュワート・レヴィンと共に制作を担い、「Inside My Love」をリオン・ウェアとも書きました。
その歌には肉体的な親密さを思わせる言葉があり、放送を見送ったラジオ局もありました。
ミニー自身は後の取材で、この曲が文脈から切り離され、過剰な意味を乗せられたと振り返っています。
「Lovin’ You」で広く知られた声が、その翌年には、受け取り方が割れる恋の歌を歌っていたのです。

この時期、ミニーは自分の声が「楽器のようだ」と言われ、管楽器のパートのように使われることがあったと語りました。
本人が強調したのは、高い音も低い音も出せることに加えて、感情を繊細に歌える声だという点です。
同時代の音楽評はアルバム表題曲「Adventures in Paradise」で、低く少し荒さのある声を交えた後、高い音域へ上がる歌唱にも注目しました。
「Lovin’ You」の静かな曲調だけが、ミニーに用意された歌い方ではなかったのです。

1977年作『Stay in Love』ではフレディ・ペレンが制作を担当し、軽快なリズムを前に出した曲も歌っています。
当時の音楽評には、この作品でミニーは極端な高音を見せるよりも、通常の音域で歌う場面が多いという見方もありました。
『Adventures in Paradise』で共同制作に加わったからといって、次の作品も同じスタッフや歌い方に固定したわけではありません。

1977年のミニー・リパートン
1977年のミニー・リパートン。写真:Epic Records

1979年|歌う前に、録られる声まで考える

生前に完成させた最後のアルバム『Minnie』では、ミニーはリチャード、ヘンリー・ルーウィと共同プロデューサーになりました。
レコード会社を移った際の取材で、以前の会社では自分が埋もれてしまう感覚があり、今度は進めたい方向を理解してもらえると語っています。
単に名前だけが制作欄に加わったのではありません。

ミニーとリチャードは自宅で曲の準備を進め、彼女は女性の声を録るルーウィの仕事を評価して一緒に働きたいと思いました。
スタジオでは新しい機材に限らず、古いマイクも使ったと話しています。
急いで完成させるよう求められず、自分の書いたことを相手が聴いてくれることも大切でした。
声をどう出すかに加え、どう録り、言葉をどう受け止めてもらうかまで、作品づくりの一部になったのです。

同じアルバムの「Lover and Friend」では、家で作っていた曲を聴いたワンダーが参加し、リズムの土台を作ったとミニーは話しています。
人に任せることをやめたのではなく、自分が求める曲と共同制作の相手を選ぶようになりました。

高い声に、何を歌わせるか

ロータリー・コネクションでは、印象的な声を持っていても、選曲や制作の主導権は限られていました。
ソロ作ではステップニーの豊かな編曲を経て、「Lovin’ You」で声のすぐそばまで伴奏を減らし、次の作品では一曲の言葉が持つ大胆さも選びました。
1979年には録音を共に作る人と方法まで、自分の考えを伝えています。

ミニーは高音を捨てたわけでも、年を追うごとに一直線に「強い声」へ向かったわけでもありません。
高音を出せる声を、誰の曲の、どんな言葉と音に置くのか。
曲ごとにその選択を重ねたことが、彼女の歌声の変遷です。

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