エルトン・ジョンの初期の録音と後年の歌を比べると、声の変化が気になる人は多いでしょう。
本人も、若い頃に比べて声が低くなり、裏声の出し方が変わったことを認めています。
その一方で、後年の声には響きが増えたと感じ、自分の歌に以前より手応えを持つようになりました。
この変化は、1987年の喉の手術だけで説明すると、大切な一章を取りこぼします。
エルトンは手術の約10年前から、低い音域をもっと使うよう助言されていました。
その後も、他の歌手を見て学び、新しい共演では歌い慣れない役割に挑戦しています。
1971年の『Top of the Pops』で歌った「Your Song」から、低い声を学んだ1970年代後半、喉の問題に向き合った1980年代、そして2025年の共同作品へ。
声が変わった事実に加えて、エルトンがその声をどう受け止め、使ってきたかをたどります。
1970年代前半――名曲が生まれても、歌には迷いがあった

「Your Song」が録音されたのは1970年1月です。
アルバム『Elton John』では、ガス・ダッジョンの制作とポール・バックマスターの管弦楽編曲が、エルトンのピアノと歌を支えました。
初期の名曲は、すでに完成した一人の才能が、そのまま録音されたようにも思えます。
実際には、歌と伴奏をどう組み合わせるかを、周囲と作っていた時期でもありました。
1974年の「Don’t Let the Sun Go Down on Me」では、本人が自分の歌に納得できず、曲をアルバムから外そうとしたほどです。
曲に自信を持っていたガスたちは録音を完成させ、エルトンにとって長く歌う代表曲になりました。
この時期の声を好む聴き手がいることと、当時の本人が歌に満足していたかどうかは、別の話です。
1970年代のエルトンは、ヒット曲を次々と作りながら、歌手としても試行錯誤していました。
その彼が、いつもの制作体制を離れ、歌に集中する機会を持ちます。
1977年――ピアノを弾かず、低い声を教わる
1977年10月、エルトンはソウル音楽のプロデューサー、トム・ベルと録音しました。
トムはスタイリスティックスやスピナーズなどを手がけた人物で、エルトンは以前からその仕事を好んでいました。
自分も影響を受けてきた音楽の作り手に、制作を大きく任せたのです。
この録音で、エルトンはピアノも他の楽器も弾かず、歌に専念しました。
トムは彼に、低い音域をもっと使うこと、呼吸を見直すことを勧めます。
エルトンは後に、自分の声について教えてくれた最初の人として、トムの名前を挙げています。
すでに世界的なスターだった歌手が、鍵盤から離れ、まだ十分に使っていない声を指摘される。
この経験が1977年だったことは、声の変遷を考えるうえで大切です。
低音は、手術後に高音の代わりとして初めて探し始めたものではありません。
それ以前に、歌の選択肢として教わっていました。
ここで録音した「Mama Can’t Buy You Love」「Are You Ready for Love」など3曲は、1979年に発表されます。
全6曲がそろった『The Complete Thom Bell Sessions』の発売は1989年ですが、歌っているのは1977年のエルトンです。
発売年だけで声の順序を追うと、この大切な経験を10年以上後に置いてしまいます。
1986〜1987年――歌い続けられるか、不安を抱えた公演
1986年末のオーストラリア公演で、エルトンは声に問題を抱えていました。
このツアーでは、14人編成のバンドにメルボルン交響楽団の88人が加わり、最後のシドニー公演はライブ盤にもなります。
大がかりな演奏を形にする一方で、本人には、この先も歌えるのかという不安がありました。
1986年12月14日の「Don’t Let the Sun Go Down on Me」は、そのツアー最終日の歌唱です。
大編成の伴奏と歌声を楽しむと同時に、喉の不調を抱えた特定の日の記録でもあることを押さえておきたい演奏です。
この一公演の声を、その年代の普段の声と同じには扱えません。
翌1987年、エルトンはオーストラリアで喉の手術を受けました。
後に本人は、この手術の頃から声が変わり、より低い響きになったと振り返っています。
ただし、その変化を、歌手として失ったものの話だけにはしていませんでした。
2000年代――昔の裏声を惜しむ声と、本人の手応え

2004年、エルトンは、以前ほど裏声が出なくなったという公演評について、ある程度はその通りだと認めています。
そのうえで、声の響きには満足しており、以前と同じキーで歌っている曲もあると説明しました。
声色が低くなったことと、すべての曲の音の高さを下げたことは、同じではありません。
同じ高さの音を歌っていても、声の質感は変わります。
本人が成長として挙げたのは、呼吸の仕方を学び、他の人の歌い方を見てきたことでした。
ピアノを弾くことが中心だった自分から、歌手としての自覚が強い自分へ変わった、とも語っています。
声が変わったあと、その声でどう歌うかを覚えていったのです。
2000年10月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでも、エルトンは「Don’t Let the Sun Go Down on Me」を歌いました。
1986年のシドニー公演から14年後です。
こちらはバンドでの演奏なので、オーケストラが加わった1986年版とは伴奏の厚みも違います。
同じ旋律を歌う本人の声へ注目すると、編成の違いと声の違いを分けて楽しめます。
後年の声を聴くとき、初期の録音と同じ響きが出るかだけを基準にすると、本人が喜んでいた部分が見えにくくなります。
若い頃の裏声を好む人には寂しい変化でも、本人は増した響きに歌手としての手応えを感じていました。
変わった声に対する、聴き手と本人の見方の違いです。
2025年――主旋律の隣で歌う、新しい難しさ
2023年にツアーを終えたエルトンは、その年の秋、ブランディ・カーライルと新しいアルバムを録音しました。
2025年に発表された『Who Believes in Angels?』です。
ツアーからの引退は、新しい歌の制作から退くことではありませんでした。
「Swing for the Fences」では、ブランディが主旋律を歌い、エルトンがハーモニーを担当しています。
ハーモニーは、同じ旋律を二人で歌うのではなく、別の高さの音を重ね、二人の声で和音を作る歌い方です。
エルトンは、この役割が難しかったと話しています。
これまでにも彼には数多くのデュエットがありました。
それでも今回、本人が強調したのは、一行ずつ交代で歌うだけではなく、アルバム全体でハーモニーに取り組んだことでした。
一人で主旋律を歌うときの慣れが、そのまま通用する仕事ではなかったのです。
1977年には、トム・ベルに低い音域の可能性を教わりました。
半世紀近くたった共同制作では、相手の歌に別の音を合わせることに難しさを感じています。
大きく変わったのは声だけではなく、その声で引き受ける仕事でもありました。
変わった声で、歌い方を学び続ける
エルトンの歌声の歩みには、低い音域を意識した1977年、喉の問題と手術を経験した1986〜1987年、後年の声への手応えを語った2004年という、異なる転機があります。
一度の出来事ですべてが変わり、あとは同じ声で歌い続けた、という経過ではありません。
初期の裏声を思うように使えなくなったという本人の認識も、低くなった声を気に入っているという発言も、この歩みの一部です。
さらに、新しい共演では、歌う役割が変わることで、また学ぶことが生まれました。
その長い変化の中でも、歌詞を受け取り、自分の歌にする仕事は続いています。
「Your Song」の言葉の扱い方と、後年の録音で歌詞に深く動かされた出来事は、エルトン・ジョンの歌い方で詳しく扱っています。
昔のエルトンを好きな人も、後年の歌から知った人も、「Don’t Let the Sun Go Down on Me」の二つの公演を続けて聴くと、同じ曲を歌い続ける声の変化に触れられます。
そのあとで「Swing for the Fences」を聴けば、自分の代表曲を歌うときとは違う、もう一人の歌手を支えるエルトンにも出会えます。
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