ビリー・ジョエルの歌声の変遷|若い頃の高音と、年を重ねてから好きになった声

ビリー・ジョエルは、自分の声を好きではないと繰り返し語ってきました。
ところが2024年、新曲「Turn the Lights Back On」の録音を聴いたときには、いつもと違う反応をしています。自分の歌を聴いて、嫌だと思わなかった。本人にとって、それは珍しいことでした。

その後、2026年のインタビューでは、若い頃より年を重ねた声のほうが好きだとも話しています。
昔の高音を取り戻せたから、という説明ではありません。声そのものが変わり、その声で歌う自分への感じ方も変わってきたのです。

1970年代の若い歌から、1983年に声の可能性を詰め込んだ作品、長年のライブ、そして2024年の新曲へ。ビリーが自分の歌に手応えを得るまでをたどってみましょう。

1970年代:若い声から、響きのある声へ

「New York State of Mind」は、1976年の『Turnstiles』に収められた曲です。
当時の歌う姿は、同年にコネティカットで収録された公演にも残っています。後年まで歌い続ける代表曲を、20代のビリーが歌っていた時期です。

ビリーは自分の声について、もともとは高い音域のテナーで、のちにより低いバリトンへ変わったと説明しています。
特に1970年代後半からは、胸からの響きが増したように感じていたそうです。本人は、意識して歌い方を変えた結果というより、自然に起きた変化として振り返っています。

この時期には、録音を支える相手も変わりました。
1977年の『The Stranger』から、プロデューサーのフィル・ラモーンとの仕事が始まります。ラモーンは、曲の多彩さとともに、ビリーの歌の表情を引き出した相手でした。

声が変わることと、その声を生かす録音ができること。
ビリーの1970年代後半を考えるときには、体の変化だけでなく、歌を理解してくれる制作相手との出会いも大切です。

1983年:今のうちに歌っておきたかった高音

1983年の『An Innocent Man』は、ビリーが育った1950年代から60年代初めの音楽への思いを、新しい曲にした作品です。
声の変化を感じていた人が、ここではむしろ高い声をたっぷり使いました。

ラモーンによると、ビリーはこのとき、歌い手としての自分を前に出したアルバムを作りたかったそうです。
今なら歌えるけれど、もう少し年を重ねて声が落ち着き、低くなったら、同じ高音を出せないかもしれない。そう考えていたことを、制作当時に近いインタビューで説明しています。

その思いを踏まえると、タイトル曲「An Innocent Man」の高音は、単に声の高さを自慢するためのものとは違って感じられます。
いつでも同じように歌えるとは思っていなかったからこそ、その時の声で曲を残しておきたかったのです。

ただ、作品の魅力は高音だけに集約されません。
「The Longest Time」では自分の声を重ね、コーラスの各パートに違う人物を思い描いていました。その歌い分けについては、ビリー・ジョエルの歌い方で詳しく扱っています。

若い声を保存するだけでなく、歌手として持っている表現を広く使う。『An Innocent Man』は、そういう作品でもありました。

1973年、『Piano Man』当時のビリー・ジョエル
1973年、『Piano Man』当時のビリー・ジョエル。写真:Distributed by Columbia Records / Public domain

1990〜2010年代:声に合わせて、歌い続ける形を変える

ビリーの歌は、録音したときの姿のまま保管されていたわけではありません。
公演を重ねるうちに、観客の声も、その曲を演奏する時間の一部になっていきました。

1996年、会場全体が「Piano Man」を歌うときの気持ちを聞かれると、ビリーは率直な答えを返しています。
終盤には声が疲れているので、高いところを一緒に歌ってもらえるのは助かる。それと同時に、会場が大きなパブのようになり、みんなで歌う喜びがあると話しました。

当時のビリーが大切にしていたのは、自分の歌を聴かせることに加えて、会場全体で一曲を歌う時間でした。
客席が歌を知っているからこそ、ビリーの声が休む時間にも、会場の歌は続いていきます。

「New York State of Mind」にも、後年の違う姿があります。
1976年の公演から32年後、2008年のシェイ・スタジアムでは、トニー・ベネットを迎えて歌いました。同じ曲が、二人の歌手によるデュエットになっています。

この二つの演奏では、ビリーの年齢だけでなく、編成や歌う相手も違います。
若い日の歌と比べるなら、声の高低に加えて、どこを自分が歌い、どこを相手に任せるのかも面白いところです。長く歌ってきた曲を、ほかの声と一緒に作り直す楽しさが加わっていました。

さらに2014年の公演取材では、声の変化に合わせ、多くの曲のキーを変えて演奏していることが伝えられています。
ビリー自身も、若い頃の高い声より、その時の低くなった声を好んでいました。慣れ親しんだ曲の形を残しながら、実際に歌う高さは今の自分に合わせる。その調整も、公演を続ける方法でした。

2017年、ナッソー・コロシアムで演奏するビリー・ジョエル
2017年、ナッソー・コロシアムで演奏するビリー・ジョエル。写真:slgckgc / CC BY 2.0

2024年:自分の歌を聴いて、嫌だと思わなかった

1993年の『River of Dreams』以降、ビリーは新しいポップアルバムを発表しなくなりました。
それでも公演は続けています。新作を出していないことと、歌うことをやめたことは別でした。

2024年の「Turn the Lights Back On」は、フレディ・ウェクスラーとの出会いから生まれた新曲です。
長く親しまれた曲を歌う日々に、新しい歌詞と旋律を自分の声で録音する機会が戻ってきました。

ビリーがまず引かれたのは、曲の旋律でした。
歌詞については、男女の関係を歌っていると同時に、自分の作曲や音楽活動にも重なると説明しています。もう一度始める機会があるだろうか、という思いを、自分のこととして歌える曲だったのです。

その録音を聴いたビリーは、いつもならがっかりする自分の声を、今回は嫌だと思わなかったと話しました。
声が昔と同じかどうかより、この曲で歌っている自分を受け入れられたこと。その小さな言い方の中に、新しい録音をした意味が感じられます。

新曲も、録音した形で固定されたわけではありません。
ウェクスラーは、ライブに向けて曲の強弱などを変えていく過程を語り、キーを半音上げて試す案も出ていたと話しています。年を重ねた歌を、ただ低くする方向だけで考えてはいなかったのです。

2025年には正常圧水頭症の診断を受け、予定していた公演を中止すると公式に発表しています。
一方、2026年に公開されたリック・ビアトとの対話では、年を重ねた自分の声のほうが好きだと語りました。公演の状況と、本人が声をどう感じているかは、分けて受け止めたいところです。

変わった声で、歌に納得できるようになる

1983年のビリーは、今のうちに高い声を残しておきたいと考えていました。
その後は観客や共演者と歌を分かち合い、2024年には、久しぶりの新曲で自分の歌を嫌だと思わずに聴くことができました。

その間には、曲のキーを変えるという具体的な調整もありました。
慣れ親しんだ曲も、その時の声で歌える高さを探し直す。新曲では、さらに高いキーを試す案まで出ていました。

歌声の変遷は、出せなくなった音を数えるだけでは見えてきません。
「An Innocent Man」で残そうとした声から、「Turn the Lights Back On」で受け入れられた声へ。その変化をたどると、歌手本人が自分の声と付き合ってきた長い時間も見えてきます。

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