ビリー・ジョエルの歌声はどう変わった? 高音の曲を選び直し、今の声を好きになるまで

2008年、ビリー・ジョエルは「Uptown Girl」を公演で歌わない理由を聞かれました。
元妻との思い出を避けているのではなく、高い部分を歌い切ると、その後の曲が歌えなくなるほど負担が大きいからだと答えています。
ではキーを下げればよいのか。
本人はそれも試し、低くすると曲がよく響かないと感じていました。

その25年前、ビリーはむしろ、高音を出せるうちに録音しておきたいと考えていました。
それが1983年の『An Innocent Man』です。
歌える曲を選び直してきた彼が、2024年には久しぶりの新曲を聴いて「今回は自分の声が嫌ではなかった」と話します。
若い頃の高さを守ることから、変わった声で歌に納得することへ。
何が起きたのでしょうか。

1970年代後半|声の響きは、意図せず変わり始めた

「New York State of Mind」は、1976年のアルバム『Turnstiles』に収められました。
同じ年のコネティカット州での公演にも、この曲を歌うビリーの姿が残っています。

2026年の取材でビリーは、歌い始めた頃はテナーだったが、のちにバリトンになったと振り返りました。
特に1970年代後半には胸からの響きが増し、声の音色が変わったと感じていたそうです。
意識して発声法を変えた結果ではなく、自然にそうなったと説明しています。

1977年の『The Stranger』からは、プロデューサーのフィル・ラモーンと組みました。
ビリーによれば、ラモーンは「She’s Always a Woman」の制作で、もっと高い音へ進むよう勧め、キーを変えています。
声の音色が自然に変わり始めた時期にも、録音では高い歌を試していました。
その声をどこまで使うかは、1983年の作品でさらに大きな選択になります。

1973年、『Piano Man』当時のビリー・ジョエル
1973年、『Piano Man』当時のビリー・ジョエル。
写真:Distributed by Columbia Records / Public domain

1983年|なくなるかもしれない高音を、いま録る

『An Innocent Man』は、ビリーが親しんできた1950〜60年代初めの音楽に向き合った作品です。
ラモーンは発売翌年の取材で、ビリーはこのとき「歌手のアルバム」を作りたがっていたと話しています。
声がもう少し低く、落ち着いたものに変われば、いま歌える高音を出せなくなるかもしれない。
そのうちではなく、いま歌っておきたいという考えでした。

ただし、昔のレコードの音をそのまま再現する作品にはしませんでした。
ラモーンによると、古い録音をまねる試みもしたものの、ジュークボックスや携帯用プレーヤーに向けて作った音と、1980年代の再生環境では事情が違います。
懐かしい歌い方への愛着を残しながら、いまの作品として届ける録音を選びました。
声を昔の時代に近づけることと、レコード全体を昔そっくりにすることは分けていたのです。

その録音では、バンドと歌のやり取りも大切にしました。
ラモーンは、ピアノを弾きながら歌うビリーには、立って歌だけを録るときとは違う反応が生まれると説明しています。
ドラマーのリバティ・デヴィートも、その歌を受けて演奏することで力を発揮しました。
高音を記録するという狙いは、声だけを切り離して完成させることではなく、仲間の演奏の中で歌う勢いを残すこととも結び付いていました。

タイトル曲「An Innocent Man」にも、当時の声で高い旋律を残す狙いが表れています。
録音に残すことと、その音を何十年先まで公演で歌い続けることは、別の話でした。

「Uptown Girl」では、フランキー・ヴァリとフォー・シーズンズへの憧れを、さらに高い歌に結び付けました。
2008年の本人の説明では、もともとその声に寄せて歌う曲で、歌唱は声の端まで押し上げるような難しさがあります。

一枚のアルバムに高音を残すという1983年の決断。
その歌を公演で続けるときには、録音時とは違う選び方が必要になりました。

1993〜2008年|高音を任せる曲と、公演から外す曲

『An Innocent Man』から10年後の1993年、ロサンゼルスでの公演を取材した記者は、タイトル曲のサビの一部を女性のバック歌手が担当したと記録しています。
ビリー自身も、録音した頃にはその高音を出せた、と客席に話しました。
1983年の心配は、単なる先回りではなかったのです。

別の代表曲「Piano Man」では、客席が歌うことにも助けられていました。
1996年の取材でビリーは、公演の終盤には声が疲れるので、観客が高い部分を一緒に歌ってくれるのはありがたいと説明しています。
それだけではなく、会場全体が大きなパブのように歌うこと自体を楽しんでいました。
高音をすべて一人で担わないことが、曲を続ける方法にも、曲の喜びにもなっていたのです。

しかし「Uptown Girl」では、2008年当時のビリーは同じ方法を選びませんでした。
公の質疑応答で、高音がつらいから演奏しないと説明し、キーを下げる案についても、低くした曲の響きは好きになれないと語っています。
技術的には高さを変えられても、それで歌いたい曲になるとは限らない。
どの曲も一律に低くするのではなく、一曲ごとに判断していました。

同じ2008年、シェイ・スタジアムでは「New York State of Mind」をトニー・ベネットと一緒に歌っています。
1976年の公演映像と曲は同じでも、こちらは二人の歌手によるデュエットです。
二つの映像を声の高さだけで比べるより、長く歌った曲に新しい共演者を迎えたことにも目を向けたいところです。

2014年|曲を捨てず、今の声に合う高さも選ぶ

「Uptown Girl」を低くすると本人には曲がよく響かない。
だからといって、ほかの曲まで元のキーに固定したわけではありません。
2014年の公演取材では、ビリーとバンドが多くの曲を、かつてとは異なるキーで演奏していると伝えられています。

本人はその取材で、若い頃のテナーより、後年の低い声のほうが好きだとも話しました。
1970年代後半から変わり始めた声を、ただ昔に戻したいとは考えていなかったのです。
曲によっては高さを調整し、調整が曲に合わないと感じれば演目そのものを考える。
公演を続けるための選択は、一つではありませんでした。

2017年、ナッソー・コロシアムで演奏するビリー・ジョエル
2017年、ナッソー・コロシアムで演奏するビリー・ジョエル。
写真:slgckgc / CC BY 2.0

2024年|新しい曲で、自分の声を聴き直す

1993年の『River of Dreams』の後もビリーは公演を続けましたが、新しいポップアルバムは作りませんでした。
2024年の「Turn the Lights Back On」は、作曲家・プロデューサーのフレディ・ウェクスラーらとの共同制作で生まれた新曲です。

最初から新曲発売を目指して会ったわけではありません。
ビリーは、ウェクスラーと話すうちに音楽への理解を認め、未完成の音源も送るようになったと語っています。
本人にとって新曲作りは、自分に課す基準が高いからこそ苦しい作業でした。
その作業を他の書き手と進めることに、少しずつ心を開いていったのです。

ビリーによれば、この歌には人との関係だけでなく、自分が再び曲を出すことへの思いも重なります。
長く親しまれた曲を今の声で歌う公演とは違い、いまの自分のための新しい言葉と旋律を録りました。

その声を聴き直したとき、本人は珍しく落胆しませんでした。
自分の歌声が好きではなく、録音を聴くたびに厳しく評価してきたビリーが、この曲では「嫌ではなかった」と話しています。
昔の高音が戻ったという主張ではありません。
新曲に残った現在の声を、本人が受け入れられたという出来事です。

ウェクスラーは、曲の種を外から渡せたことで、ビリーが一人で完成させる重圧から少し距離を取れたのではないかと考えています。
これは共作者から見た説明です。
その共同作業から、本人が珍しく自分の歌に納得できる録音が生まれました。

舞台に持ち込んだ後も、曲は固定されませんでした。
ウェクスラーは公演で強弱を変えながら曲を育てていると話し、キーを半音上げて試す案も明かしました。
実際に上げて演奏したという意味ではありませんが、後年のビリーが新しい歌を「低くする」方向だけで考えていなかったことは分かります。

一人で重ねたコーラスや、曲ごとに別の歌い手を想像する工夫については、ビリー・ジョエルの歌い方で扱っています。

高い音より、いま歌う声をどう選ぶか

2026年の対談でビリーは、若い頃のテナーからバリトンへ変わったことを振り返り、年を重ねた声のほうが好きだと改めて話しました。
1983年には将来出せなくなるかもしれない高音を録り、後年は曲によって歌い手やキー、演目を選び直す。
そして2024年には、今の声で新しい歌を録りました。

高い音を出せるかどうかだけでは、この歩みは語れません。
録音に残したい声と、舞台で続けたい曲と、本人が好きになれた声は、時期ごとに違いました。
その違いを消さずに歌い続けてきたところに、ビリー・ジョエルの変遷があります。

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