エリック・マーティン(MR. BIG)の歌声の変遷|声が隠せない弾き語りを、なぜ続けたのか

2011年、Mr. Bigのソフィア公演でのエリック・マーティン エリック・マーティン
MrPanyGoff / CC BY-SA 3.0

「ギター一本で歌うと、声のかすれまで隠せない」。
エリック・マーティンは2013年、一人で回る弾き語り公演の怖さを話しました。
Mr. Bigの大きな演奏の中では、楽器の音が声を覆ってくれる日もある。
自分だけの舞台には、それがありません。

しかし同じ取材で、彼は曲をその場で変えて歌う楽しさや、舞台の主導権を握る心地よさも語っています。
怖さと楽しさは、初めから同居していました。
それから12年後には、アコースティック公演が最も自分らしくいられる活動だと話します。
かつての高音には届かない曲もある歌手が、声のよく見える場所で何を歌えるようにしてきたのでしょう。
手がかりは、Mr. Bigに持ち込んだ昔の曲にもあります。

1989年|轟音の中でも、歌を残したかった

Mr. Big結成時のリハーサルを、エリックは後年、耳を圧倒するほど大きな音だったと振り返りました。
ビリー・シーンとポール・ギルバートの機材が並び、演奏の勢いは十分にある。
けれどもエリックがビリーに伝えたのは、成功するには曲を書かなければいけない、という考えでした。

1989年のデビュー作に収めた「Addicted to That Rush」は、その演奏陣と一緒に前へ出て歌う時期の曲です。
ここでの強い声は、バンドが作る疾走感の一部でした。
ただ、エリックはその音の中でも、曲そのものを残したいと考えていました。

1991年|「To Be with You」は、急に身につけた優しさではない

エリックは、十代のころから持っていた「To Be with You」を、Mr. Bigへ出すのをためらっていました。
激しい曲を演奏するバンドに合うのか、迷いがあったのです。
ところがポールもその曲を気に入り、1991年の『Lean into It』に入りました。
エリックは後年、この曲の成功がバンドを救ったと振り返っています。

採用されたときにも、ほかの曲との違いは意識されていました。
2009年の本人の説明によれば、プロデューサーは曲調が大きく違うため、アルバムの最後へ置くことにしたそうです。
バンド全体をバラード向きに作り直したのではなく、激しい曲を聴いたあとに、もう一つの顔を見せる場所を作った。
十代からあった歌に、そうした居場所が与えられました。

「Addicted to That Rush」の歌手が、二年で別人の声になったという話ではありません。
柔らかい曲も、彼はMr. Big以前から書いていました。
変わったのは、その歌をバンドの作品として人前へ出せるようになったことです。

同曲で声を張り上げずに始め、客席も加われる歌へ広げる仕組みは、エリック・マーティンの歌い方で扱っています。
ここでは、一曲が当たった後も彼の歌う場所が増えていったことを見ていきます。

2008年|日本の旋律に、自分が歌える英語を作る

『MR.VOCALIST』では、「PRIDE」や「ハナミズキ」など日本の女性歌手の曲を英語で歌いました。
聴き慣れた旋律が先にあり、エリックが歌う言葉をそこへ入れていく企画です。

彼は2013年の取材で、曲を自由に選べたわけではない一方、日本語の説明や英訳を受け取り、歌うための英語詞を自分で書いたと話しました。
自作曲をバンドへ持ち込んだころとは、順序が逆です。
既に多くの人が知る曲へ、自分の声と言葉で入っていかなければならなかった。

この仕事で彼が増やしたのは、高く伸ばす声の出番だけではありません。
自分で作った曲とは違い、既にある旋律へ何をどう歌わせるかを考える出番です。

ただし、バンドの曲も、常にエリックが一人で最初から書いていたわけではありません。
2013年には、ほかのメンバーがロサンゼルスで演奏して作った曲の案を送り、彼が離れた場所で歌を作る方法も説明しています。
演奏から自分の歌を考える仕事と、既にある歌の旋律や内容を受け取り、英語で歌える形へ整える仕事。
『MR.VOCALIST』では、歌う前に選ぶ言葉の条件も変わったのです。

次に広がった弾き語りの舞台でも、曲をそのまま小さくするだけでは終わりませんでした。

2011~13年|ギター一本では、隠せない声も客席へ届く

エリックは、Mr. Bigの公演でもアコースティックの曲を歌い、地元で小さな公演をしたこともありました。
2011年のバンドツアー後、その形式を本格的に各地へ持ち出します。
新しい楽器を手にしたから急に弾き語りを覚えたのではなく、一晩をほぼ自分のギターと声で担うことが新しい挑戦でした。

一人で出かける決断には、現実的な事情もありました。
ソロで同行していたバンドの仲間には別の仕事などがあり、いつも一緒にツアーへ出られるわけではなかったのです。
それなら、自分にはこれまでのアルバムから選べる曲が十分にある。
そう考えて、ギターを持って出かけたと本人は振り返っています。

2013年の取材で本人が挙げた怖さは、歌の技術を披露できるかという抽象的なものではありません。
バンドなら楽器の音で覆われる、かすれた日の声まで客席に聞こえる。
しかも観客から「Addicted to That Rush」のような難しい曲を求められることがある。
曲をそのまま再現できなければ客席の人に弾いてもらったり、伴奏なしで歌ったりして応じると話しました。
一方、舞台に出ると、自分で公演を動かすことにも居心地のよさを感じていました。

2018年、スペインで演奏するエリック・マーティン
2018年、スペインで演奏するエリック・マーティン。
写真:MiguelAlanCS / CC BY-SA 4.0

歌を一つの決まった編成から外すと、演奏の後ろへ退けない代わりに、声の届け方をその場で選べます。
エリックはMr. Bigの曲をブルースや南部のロックを思わせる形へ変えることも楽しんでいました。
昔の録音を一人で小さく再現する公演とは、違うものになっていきます。

2022~25年|昔の高さを追えなくても、ロックを手放さない

2022年、エリックは「Never Say Never」などには、かつてのような高さで歌えない部分があると認めました。
その一方で、低く成熟した今の声を自分では気に入っているとも話しています。
これはすべての高音を失ったという告白ではありません。
歌い続けられる曲と、以前のままでは難しい曲を、本人が分けて考えているのです。

2024年のMr. Bigのアルバム『Ten』には、「Up On You」が収められました。
1989年の「Addicted to That Rush」から長い時間がたった今も、彼はバンドのロックを録音しています。
弾き語りへの移行を、激しい曲からの引退と見ることはできません。

このアルバムの準備では、ポールの住むポートランドへ行き、彼のスタジオでデモを作りました。
ポールがギターだけでなくベースやドラムも担当し、曲の土台を作ったとエリックは説明しています。
離れた場所で演奏の案を受け取るだけでなく、同じ場所で曲を組み立てる仕事も続いていた。
声の変化を受け入れながら、仲間と新しい歌を作る立場には留まっていたのです。

2025年の取材では、アコースティックの公演を最も居心地のよい活動の一つと呼びました。
そこで歌うのは、しっとりしたバラードばかりではないそうです。
Mr. Bigの曲、ソロの曲、カバーを持ち込み、自分で名付けた「ボックス・ロッキング」のように、ギターを抱えたままロックを楽しんでいます。

2026年、フランクフルトのRock Meets Classicで歌うエリック・マーティン
2026年、フランクフルトのRock Meets Classicで歌うエリック・マーティン。
写真:Sven Mandel / CC BY-SA 4.0

2013年の怖さが消えたのかどうか、本人は説明していません。
その頃から彼は緊張しながらも、リクエストに応じて曲を変え、自分で公演を動かすことを楽しんでいました。
声を隠せない舞台は、録音と同じ歌を一人で再現しなくてもよい舞台でもあります。

2025年に彼が最も自分らしくいられると呼んだのは、静かな曲だけへ退いた場所ではありません。
初期から持っていたロックを、ギターと声を軸に歌い直せる場所です。
出せなくなった高音があると認めても、客席の前で歌う方法を増やしてきた。
怖さを感じながら始めたころから続く、その自由さが、今も弾き語りを選ぶ理由として見えてきます。

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