しばたはつみの歌唱変遷|声を切り替える歌から、演奏と渡り合う歌へ

『シンガーレディ』のジャケット(1975年発表・2014年再発・撮影年不明) しばたはつみ
『シンガーレディ』のジャケット(1975年発表・2014年再発・撮影年不明)

はつみかんな時代の「恋のタッチ・アンド・ゴー」では、一曲の中で、こぶしやうなりを交えた歌唱が評されています。
1975年の『シンガーレディ』では、そのリズム感が大野雄二のファンクと渡り合いました。
歌う場が変わる中で、早くから持っていた声の多彩さが、違う形で前に出てきます。

「シンガーレディ」―『シンガーレディ』(1975年)・アルバム音源

一曲の中で、声の表情を変えていた

しばたはつみの歌の出発点は、レコードよりも先に舞台にありました。
ピアニストの父と歌手の母のもとで育ち、9歳から米軍キャンプで歌い、11歳ではスマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手になります。
ジャズやポピュラー音楽を歌う経験を重ねたうえで、1968年にレコード・デビューを果たしました。

「しばたはつみ」として「合鍵」を出す前、彼女は「はつみかんな」の名で歌っていました。
1969年の「恋のタッチ・アンド・ゴー」は、勢いのあるビート歌謡の中に、異なる歌い方が顔を出す曲です。

音楽評論家の馬飼野元宏は、演歌風の旋律になるとこぶしを回すように変わり、うなりも入ると評しています。
英語の部分では、乗りの良さにも注目しました。
歌詞の言語や旋律の性格が変わるところで、声の表情も切り替える。
声量だけで一曲を押すのとは違う、多彩な歌い手の姿が見えます。

この時代の曲は、『LUXURY ~ しばたはつみ アンソロジー』にも収録されています。

ただ、歌えることと、ヒットに結びつくことは別でした。
芸名を「麻まにか」へ替えた時期を経て、20歳のときには単身アメリカへ渡り、ショーの舞台に立ちます。
1974年の「合鍵」は、そうした経験を持ち帰っての再出発でした。
後にファンクやジャズを歌ったのも、歌謡曲の世界から突然、知らなかった音楽へ移ったということではありません。

1975年、大野雄二の演奏と渡り合う

1974年の「合鍵」で再出発した当時は、所属事務所の方針で歌謡曲路線を歌っていました。
翌年の『シンガーレディ』では、大野雄二が作編曲やピアノで深く関わります。
大野は、はつみかんな時代からの知り合いでした。
アルバムの仕事で顔を合わせたとき、昔の芸名を口にして、二人で笑い合ったという再会の逸話も残っています。

表題曲では、速いファンクの演奏に、リズム感のよい歌声が拮抗すると馬飼野元宏は評しています。
1969年の曲が、一曲の途中で声を切り替える面白さを持っていたのに対し、こちらでは歌声と演奏全体との関係が前に出ます。

同作の再発解説も書いた金澤寿和によれば、当時の大野はソウルやジャズ・フュージョンのレコードを熱心に研究し、その影響を自作へ取り込んでいました。
ただ、CMや映画音楽には、用途に応じた制約があります。
そうした仕事とは別に、自分の音作りを自由に試せる相手として、ソウルやジャズに通じるしばたの存在があったといいます。

しばたにとっては、すでに持っている声やリズム感を生かせる音楽。
大野にとっては、試したい音作りに応えてくれる歌手。
『シンガーレディ』の勢いには、歌手の力量とともに、制作する側との相性も関わっていました。

大野自身も後年の取材で、歌の最後まで裏声へ切り替えず、地声で押し通すタイプの歌手が好きだと話し、しばたをその一人として挙げています。
これは大野が記憶する、彼女の舞台での押しの強さです。
声の多彩さに加え、最後まで歌い切ろうとする姿勢も、一緒に作品を作った音楽家の印象に残っていました。

レーベルが掲載するしばたはつみの写真(撮影年不明)
レーベルが掲載するしばたはつみの写真(撮影年不明)。
画像出典:写真掲載元

『シンガーレディ』では、舞台の裏側も歌う

『シンガーレディ』の中でも、表題曲の勢いだけがすべてではありません。
「もう一度聞かせて」「愛のプリズム」の穏やかな曲調や、「ステージ・ドア」などが描く歌い手の舞台裏が、一枚の作品に組み込まれています。
速さと力強さ以外の表情も求められる、女性歌手を主題にしたアルバムでした。

レコード評では、華やかな音楽に、「折れたヒールの女」「ショウガール」などの物語が加わることで、舞台の光の裏にある哀しみが浮かぶと捉えられています。
客席へ向けて堂々と歌う声と、舞台を降りた一人の女性の気持ちを担う声。
同じアルバムの中で、この両方を引き受けることが、しばたの多彩さを曲中の切り替えよりも大きな形で生かしています。

「ステージ・ドア」|『シンガーレディ』(1975年)・2025年リマスター音源

1976年、同じ「Love」で一枚を始め、終える

続く『ロッツ・オブ・ラブ』では、ジョン・レノンの「Love」を、冒頭と結びの二か所に収めています。
再発元のヴィヴィド・サウンドは、最初の「Love」をファンキーなカバー、最後の同曲をしっとりとしたエンディングと紹介しています。
同じ曲でも、作品へ聴き手を迎える場面と、聴き終える場面とで、異なる役割を持たせた構成です。

「Love」|『ロッツ・オブ・ラブ』(1976年)冒頭版・日本コロムビア提供音源

冒頭版が約3分20秒なのに対し、「Love (Ending)」は約1分15秒です。
短く再び現れる同じ歌が、一枚を締めくくる役割を担います。
『シンガーレディ』で見えた華やかさと穏やかさの使い分けを、ここでは同じ曲の二つの形でたどれます。

「Love (Ending)」|『ロッツ・オブ・ラブ』(1976年)終曲版・日本コロムビア提供音源

1977年、代表曲を日本語でも英語でも歌う

1977年の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」では、静かな歌い出しから後半へ盛り上がる展開が、紅白歌合戦の歌唱を振り返る評でも取り上げられています。
始まりを抑え、曲が進むにつれて華やかに広げる。
ここでは、声の多彩さが、一曲を大きな流れとして届ける力になっています。

「マイ・ラグジュアリー・ナイト」|1977年シングル・日本語版/J-DIGS公式音源

その一方で、同年の『ラブ・レターズ・ストレート・フロム・アワ・ハーツ』には、この代表曲の英語版「MY LUXURY IN THE NIGHT」を収めています。
大野が編曲とプロデュースに関わり、「I WISH」「THIS MASQUERADE」など、ソウルやジャズのレパートリーと一緒に歌ったアルバムです。
日本語の恋の歌として広まった一曲を、別の言語と曲目の中で歌う。
ヒット曲のイメージと、舞台で培ってきた洋楽を歌う力が、同じ時期の作品に並んでいます。

「My Luxury In The Night」|『Love Letters Straight from Our Hearts』(1977年)英語版・日本コロムビア提供音源

1969年に一曲の中で聴かれた声の切り替えは、1975年には演奏との応酬へ、翌年にはアルバム全体の流れを担う表現へ広がりました。
そして1977年には、代表曲を歌い上げる顔と、洋楽のレパートリーへ置き直す顔の両方が見えます。
歌う声を一つに絞るより、持っている力を生かせる曲や演奏家との組み合わせを増やしていったところに、この時期のしばたの歩みがあります。

一曲の中で静けさと華やかさをつなぐ歌い方は、しばたはつみの歌い方で扱っています。

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