しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、静かな歌い出しから、後半の華やかさへ進みます。
その魅力は、力強く歌えることに加え、一曲の中で、語りかける近さと、大きく広がる表情をつなぐところにあります。
「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(1977年)・シングル音源
作曲家・編曲家の林哲司も、歌謡曲とポップスの両方を歌える歌手として、しばたの名を挙げています。
日本語の恋の物語を届けながら、洋楽的な伴奏の中でも存在感を保てる。
この二つを行き来できることが、彼女の歌い方を考える出発点です。
語りかけるような始まりが、サビを引き立てる
1977年の紅白歌合戦での歌唱は、ゆっくり静かに始まり、後半へ盛り上がる展開として評されています。
同じ年の対戦相手だった松崎しげるの「愛のメモリー」とも、静かな場面から広がる点は共通しながら、しばたの歌には都会的な上品さがあるという見方でした。
別の聴き手、鈴懸の楽曲評では、冒頭から中盤にかけて、女性が男性へ一人語りをするように歌うところが、サビを引き立てると捉えられています。
小さく始めるという音量の話だけでなく、目の前の一人へことばを向けるような近さがある。
その距離感から歌が広がっていくため、サビの華やかさが強く印象に残ると考えられます。
静けさと華やかさを、一つの恋の表情にする
この曲の終盤には、恋を遊びではなく、生きることとして受け止めることばが置かれています。
語りかけるような部分から、この思いへ進む流れを見ると、後半の盛り上がりは、声の力を披露するだけの場面ではありません。
曲の中の女性が、恋へ向き合う気持ちを深めるところでもあります。
始めから終わりまで同じ勢いで歌うと、この気持ちの進み方は見えにくくなります。
静かな場面を保ち、華やかに歌う場面へつなぐことで、一人の人物の思いに奥行きが生まれる。
「マイ・ラグジュアリー・ナイト」の歌唱評が伝えるのは、しばたの迫力と、その迫力を生かす曲全体の組み立てです。
強い感情を、乾いた手触りで歌う
音楽ライターの馬飼野元宏は、「はずみで抱いて」や「化石の荒野」についても、感情の強い曲を乾いた洋楽的な感性で歌うところを評価しています。
ここでいう乾いた感じは、感情が薄いという意味ではないでしょう。
悲しさや切実さを、すべて泣き声のような表情へ置き換えず、曲の流れや声の勢いの中に乗せて届ける。
しばたの歌を聴くときは、声を張る箇所だけでなく、その前後でことばをどれほど長く引き留めるかにも耳を向けたいところです。
バラードの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」と、泰葉が作曲したディスコ調の「最後のリクエスト」を並べると、歌が進む足取りそのものが変わります。
前者では、一人へ語る時間からサビの広がりへ向かう流れが聴きどころでした。
後者では、繰り返す伴奏の拍と歌のことばが、どこで重なり、どこで次へ進むかが比較の軸になります。
迫力のある歌手という印象を持ったままでも、声の大きさとは別に、リズムへの入り方を聴き比べられる二曲です。

画像出典:写真掲載元
世良譲との共演を重ねたうえでの一曲
紅白の伴奏を務めたのは、ピアニストの世良譲でした。
司会の佐良直美も、二人を息の合ったコンビとして紹介しています。
その共演は紅白だけのものではなく、1975年6月の公演を収めた『しばたはつみ ライヴ』にも残っています。
世良は「What Kind of Fool Am I?」と「Satin Doll」に参加しました。
歌声の大きさだけで一曲を完成させるのではなく、伴奏とともに静かな場面を作り、歌が広がるところへ進む。
共演を重ねてきた二人という背景は、紅白の一曲を、歌手一人の熱唱だけにとどめず捉える助けになります。
語りかける始まりから、思いが深まる終盤まで。
しばたの華やかさには、そこへ至る時間も含まれています。
ピアノ・トリオの中で、声の輪郭を聴く
世良との関係を、さらにまとまった形で聴けるのが『ピアノ・ダディー』です。
「サテン・ドール」や「マイ・ファニー・バレンタイン」などを収め、ピアノ・トリオとの共演を一枚の軸にしています。
大きな編成でサビを盛り上げる場面から、ピアノ、ベース、ドラムと歌声の関係へ目を移せる作品です。
同じ歌手の表現でも、伴奏の編成が変わると、聴き手が声のどこに注目するかも変わってきます。
また、『THE MAN I LOVE』ではテリー・ハーマン・トリオと共演しています。
ピアニストの坂元輝は自身のブログで、この盤の編曲と伴奏を担当したことを紹介しています。
収録曲は「ミスティー」「夜も昼も」「A列車で行こう」など。
世良との共演盤と同じく、ジャズの曲を歌手とトリオで形にした作品ですが、別の演奏家との組み合わせとして聴けるところも大切です。
二つの盤には「枯葉」や「マイ・ファニー・バレンタイン」という共通の曲もあります。
曲そのものを変えずに、伴奏者が替わったときの歌を比べられる組み合わせです。
ことばを出す位置、語尾を保つ長さ、間奏を挟んで戻ってくる声に注目すると、別々の曲を比較するよりも、歌と演奏の関係を追いやすくなります。
同じ旋律でも、一緒に演奏する相手によってどんな会話になるのか。
代表的なヒット曲とは違う角度から、しばたの表現を楽しめる聴き比べです。
こうした録音では、歌声が出ている間だけを追わず、歌が休んだところでピアノが何をするか、その後の歌い出しがどうつながるかを一組にして聴くと、共演の面白さに近づけます。
華やかな高音へ向かう場面にも、短いことばを置く場面にも、その前後の演奏があります。
「マイ・ラグジュアリー・ナイト」で感じた親密さを、もっと小さな編成の中で探してみる。
この聴き方なら、代表曲からジャズの録音へも自然に進めます。
「あ・かぺら」で、失恋の先まで歌にする
『MUSICIAN』には、前田憲男が作曲とコーラスの編曲を担った「あ・かぺら」もあります。
レコード店HIP TANK RECORDSがアカペラ曲として紹介するこの作品は、声を中心にした編成そのものが、歌の内容と結びついています。
山川啓介の詞は、相手を失った生活の頼りなさを、支えのない歌になぞらえています。
ただし、詞が向かう先は別れの悲しみだけではありません。
相手への温かな思いが残ることを認め、新しい幸せを待つ気持ちへ進んでいきます。
この曲を聴くときは、冒頭の寂しさと終盤の先を見つめることばを、同じ感情として聞き流さずに比べたいところです。
恋の中へ深く入っていく「マイ・ラグジュアリー・ナイト」と、恋を終えた後の時間を描く「あ・かぺら」。
両方をたどると、しばたの華やかな歌声が担う物語にも、違った奥行きが見えてきます。
初期の声の使い分けと『シンガーレディ』での表現は、しばたはつみの歌唱変遷でたどっています。







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