かまやつひろしの歌い方|喋るような声に残る、ウエスタンの響き

かまやつひろしのアーティスト写真 かまやつひろし
かまやつひろしのアーティスト写真

かまやつひろしの歌声には、言葉をそのまま話しているような親しさがあります。
スパイダースの仲間だった堺正章は、ムッシュらしい声を、鼻にかかったウエスタン風の歌声として振り返っています。
大きな感情を声へ乗せることより、自分の声の調子を残して歌う。
その面白さを、声の響きと本人の考えからたどります。

我が良き友よ 正規配信音源(1975年原盤)

喋り言葉に近い声と、鼻にかかった響き

かまやつの歌声について、音楽ライターの安田謙一は、喋り言葉に近く、自由に歌っているようで音符を押さえていると評しています。
歌として整えることと、会話のような声の手触りが、同居しているという見方です。

堺正章が鼻にかかったウエスタン風の声を思い出したのは、2023年、かまやつの息子TAROと共演したときでした。
父親に似た声を想像していたものの、TAROは現代的な歌い方だったといいます。
その違いを話すなかで浮かんだのが、ムッシュ本人の声でした。

喋り言葉に近いという安田の見方と、鼻にかかった響きを思い出す堺の言葉。
どちらにも、立派な歌声へ整えることだけでは説明できない、ムッシュの声の個性が残っています。

ウエスタンを歌っていた頃から、可愛らしい声だった

堺の記憶に残るウエスタンの響きには、本人が歌ってきた音楽の背景があります。
かまやつは高校時代、寺本圭一やジミー時田を目標に学生バンドを組み、米軍キャンプで歌っていました。
2009年のラジオ出演でも、プロとしての出発点はカントリー&ウエスタンだったと話しています。

この頃のかまやつの伴奏を経験したのが、後にスパイダースのベーシストとなる加藤充です。
加藤は若いかまやつの声を、可愛らしい声だったと振り返っています。
また、後年まで一緒に演奏した人として、歌とチャーミングな動きの両方が好きだったとも話しました。
鼻にかかる独特な響きは、仲間には親しみを感じる声として記憶されていたのです。

「どうにかなるさ」も、その歌の背景に目を向けたい曲です。
2009年の取材では、カントリーに通じるこの曲について、スパイダースで演奏していた音楽から、そちらへ戻りたい気持ちもあったのだろうと本人が語っています。
ウエスタン風という声の印象と、本人が親しんできた曲の感覚を合わせると、ムッシュの歌の出発点がつかみやすくなります。

2009年、ラジオ出演時のかまやつひろし
2009年、ラジオ出演時のかまやつひろし。
画像出典:写真掲載元

多少シャープでも許してしまう、歌への構え

かまやつ自身も、歌を厳密に固めきる人だとは考えていませんでした。
2007年のラジオでは、歌よりもギターを大切にしていると笑いながら、音程が多少高めになっても許してしまう自分の甘さを話しています。

自分を、正式な歌手ではなく、代わりに歌うような存在としても語っていました。
音程を意図的に上げる技法の説明というより、ギターを弾きながら歌う自分を、厳しく定義しすぎない発言です。

同じラジオでは、他の歌手の声への強い関心も見せていました。
好きな声を持つ人には自然と近づき、話を聞いたり、どんな声なのかを研究したりしてしまうといいます。
マイケル・マクドナルド、スティーヴ・ウィンウッド、ポール・ロジャースのように、タイプの違う歌手をそれぞれ好んでいました。
自分の歌を厳しく固めない一方で、他人の声の違いには敏感だったことが分かります。

「我が良き友よ」に、泣く声を重ねすぎない

「我が良き友よ」の歌い方には、感情との距離も表れています。
本人は、この曲がヒットした頃、美空ひばりに、自分なら泣きながら歌うところを、ムッシュはほかのことを考えているように歌っていると言われたと回想しました。

かまやつは、歌へ感情を込められないことにも良さがあると考えていました。
歌詞の気持ちを大きく演じる声と、歌い手自身の普段の調子を残す声では、同じ歌も違って届きます。
かまやつの回想では、感情を前面へ出す歌手の美空ひばりも、その違いに気付いていました。

喋り言葉に近い声へ、大きな泣きの感情を重ねない。
感情を込めすぎずに自分の声を残したところに、親しい人が話しかけてくるような歌がありました。

演奏の中に言葉を置く「ゴロワーズ」

感情の置き方に加えて、演奏と言葉の関係から聴いてみたいのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」です。
この曲は、先に演奏が出来上がり、それを聴いてかまやつが歌詞を書いたと本人が説明しています。
タワー・オブ・パワーとの録音で、歌を入れる場所を含めた演奏が用意された後に、言葉を重ねました。

この成り立ちを知ると、歌詞の意味だけでなく、楽器の流れの中で言葉が始まる場所にも目が向きます。
ムッシュの語り口を味わうには、声だけを切り離すより、伴奏と一緒に聴くほうが面白い曲です。
「我が良き友よ」のように旋律を追う聴き方と並べてみると、同じ人の声が、別の音楽の動きに乗る楽しさを考えられます。

「Denmark Street」で、話の面白さとリズムが重なる

もう一つ、喋るような歌を具体的に捉える手がかりになるのが「Denmark Street」です。
『Gauloise』に収められたこの曲を、ZA FEEDOのボーカル、沖メイはラジオの選曲企画で紹介しています。
学生時代に聴いて衝撃を受けたという、本人の好きな曲の一つでした。

沖が面白がったのは、名ミュージシャンが使った楽器たちを主人公にした歌詞と、それを軽やかに、リズミカルに語ってしまう歌です。
音楽の歴史を扱っていても、大げさな説明を聞かせるようにはならない。
言葉が運ばれる調子そのものが、聴く楽しさになっているという受け止め方です。

この評価は、安田謙一のいう喋り言葉に近い歌の面白さを、特定の作品に結び付けてくれます。
歌詞を読むと分かる話の内容と、声で聞いたときの軽快さは、それぞれ別の魅力を持っています。
「Denmark Street」では、言葉の意味を追うだけでなく、話の区切りや、次の言葉へ移る調子にも耳を向けてみたいところです。

ムッシュは2009年の取材で、好きで始めた音楽を自由に続ける、アマチュアの気持ちを持っていたいとも語りました。
そこで対比していたのは、決められたことをきちんと行う仕事としての音楽です。
歌声も、何か一つの正解へ仕上げる対象というより、その時に面白いと思った音楽へ参加するためのものだったと考えられます。

声の響きに親しさがあり、歌詞との距離は少し軽い。
その一方で、演奏の中で言葉が動く面白さは失われない。
かまやつひろしの歌い方には、声だけを立派に見せようとせず、曲全体の楽しさへ自然に加わっていく魅力があります。

昔の曲を、新しい共演者と言葉から作り直した歩みは、かまやつひろしの歌唱変遷で紹介しています。

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