力強い声で聴き手を引き込むJASMINEにも、自分の歌にパンチが足りないと感じていた時期があります。
ほかの歌手に刺激を受け、低い声も出せるようになりたいと練習を重ねた末、2012年の「Best Partner」では納得できる歌の範囲が広がったと話していました。
初めから完成された歌い手だった、と考えると見えなくなる歩みです。
勢いを磨く一方で、ゆったり歌うことも試す。
自分の感情をぶつけながら、その歌を受け取る人の気持ちも考える。
JASMINEの変遷は、強い声をさらに強くするだけの道ではありません。
デビューまでに育った思いを、一人の歌にする
中学1年の夏、JASMINEが心を奪われたのは、自由に笑い、体を動かして歌うゴスペルクワイアでした。
年齢も服装も違う人たちが歌で一つになる姿にひかれ、見学したその日に入団しています。
ただ、みんなで歌える合唱と、一人で人前に出ることは別でした。
後にクラブで歌い始めたのも、人前で歌う苦手意識を克服し、場に慣れるためだったと振り返っています。
2009年のデビュー曲「sad to say」では、録音にも強い緊張がありました。
それに対して、同年の2枚目のシングル「No More」ではリラックスでき、感情を自然に出せたという手応えを得ています。
最初の変化は、声の大きさよりも、録音で気持ちを出せる余裕にありました。
「sad to say」の言葉を生んだのは、家族との別れに沈んでいた時期の感情です。
思いをそのまま書くと乱暴な言葉になり、本人は採用されないと思っていました。
ところがスタッフは、それをデビュー曲に選びます。
整った言葉へ直すより、自分にしか書けない感情を歌にする。
この経験が、その後の表現の出発点になりました。
2010年、熱さを保ちながら歌の形を広げる
クラブ時代はヒップホップ系のトラックで歌うことが多かったJASMINEですが、『GOLD』の頃には、そこからどう広げるかを考えるようになっていました。
R&Bを自分にとって自然な音楽としながら、伴奏の種類を狭く決めず、その上で自分の歌を成立させようとしていたのです。
この頃には、歌とダンスのレッスンにも通い始めています。
初のバラード「DREAMIN’」を作る経験も、曲の選択肢を広げました。
一つの得意な形を繰り返すより、違う形の歌にも手を伸ばす時期だったのです。
初めてのツアーでは、以前は考えていなかったダンスにも挑戦しました。
上を目指すうちに、できないから避けているだけではないかと考え直したからです。
生活を見直す中で歌にも変化を感じ、新しいことを取り入れる姿勢が生まれたと話しています。
「DREAMIN’」には、ライブで自分の世界へ入り込めた手応えもありました。
激しく盛り上がる曲と違い、バラードで聴き手を連れていく経験が、本人にとって新鮮だったのです。
舞台に慣れる過程にも変化がありました。
初ツアーの札幌公演では、緊張して客席の顔を見られなかったそうです。
公演を重ねると、失敗をしても次の曲まで引きずらず、気持ちを立て直す大切さがわかってきました。
熱い歌を届け続けるために、歌っている最中の自分を支える方法も覚えていったのです。

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2011〜2012年、緩めて歌う経験と、低音への課題
2011年の「ONLY YOU」では、聴き手を取り巻く状況が選曲を変えました。
次のシングルには悲しい雰囲気の候補がありましたが、震災で誰もが傷ついていると感じた彼女は、そのまま出すことにためらいます。
教会でゴスペルを聴いた後、改めて書いたのが「ONLY YOU」でした。
今、相手へ何を届けるかを考えた選択です。
その夏のアコースティックツアーには、歌そのものを伝えたいという狙いがありました。
テンポを落とし、ゆったり歌うことで、彼女は歌へ集中できる心地よさを感じています。
普段のダンサーを伴う舞台とは違う条件が、別の歌い方を試す機会になりました。
一方で、声のパンチや低音を求める練習も続けていました。
ほかの歌手を聴いて、自分もあんなふうに歌いたいと思う。
気が進まない日も練習し、ボイストレーニングにも通う。
「Best Partner」で感じた成長は、長く思い描いていた歌に、自分で納得できる部分が増えたという実感でした。
2013年、押し出す力に、軽さと優しさを加える
「High Flying」を作る頃には、友人から歌が重いと言われたことも表現を見直すきっかけになりました。
それまでの語るような歌詞から、踊る気分で言葉を選ぶ方向へ。
歌う自分も曲の前向きな気分へ切り替え、弱さを見つめるだけでは高く飛べない、という姿勢で臨んでいます。
続く「HERO」は、Taku Takahashiが作った曲に言葉を乗せる制作でした。
サビへ入るまでが短く、盛り込める言葉が少ないため、彼女はテーマを何度も試しています。
大きく包み込むような曲にしたいという思いが、最終的な方向を決めました。
ダンスの音を選んでも、その中心には歌で気持ちを届ける課題が残っていたのです。
2ndアルバム『Complexxx』では、好みの雰囲気を集めた『GOLD』に対して、作りたいものを定め、そのためにどうするかを考えたと説明しています。
歌の細かな節回しも練習し、努力が形になる手応えを得ていました。
同時に、最後の「I’ll be there」には優しさも必要でした。
押しの強い曲が続く中で、力が入りすぎているという指摘も受け、引く表現の曲も歌いたいと考えたからです。
強さを磨いた先で、強さだけに寄りかからない選択が生まれていました。
家で聴く歌、仲間と試す歌へ
2020年のEP『M』では、ライブが中止になる状況の中、家でゆったり聴ける音楽へ目を向けています。
JAZEE MINORらとの制作で、ただ明るい歌を差し出すのではなく、そのときの生活や気分に寄り添うものを作ろうとしました。
大勢を盛り上げる舞台だけが、歌の届く場所ではなくなっていたのです。
2023年には、aimiの提案で「Risk It All」のラップにも挑戦しました。
歌のほうが得意だとためらいながらも、共演を新しい試みにつなげています。

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2026年8月には「Real Love」と、Hanah Springを迎えた「Orange」を発表しました。
アフロビートを取り入れた曲や、別の歌い手と声を合わせる曲へと、制作は続いています。
振り返ると、変化の節目は、新しいジャンルへ移った年だけではありません。
緊張をほどいて録音できたこと、テンポを落として歌えたこと、狙った表現へ近づくために練習したこと。
そうした経験の一つ一つが、気持ちを歌へ変える方法を増やしてきました。
曲ごとの声の使い方については、JASMINEの歌い方で、音への入り方や、歌う場面をどう思い描くかを掘り下げています。

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