須田景凪の歌声はどう変わった?「歌う人ではなかった」頃から現在まで

須田景凪の歌声の変化をバルーン始動からLOVE HATEまでたどる記事のアイキャッチ 高い声の出し方

須田景凪さんの歌声は、単純に太くなった、上手くなったという変化では語れません。
最も大きく変わったのは、自分の声を作品へ置くことへの迷いが薄れ、声の弱さや荒さまで曲の設計に使えるようになったことです。

始まりは、自分で歌うための活動ではありませんでした。
VOCALOIDへ声を預けたバルーン、肉声で言葉を届ける須田景凪という二つの名義を往復しながら、作曲家が少しずつ「歌う人」になっていった歩みです。

2013〜2016年 歌手になるより、曲を完成させたかった

音楽活動の出発点はドラマーでした。
けれどもバンドは長く続かず、自分の音楽を一人でも形にするために作曲を始めます。

身近に歌を頼める相手がいなかったため、2013年にバルーン名義でVOCALOIDを使い始めました。
ここには「人間では歌えない曲を作りたい」という野心より、まず作品を完成させたいという切実さがありました。

2016年の『シャルル』は、その距離を変えた曲です。
本人は後に、この曲を作った時点で八割ほど自分が歌うことを考えていたと振り返っています。

VOCALOID版だけで閉じず、セルフカバーも広く聴かれたことで、作曲者の声が作品の別解として受け入れられました。
まだ堂々とした歌手というより、自分が書いた言葉を自分の声でも確かめ始めた時期です。

2017年 須田景凪という名前は、肉声に責任を持つために生まれた

2017年から須田景凪名義の活動が始まります。
同じ作者なのに名前を分けたのは、VOCALOIDと人間の声を優劣ではなく、異なる役割として扱うためでした。

機械の声なら、歌い手の人格から少し離れたまま物語を広げられます。
反対に自分が歌えば、息遣いや迷いまで本人の言葉として受け取られます。

『アマドール』には、その境目へ踏み出した時期の緊張があります。
肉声は音程だけでなく、誰が言っているのかまで曲へ持ち込むため、歌うこと自体が作品の意味を変えるようになりました。

須田景凪名義の始まりを告げたアマドール

2018〜2019年 初ライブで、部屋の中の歌が人へ向き始めた

最初のアルバム『Quote』は、誰かの反応より自分の内側を掘るように作られました。
一人で制作する時間が長かったからこそ、歌声にも閉じた部屋で独白するような近さが残っています。

転機になったのが初ライブです。
画面越しの数字ではなく、目の前の観客が曲を受け取る姿を知り、音楽を外へ開く感覚が生まれました。

続く『teeter』『porte』では、演奏家と音を作る機会も増えます。
自分一人で隙間なく埋めていたアレンジに他者が入り、歌もすべてを説明する役割から解放されていきました。

2019年の『veil』は、アニメ作品との結び付きも含め、個人的な独白が多くの人の物語へ届いた時期を代表します。

2020〜2021年 止まった時間が、二つの名義の境界を揺らした

『Billow』の制作期は、ライブや人との接点が突然途切れた時期と重なります。
外へ向き始めた活動が止まり、もう一度、一人で作る時間へ戻されました。

そこで以前の形を守るのではなく、他の歌手との共同制作や、これまでなら採らなかった音色へ手を伸ばします。
アルバム名が示す波のように、統一された一つの声ではなく、曲ごとに表情が揺れることを受け入れた作品になりました。

『刹那の渦』は、バルーンと須田景凪のどちらにも置けるような曲として語られています。
二つの名義をきっぱり分けるだけでなく、同じ作者の中で行き来できるものとして見直し始めたのです。

2022〜2023年 『Ghost Pop』で、自分の声を客観的に選び直した

『Ghost Pop』では、以前よりも親しみやすい旋律や短い時間で景色が変わる曲が増えました。
同時に、本人は自分の声を一つの楽器として客観視できるようになったと話しています。

少し苦しそうなキーの方が感情的に届くなら、単に歌いやすい方へ直さない。
『ダーリン』ではAメロを弱く歌って寂しさを作り、『バグアウト』では曲の怒りに合わせて荒い声を選びました。

これは歌唱力を見せる方向への変化ではありません。
自分の声にある不安定さを隠さず、どの瞬間に置けば曲がいちばん生きるかを判断できるようになった変化です。

現在の声の設計については、須田景凪さんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

Ghost Pop期にライブの表現幅を広げた須田景凪

2024年 ライブが、録音を再現する場所ではなくなった

ホールツアー『Artless』では、初期曲から新しい曲までを一つの公演に並べています。
これは過去の声を消して現在へ置き換えるのではなく、異なる時期の作品を今の身体で引き受ける段階に入ったことを示します。

初ライブの頃は、客席とどう関係を結ぶか自体が大きな出来事でした。
年月を重ねると、ライブは録音どおりに歌えるかを試す場所ではなく、観客と一緒に曲の意味を更新する場所へ変わりました。

『ユーエンミー』のライブ映像では、バンドと観客のいる空間そのものが作品の一部になっています。

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2025年 『Fall Apart』で、自作曲を他者に壊してもらった

バルーンの企画アルバム『Fall Apart』では、過去曲を別の歌手やクリエイターへ託しました。
題名には、いったん崩れたものを別の形へ組み直す発想が込められています。

初期の須田景凪さんは、自分一人で曲の隙間を埋める傾向がありました。
それが十年以上を経て、自作曲を他者の声と解釈へ開き、自分でも別の演奏家と『WOLF』を再構成するところまで進みます。

歌うことへの自信だけでなく、自分が歌わない形も選べる余裕が生まれた時期です。
二つの名義は競い合うものではなく、作品に最適な声を探すための二つの入口になりました。

2026年 『LOVE HATE』へ、矛盾を一つの声に抱える

2026年には『リベラ』『ニーナ』『悪夢』『レム』などが続き、9月9日には約3年ぶりのアルバム『LOVE HATE』が発売予定です。
作品名には、愛と憎しみのような相反する感情が並んでいます。

これは須田景凪さんの歌声が歩いてきた道にも重なります。
透明に整えた声と崩れかけた声、VOCALOIDと肉声、内向きな独白と観客のいるライブを、どちらか一方へ決めずに使ってきました。

『リベラ』のセッション映像では、作曲者、歌手、バンドの三つの立場が同じ場所にあります。
歌うことが後から加わった役割ではなく、作曲と並ぶ表現の中心になった現在を確認できる一本です。

変わらないのは、声より先に曲の意味を考えること

歌手になるつもりがなかった頃から現在まで、ずっと残っているものがあります。
声をきれいに聞かせることより、曲が何を必要としているかを先に考える姿勢です。

初期は、その答えとしてVOCALOIDを選びました。
やがて自分の肉声が必要な曲を須田景凪名義で歌い、近年は他者の声へ曲を預けることも選んでいます。

だから、歌声の変化を声量や音域だけで測ると本質を見失います。
本当の進化は、細さ、弱さ、荒さ、沈黙まで含めて、曲ごとに必要な声を選べるようになったことです。

まとめ

須田景凪さんの歌唱の変遷は、歌が上手くなる一直線の物語ではありません。
歌う相手がいなかった作曲家がVOCALOIDと出会い、『シャルル』のセルフカバーを経て、自分の肉声に別の役割を与えていく物語です。

2017年には須田景凪という名義を作り、初ライブで曲を外へ開き、コロナ禍には二つの名義の境界を揺らしました。
『Ghost Pop』では自分の声を客観的な楽器として選び、『Fall Apart』では自作曲を他者へ開いています。

2026年の『LOVE HATE』へ続く現在、声の弱さは克服すべき欠点ではなくなりました。
相反する感情を一つの作品へ残すための、須田景凪さんにしか選べない音になっています。

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