「神田川」のメロディーは、歌詞を書いた喜多條忠の電話から生まれました。
南こうせつは、電話口で読み上げられる言葉を聞きながら、すでに旋律を思い浮かべていたといいます。
よく知られたあの歌い出しには、人が誰かに話すときの抑揚が残っているのです。
南こうせつの声には、高い音まで伸びる明るさがあります。
そのよく通る声で、歌の人物がすぐそばで思い出を話しているようにも感じられる。
声を伸ばすところでも、誰かに話しかけるように歌うこと。
その歌い方を、「神田川」からたどってみましょう。
電話で聞いた言葉が、そのまま歌の抑揚になった

撮影:太田真三/画像出典:サライ.jp
1973年にかぐや姫が発表した「神田川」は、昔の暮らしを、かつての相手に語りかける歌です。
最初から、誰かの思い出話を聞くような距離に聴き手を招きます。
南こうせつが大切にしてきたのは、言葉そのものが持つ音の上がり下がりでした。
同じ単語でも、出身地によって抑揚が違うことがあります。
たとえば、曲に出てくる「手ぬぐい」。
本人の説明では、関西出身の喜多條は、東京の平らな発音とは違い、途中の音を上げて話したそうです。
文章を紙で受け取るだけなら、そんな違いは分かりません。
電話だったから、言葉の意味と一緒に、その人の話し方も聞こえていた。
「神田川」の身近な感じは、声を小さくしたり、ささやいたりすることだけで生まれているわけではないのです。
歌い出しを、会話として思い浮かべてみると分かりやすくなります。
音を一つずつ上手に当てる前に、まず相手へ呼びかける言葉がある。
その呼びかけを保って歌うから、音の高さが変わっても、言葉の意味を追っていけます。
優しく歌える高さは、歌手によって違う
南こうせつの歌を別の歌手が歌うと、その声の特徴が見えやすくなることがあります。
2024年に「夢一夜」をカバーした林部智史は、自分の場合、キーを上げたほうが優しく歌えると感じていました。
それでも、南こうせつの歌としての印象を大切にしたくて、原曲のキーを選んだと話しています。
高いキーなら力強く、低いキーなら優しくなる、と一律には決められないのです。
どの高さで声が楽に響くか、どんな声色になるかは、歌手によって違います。
南こうせつには自然な歌でも、別の歌手は、音の高さと声の表情を組み合わせ直す必要がありました。
南こうせつは、2019年9月、福岡・海の中道海浜公園で開いた『サマーピクニック~さよなら、またね~』でも「夢一夜」を歌っています。
大きな会場で伸びやかに歌っていても、曲の中心にあるのは、一人の女性が明かす胸の内です。
声が長く伸びるところも、その人の話の続きとして聴いてみる。
そうすると、声量のある歌と、親しみのある語り口が、一つの歌に同居していることが分かります。
藤あや子に求めたのは、一か所だけのこぶしだった
言葉と歌手の個性をどう釣り合わせるか。
その考え方は、ほかの人の歌を作る仕事にも表れています。
2022年、藤あや子が南こうせつの「鳥」をカバーしたとき、南自身がプロデュースを担当しました。
藤は、あらかじめ何通りかの歌い方を準備して録音に臨んでいます。
歌い終えたあと、南から出た注文は、ある一か所にだけ、こぶしを入れることでした。
藤は、そこに短い音の揺れを加えたことで、自分らしい「鳥」になったと振り返っています。
演歌歌手なのだから、あちこちを演歌らしく飾るという考え方ではありません。
曲の大部分をすっきりと歌っているから、一か所のこぶしが、歌手の個性として効いてくる。
藤自身も、この録音では、もっと表現を足したいところを抑えたと話しています。
この注文から分かるのは、南こうせつが、素直な歌い方と歌手らしい飾りの両方を必要としていることです。
「神田川」や「夢一夜」を聴くときも、長く伸びる音だけに注目するのではなく、その前後の言葉まで続けて聴いてみる。
気持ちを強く込める言葉が、普段の話し方に近い部分の中から浮かび上がってきます。
「夜明けの風」は、まずギター一本で届いた

撮影:© GEKKO/画像出典:SPICE
2021年の「夜明けの風」は、コロナ禍でコンサートが止まった時期に作られた歌です。
最初から大きな編成の録音があったのではなく、再開できたコンサートで、南こうせつがギター一本で歌いました。
その場で聴いた人たちの反響を受けて、レコーディングにつながっています。
完成した録音には、バンドや、斎藤ネコが手がける弦楽器の響きが加わりました。
聴いた人が音源を求めたのは、その華やかな編曲ができる前でした。
久しぶりに開けたコンサートで、南こうせつが目の前の人に歌う。
その声とギターだけで、もう一度聴きたいと思う人がいたのです。
「神田川」では、過去の暮らしを振り返る人の言葉。
「夜明けの風」では、厳しい時期を過ごす人に向けた言葉。
曲の生まれた時代も、相手へ伝えたいことも違いますが、旋律を通して話しかけるという南こうせつの持ち味は、ここでも生きています。
「夜明けの風」でも、言葉の抑揚を聴く場所は具体的にあります。
歌ネットの取材では、サビに出てくる「吹く」の二音について、それまでの旋律の流れから上がることも考えられるところを、言葉のアクセントに沿って下がる形にしている、と指摘されました。
南は、言葉に備わっているメロディーを大切にしてきたと答えています。
長く伸びる音の気持ちよさに加え、短い言葉の中の上がり下がりも、話しかけるような印象を支えている。
「神田川」と「夜明けの風」は、代表曲と新しい曲というだけでなく、声にした言葉をどう旋律へ移すか、という聴き方でもつながるのです。
声が変わっても、話すように歌うことは残せる
75歳だった2024年、南こうせつは、昔と同じキーで歌えていると話していました。
一方で、これから声が出にくくなったら、キーを下げて歌うことも考えていました。
声が枯れていくことを、歌手としての終わりとは捉えていません。
言葉を話すように歌うことで、年齢を重ねた声にも味わいが生まれる。
本人は、そんな歌い方を思い描いていました。
そのとき心を動かされたのが、グラミー賞のステージで「Both Sides, Now」を歌ったジョニ・ミッチェルです。
椅子に座り、周りの音楽家たちと歌う姿を、自分が目指したい将来として挙げていました。
昔の声を再現できるかだけで、歌の価値を決めていないことが分かります。
「神田川」の電話の話へ戻ると、南こうせつが受け取ったのは、単語の意味だけではありませんでした。
相手の声にあった、言葉の上がり下がりも受け取って、歌にした。
明るく伸びる声の中に、人が話すときの気配を残すこと。
南こうせつの歌では、伸びる声に聴きほれることと、その人の話に耳を傾けることが、自然につながっています。







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