MANATOさんの歌唱変遷は、歌が苦手だった少年が上手くなる物語ではありません。
小学生からレッスンを受け、中学1年でニューヨークへ渡り、THE FIRSTでは早くから安定した歌唱を評価されていました。
それでも本人は、何でもできるため「尖っているところがない」と悩みます。
変化の中心は技術を増やしたことではなく、自分が長く好きだったR&Bを芯として選び、七人のパート、三人の制作、四人のコラボ、そして一人の物語へと歌の責任を広げたことです。
2026年の『Rain on me』では、歌う人であるだけでなく、作詞と作曲から情景を作る人になりました。
「口から音源」と呼ばれた声が、誰かの正解を再現する声から、自分で雨を降らせる声へ変わるまでをたどります。
- 小学生時代 歌うのが好きでも、最初から夢だったわけではない
- 2014年前後 中学1年のニューヨークで「音楽は教室の外にもある」と知った
- 帰国後 一度離れたから、好きな音楽を自分で選び直せた
- 2021年 THE FIRST 安定感が、個性を隠す壁になった
- 『Be Free』から『Shining One』へ R&Bを隠さず、七人の中の役割にした
- デビュー初期 曲の途中で空気を変える人になった
- 2022〜2023年 ShowMinorSavage 好きな音楽を「担当パート」から作品へ広げた
- 2024年 BF LAB 一人で余白まで背負った
- 2025〜2026年 『BUBBLE』で、グループの外にもR&Bの居場所を作った
- 2026年 『Rain on me』で、初めて自分の雨を降らせた
- 変わらないのは、好きな音楽を曲の中へ隠さないこと
- まとめ
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小学生時代 歌うのが好きでも、最初から夢だったわけではない
MANATOさんは幼い頃、トイレや風呂でも歌う子どもでした。
小学5年生ごろ、両親に勧められて歌とダンスのレッスンへ通い始めます。
意外なのは、最初から本人が強く望んだ道ではなかったことです。
ダンスレッスンを嫌だと感じた時期もあり、同世代が結果を出す姿を見て、追いつきたい、もっと上手くなりたいという気持ちが芽生えました。
歌が好きという感覚に、競争と目標が加わった瞬間です。
ここから、日常の中で自然に歌う声は、人前で結果を出すための声へ変わり始めました。
2014年前後 中学1年のニューヨークで「音楽は教室の外にもある」と知った
オーディションを経て、中学1年生のMANATOさんはニューヨークへ約1年間留学しました。
歌、ダンス、英語を学ぶためでしたが、小学校を卒業したばかりで、英語はほとんど分からなかったと振り返っています。
そこで出会ったのは、教室の中だけで完成度を測る音楽ではありません。
ストリートライブや、カフェで誰でも歌えるオープンマイクがあり、音楽が生活の中で人とつながっていました。

企画について「3年留学」と紹介されることがありますが、本人が語っている実際の滞在は中学1年時の1年間です。
長さを誇張するより、言葉の通じない年齢で、知らない人の前でも歌える場所へ入った経験の方が重要でしょう。
後にR&Bやヒップホップのタイム感を自分の強みと呼べる土台は、技術書だけで作られたものではありません。
音楽が会話として使われる環境を、早い時期に身体で知ったことが始まりでした。
帰国後 一度離れたから、好きな音楽を自分で選び直せた
帰国後もレッスンとオーディションを続けましたが、一直線に夢へ進んだわけではありません。
思い悩み、レッスンへまったく行かなかった時期もあったと本人は話しています。
この空白は、後退だけではありませんでした。
一度離れたことで、自分に何ができ、何が本当に好きなのかを見つけ直せたといいます。
与えられた課題を上手くこなす少年から、自分が聴き続けたい音楽を選ぶ青年へ変わった時間です。
後にR&Bとヒップホップを「自分の芯」と呼ぶ言葉には、休まず続けた人の自信だけでなく、離れても戻ってきた人の選択が含まれています。
2021年 THE FIRST 安定感が、個性を隠す壁になった
THE FIRSTへ参加したMANATOさんは、歌もダンスも高い水準で安定していました。
その一方で、順位を落とした時には強い悔しさを感じています。
クリエイティブ審査では、既にある曲を正しく再現するだけでなく、メロディーや構成を仲間と一から作りました。
『A Life』の経験を通じ、自分のアイデアが曲の形を変える場面が増えていきます。
しかし器用さには、別の問題がありました。
何でも苦手なくできるため、自分でも「尖った部分がない」と感じていたのです。
安定しているのに順位が下がる経験は、MANATOさんへ厳しい問いを突きつけました。
正解を外さないことと、誰の歌か分かることは同じではありません。
『Be Free』から『Shining One』へ R&Bを隠さず、七人の中の役割にした
合宿が進む中で、MANATOさんは自分の強みを、R&Bのフィーリングやバイブスを歌へ落とし込めることだと言葉にします。
声もスタイルも他の参加者と重ならないという自覚が生まれました。
『Be Free』では一人で目立つのではなく、仲間と曲を完成させるために安定を使います。
音程を守る能力が、審査を通るための盾から、周囲が安心して表現できる土台へ変わりました。
最終的に選ばれたBE:FIRSTの『Shining One』では、歌のフックを担います。
個性を見せるために安定を捨てず、安定したままR&Bの揺れを残す方向が、七人の中の役割になりました。
デビュー初期 曲の途中で空気を変える人になった
『Gifted.』では終盤のフェイク、『Bye-Good-Bye』『Brave Generation』『Betrayal Game』ではBメロなど、曲の景色が変わる場所を任されます。
最高音を毎回担当するのではなく、一節で温度やリズムを変える役割です。
メンバーからは、音楽との距離が最も近い人物として頼られるようになりました。
メロディー制作で他の人にない線を提案する時間も、チーム内で一つの名物になります。
「何でもできるから尖りがない」という悩みは、ここで反転しました。
複数の役割へ対応できることが、無色ではなく、曲に足りない色を持ち込める能力として評価され始めたのです。
MANATOさんの現在の歌い方では、この時期に形になったR&Bの間とニュアンスを詳しく整理しています。
2022〜2023年 ShowMinorSavage 好きな音楽を「担当パート」から作品へ広げた
MANATOさん、SOTAさん、Aile The ShotaさんによるShowMinorSavageは、三人が共通して好きなR&Bとヒップホップを形にする活動です。
BE:FIRSTで担当する数秒を工夫する段階から、リファレンスを共有し、ヴァースやメロディーを作る段階へ進みました。
『Thinkin' bout you』では、歌唱、ラップ、制作の境界が薄くなります。
誰かに与えられたR&B風の曲を上手く歌うのではなく、自分たちが好きな質感を、最初から作品の構造へ入れました。
THE FIRSTで見つけた「自分だけの歌い方」が、ここではグループ内の差別化を越えます。
好きなジャンルを守ることが、そのまま新しい曲を生む力になりました。
2024年 BF LAB 一人で余白まで背負った
『プラスティック・ラブ』の公式カバーは、MANATOさんが一曲を一人で担う機会になりました。
七人なら、前後のメンバーが曲の色を変えてくれますが、ソロでは空白を含むすべての時間が自分の判断になります。
この歌唱については、少し後ろへ言葉を置くタイム感、ファルセットの抜け、フェイクを見せつけず流れへ溶かす点が評価されました。
「口から音源」の再現性に加え、何も足さない場所まで自分で決められる歌手として見られ始めます。
同じソロでも、オーディション時の歌は自分の実力を示すためのものでした。
BF LABでは、既に認められた実力を証明し直すのではなく、好きな音楽の空気へ聴き手を長く留めることが目的になっています。
2025〜2026年 『BUBBLE』で、グループの外にもR&Bの居場所を作った
BMSG FES'25で披露され、2026年に配信された『BUBBLE』には、MANATOさん、KAIRYUさん、REIKOさん、KANONさんが参加しました。
所属グループも世代も異なる四人を、R&Bという共通言語で結ぶ曲です。
ここでMANATOさんは、BE:FIRST内のR&B担当にとどまりません。
強い歌手が集まった場で自分を大きく見せるのではなく、異なる声が一曲の切なさへまとまるよう橋を架けています。
中学時代のニューヨークで、音楽が知らない人同士をつなぐ場面を経験しました。
その感覚が、十年以上を経て、グループを越えた歌手同士をつなぐ役割として表れたのです。
2026年 『Rain on me』で、初めて自分の雨を降らせた
ソロ企画第5弾の『Rain on me』では、MANATOさんが作詞し、UTAさんと作曲しました。
映像も、歌詞を書く時に本人が思い描いた情景やメッセージを基に作られています。

THE FIRSTでは、課題の中で自分の個性を見つけました。
BE:FIRSTでは、七人の曲に必要な場所を任されました。
ShowMinorSavageでは、仲間と好きな音楽を作品へしました。
初ソロ曲で引き受けたのは、一人の主人公が何を見て、何を言えず、どんな距離で歌うかを最初から決める責任です。
声の技術が上がったという一言では、この変化を捉えられません。
「歌い方」が個性だと語ってきた人が、歌い方の前にある言葉とメロディーまで作るようになりました。
正確に歌える声が、自分の情景を他者へ渡す声へ到達した作品です。
変わらないのは、好きな音楽を曲の中へ隠さないこと
小学生のレッスン、ニューヨーク、THE FIRST、BE:FIRST、ShowMinorSavage、初ソロ曲と、MANATOさんが背負う範囲は広がりました。
一方、R&Bとヒップホップを好きだという芯は変わっていません。
違うのは、その好きを証明する方法です。
かつては上手く歌い、踊ることで結果を求めました。
現在は、曲の余白、他の歌手との受け渡し、作詞、作曲、映像の情景まで使って、自分の音楽観を残します。
JUNONさんの歌唱変遷では、未経験に近い状態から高音をグループの武器へ変え、ソロへ進む別の道が見えます。
早くから多くをこなせたMANATOさんは反対に、できることを増やすより、何を自分の中心にするかを選ぶことで変わりました。
まとめ
MANATOさんの歌声は、小学生からの訓練と中学時代のニューヨーク留学によって、早い時期から高い安定感を持っていました。
THE FIRSTでは、その器用さが「尖りのなさ」にも見え、自分だけのR&Bのフィーリングと強弱へ向き合います。
BE:FIRSTでは曲の空気が変わる場所を任され、ShowMinorSavageでは好きな音楽を制作から形にしました。
『プラスティック・ラブ』で一曲の余白を背負い、『BUBBLE』ではグループを越えて声をつないでいます。
2026年の『Rain on me』では、作詞と作曲から自分の情景を作りました。
「口から音源」と呼ばれた声の最大の進化は、さらに正確になったことではなく、何でもできる人が、自分で選んだ音楽だけは譲らず、その選択を一曲の始まりから終わりまで担えるようになったことです。
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