みあ(三月のパンタシア)の歌い方――「青春なんていらないわ」と「101」は何が違う?

2024年の三月のパンタシア公演で歌うみあ みあ(三月のパンタシア)

みあの歌を一曲だけで説明しようとすると、必ず何かを取りこぼします。
「フェアリーテイル」ではいつもの落ち着いた声を明るく温かく届けようとし、「夜光」では勢いを優先し、同じシングルの「101」ではリズムの正確さに集中しました。
彼女の歌い方を決めるのは「儚い声」という固定した声質よりも、その曲の人物が何を伝えるのかという選択です。

「フェアリーテイル」では、優しさをただ小さく歌わない

アニメ『亜人ちゃんは語りたい』のエンディング曲「フェアリーテイル」について、みあは自分の声がもともと落ち着いたトーンなので、普段より明るさと温かさが伝わるように意識したと話しています。
親友や家族を思い浮かべ、歌詞の意味を自分の感覚として受け取れるまで向き合ったとも説明しました。

ここでの狙いは、単に声を大きくすることではありません。
頑張って歌っている感じを前に出しすぎず、曲と声の距離を繰り返し考えたそうです。
優しい曲だから弱く歌えばよい、という単純な設計ではない。
言葉の明るさが自然に届くところまで、感情と力の見せ方を調整しています。

みあは、優しい旋律に言葉がそのまま流されないようにすることも大切にしました。
心地よい音の流れに任せるだけでは、歌詞が伝えたい相手との関係が薄くなる。
一緒にいて会話がなくても落ち着ける親友を思い浮かべたという話は、この曲で選んだ温かさの中身を教えてくれます。
大きな感動を作りに行くより、当たり前に隣にいてくれる人を感じながら歌ったのです。

「青春なんていらないわ」では、言葉がサビへ向かう

「青春なんていらないわ」は、みあが書いた夏の小説を原案に、n-bunaが楽曲を作った作品です。
歌の主人公は、青春を素直に肯定するだけの人物ではありません。
ためらいや言えない気持ちを含む物語が先にあるから、タイトルの突き放すような言葉と、歌が前へ進む感覚は両立します。

2022年の『THE FIRST TAKE』版は、ピアノだけを伴奏にした編成です。
森朋之のコラムは、抑えたAメロ、Bメロから、サビへ向かって感情があふれる歌に注目しています。
音数が少ないからこそ、言葉を内側にとどめる時間と、外へ放つ時間の違いが伝わる。
一曲を一続きの「儚さ」で塗らず、ためらいの先にある感情の高まりまで描いているのです。

同じ評では、最後の言葉のあとの吐息のようなブレスと、歌い終えた直後の溜息にも触れています。
サビで感情が強くなった後にも、歌の表情は続いている。
盛り上がった頂点だけでなく、言葉を手放したあとに何が残るかまで含めて、物語の余韻になる演奏です。

「夜光」は大きく、「101」は細かく――本人が分けた基準

2021年の「夜光」と「101」は両A面の一枚に入っています。
みあは「夜光」では細かい技術よりもダイナミックに歌うことを重視したと明かしました。
「夜光」は自身の小説に登場する高校生たちの物語と結び付いた曲です。
物語の感情を大きく届ける選択が、この曲の中心にあります。

一方「101」は、本人によればリズムがずれたらかっこよくならない曲です。
特に2番のAメロはラップ調で言葉が続き、息継ぎする場所が少ない。
みあはじんの仮歌を参考にしながら録音し、Aメロの冷静さ、Bメロの伸び、サビの広がりを組み立てました。
勢い任せではなく、言葉をリズムに収めながら疾走感を保つ必要があったのです。

ただし、正確に歌うことだけで録音が完成したわけではありません。
アニメイトタイムズの取材で、みあは「101」の録音を一度仕切り直したと明かしています。
準備してきたのに気負ってしまい、サビで表したかった熱さや、逆風の中を進む力強さが声とうまく結びつかなかった。
そこで、そのまま続けず、改めて録り直すことになりました。
リズムを捉える技術と、曲にふさわしい熱を声に乗せることの、両方が問われた録音だったのです。

「感情を込める歌」と「正確に歌う歌」という二択でもありません。
「夜光」にも構成があり、「101」にも主人公の熱があります。
ただ、どちらを前面に置くかを曲ごとに変えた。
その差をみあ自身が明言しているところに、歌い方を読み解く確かな足場があります。
声の選び方が時期を通じてどう増えてきたかは、みあの歌唱変遷で追っています。

「四角運命」は、投げやりさの奥に切実さを残す

2022年の「四角運命」では、さらに違う言葉の扱い方を選んでいます。
アニメ『カッコウの許嫁』のエンディング曲で、みあはヒロインたちの、気持ちに踏み出せない苦しさを考えて歌詞を書きました。
周りの女の子を応援したい気持ちと、自分の恋を諦めきれない気持ちが一緒にある。
単に相手を押しのけたいのではない、複雑な立場です。

本人は歌う際、一語ずつ大事に包むというより、少し投げやりで吐き捨てるような感覚と、切実さを意識したと説明しています。
乱暴な態度だけを見せても、胸の内にある迷いは伝わらない。
言葉を突き放して聞かせながら、どうにもできない気持ちを残すことで、その人物の矛盾を歌にしています。
「フェアリーテイル」で自然な温かさを届けた声が、ここでは素直に話せない人の言葉も引き受けるのです。

明るい曲と暗い曲を、同じ表情にまとめない

2024年のアルバム『愛の不可思議』を携えた公演を、Real Soundのライブ評は曲ごとの表情の対照として伝えています。
「幸福なわがまま」では弾むような明るさがあり、「僕らの幸福論」では声の陰りが現れ、執着を描く曲では別の強さを見せたという記述です。
小町碧音のレポートは、「サイレン」で一言ずつ丁寧に歌う姿にも目を向けています。
一歩ずつ相手との関係を確かめるような言葉の運びが、恋の慎重さを感じさせた場面でした。

その公演は朗読を挟みながら、両思いの喜びから片思い、友情や家族への思い、暗い執着へと進みました。
声の表情は、曲順の中でも意味を持っています。
明るい曲のあとに聞く「僕らの幸福論」の息づかいや陰りは、同じ歌い手が違う愛の形に入ったことを伝える。
一曲ずつの歌い分けが、公演全体の物語にもなっていたのです。

2024年の三月のパンタシア公演で歌うみあ
2024年の公演で歌うみあ。
画像出典:Real Soundの公演写真

重要なのは、三月のパンタシアを「青くて切ない歌だけ」と理解すると、歌が引き受ける人物の違いを見失うことです。
温かさを自然に渡したい曲では頑張りを見せすぎず、言葉が密集する曲ではリズムを優先する。
みあの歌い方は、どんな声を出せるかだけでなく、どの声をその物語に渡すかで形になります。

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