欧陽菲菲の歌唱変遷|ヒット曲を歌い直すとき、歌い方も組み直した

レーベルが掲載する欧陽菲菲の写真(撮影年不明) シンガー
レーベルが掲載する欧陽菲菲の写真(撮影年不明)

欧陽菲菲は、「雨の御堂筋」や「ラヴ・イズ・オーヴァー」を、何度も歌い直してきました。
1991年の『オーソドックス』では、粘りのある声質を、メリハリのある乾いた歌い方でディスコの伴奏に合わせたと評されています。
同じ曲を歌い続けることと、歌い方を固定することは、彼女にとって同じではありませんでした。

「ラヴ・イズ・オーヴァー」|1982年再録・若草恵編曲/Universal提供音源

勢いのあるヒット曲から、B面のバラードへ

1971年に日本デビューしたころ、欧陽菲菲は日本語をほとんど話せませんでした。
歌詞には中国語で発音の手がかりを書き込み、仕事のない時間にも日本語を学んでいました。
大ヒットした「雨の御堂筋」に続き、「雨のエアポート」「恋の追跡」など、勢いのある楽曲が彼女の印象を作っていきました。

「雨の御堂筋」|1971年原盤・『SOUL・FEI FEI!』収録/Universal提供音源

「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、1979年に「うわさのディスコ・クィーン」のB面として発売されました。
A面はそれまでの活動に通じるダンス曲でしたが、本人が強くひかれたのは、裏面に収められた大きなバラードでした。
まだ大きなヒットになっていなかったこの歌を、コンサートでも歌い続けます。

作詞・作曲の伊藤薫は、録音時の楽しい気持ちと、力の足りなさを感じたことの両方を振り返っています。
欧陽菲菲の日本語の発音につられて、自分の発音までおかしくなってしまうこともあったそうです。
後に代表曲となる歌も、作者にとっては、すべてが思いどおりに運んだという記憶ではありませんでした。

「ラヴ・イズ・オーヴァー」を、編曲を替えてもう一度

1980年にはA面曲として発売され、1982年には編曲者を川上了から若草恵に替えて、再び吹き込みました。
1983年の大ヒットまでには、最初の発売から約4年かかっています。
欧陽菲菲にとってこの曲は、一度録音して次へ進んだ作品ではなく、発売の形や伴奏を変えながら、繰り返し世に送り出した歌だったのです。

音楽ライターの馬飼野元宏は、曲調だけでなく、歌の中の女性像にも注目しています。
それまでの失恋の歌に多かった、相手に去られた女性とは異なり、この曲の女性は、別れを告げる相手をいたわります。
テンポの違いに加えて、悲しみと相手への思いやりを一人の人物の中に表すことが、このバラードの大切な部分になります。

『エッセンシャル・ベスト 1200 欧陽菲菲』のジャケット(2018年発売・撮影年不明)
『エッセンシャル・ベスト 1200 欧陽菲菲』のジャケット(2018年発売・撮影年不明)。
画像出典:写真掲載元

1991年、粘りのある声をディスコに合わせる

1991年9月の『オーソドックス』は、ヒット曲を集め直すだけでなく、自分で歌い直したアルバムです。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」「雨の御堂筋」「雨のエアポート」「恋の十字路」などが並びます。
異なる時期の代表曲を、ディスコの音作りの中へ置き直しました。

この作品を評したCDJournalは、もともとの声の粘りと、ディスコ・サウンドには、そのままでは馴染みにくい面があると捉えています。
そこで評価したのが、乾いた、メリハリのある歌い方でした。

声に粘りがあることと、一曲を粘りのある調子で歌い通すことは、別の選択です。
この評からは、持ち味を残しながら、伴奏に応じて歯切れを変えた歌唱がうかがえます。
1982年の「ラヴ・イズ・オーヴァー」が同じ曲の編曲を替えた再録だったのに対し、今度は複数の代表曲を、新しい音作りに合わせて歌い直したのです。

1994年、「感恩的心」では歌い方に迷った

日本でのヒット曲を歌い直す一方、台湾では、新たな題材をどう歌うかに悩む場面もありました。
1994年の「感恩的心」は、台湾で放送された日本のドラマ『おしん』のエンディング曲です。
人生の苦難に向き合い、それでも感謝を忘れず生きていく心を歌っています。

作詞した陳樂融は、最初から欧陽菲菲が歌う予定だったため、その声を思い浮かべ、内面へ向かう深い内容にしたと説明しています。
一方、後年本人に取材し、自分を小さな存在にたとえる言葉には、当初なじみにくさを感じていたと知りました。
陳は、舞台のスターとしての姿と、静かに耐えて生きる人を描く歌との隔たりがあったのではないかと捉えています。

当時の『聯合晚報』の取材記事によれば、欧陽菲菲は歌詞を受け取ったとき、どのような歌い方がよいのか、すぐには決められませんでした。
歌手として長い経験があっても、これほど重い主題の曲は歌ったことがなかったといいます。
記事は、最終的な歌唱を、感情を過度にあおらない落ち着いた表現として評価し、運命を受け止めて前へ進む精神に合っていたと伝えています。

「感恩的心」|『烈火』(1994年)収録・豐華唱片提供音源

ディスコに合わせた歯切れと、人生を歌う曲での抑制。
1991年盤とこの曲を並べると、表現の変化は時代ごとに一方向へ進むものではなく、目の前の曲が求めるものに応じた選択だったと考えられます。

1999年の金鐘奨で、白い衣装で客席に手を振る欧陽菲菲
第34回金鐘奨での欧陽菲菲(1999年)。
画像出典:聯合報系・報時光

2010年の制作談に残る、録音前の入念な準備

後年の制作でも、新しい形を探す姿勢は続いていました。
2010年の取材で、制作をともにした吳大衛は、新曲の方向や企画について、欧陽菲菲と何か月も話し合ったことを語っています。
録音室へ入る前には、繰り返し練習し、細部を確認してからでなければ、本人が安心しなかったそうです。

吳大衛が一緒に仕事を始めたときには、彼女はすでに成功した歌手でした。
だからこそ、過去の実績からもう一歩進んだ、新鮮な形を見つける必要があったと振り返っています。
十分な準備をしてから歌うことは、失敗を避けるだけでなく、次の作品をどう聴かせたいかを確かめる時間でもありました。

同じ取材で欧陽菲菲自身も、公演を終えると、次ならもっとよくできるのにと考えることを話しています。
ヒットした歌に戻る場合も、初めての題材を受け取る場合も、一度できた歌い方をそのまま答えにはしない。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」の再録、ディスコへの歌い替え、「感恩的心」での迷いは、それぞれ違う曲の条件に合わせて表現を探した歩みとしてつながっています。

録音時の歌い方と、息や言葉を使う場面は、欧陽菲菲の歌い方で扱っています。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました