林部智史の歌を、伸びやかな声とビブラートで捉えていると、「追伸」での選択は少し意外です。
この曲では、ビブラートをほとんど使っていません。
声をきれいに伸ばす技術を持ちながら、言葉に合わせて、その使い方を選んでいます。
曲のキーにも、理由があります。
自分に歌いやすい高さと、原曲を大切にする気持ちがぶつかることもある。
何を聴き手へ届けたいかによって、林部は声の使い方を変えています。
「追伸」は、揺らして聴かせるより手紙を読むように
ビブラートは、伸ばした声の高さを細かく揺らす表現です。
その揺れを抑える理由も、一曲ずつ異なります。
「追伸」の録音では、手紙を読む感覚を得るため、歌詞を左手に持ちました。
ビブラートをほぼ使わない歌い方も、その場面と結びついています。
一方、「忘却のタンゴ」では、冒頭の語尾を揺らさず、放り出すように歌いました。
同じ「揺らさない」選択でも、一方は手紙の言葉として、もう一方は人物の態度として働くのです。
裏声も、磨ききったテイクだけが正解ではない
『カタリベ1』の「Squall」では、あえて本人が失敗と呼ぶ裏声のテイクを残しています。
また、原曲で好きだった息の漏らし方を再現するため、何度も歌いました。
声が整っているかだけで録音を選ばず、人物の気持ちがそこに感じられるかを大切にした選択です。
その箇所を録り直すためにも、曲の頭から歌ったといいます。
途中だけを差し替えれば、そこまで歌ってきた声の状態がつながらなくなるからです。
一曲の時間を通して生まれる人間らしさまで、完成した歌に残そうとしていました。
一方、「糸」では、抑えすぎても、押しすぎても合いませんでした。
本人が少し押したと感じるくらいで、録音を聴くとちょうどよい。
柔らかい歌を目指すときにも、声を弱めるだけでは届かないのです。

画像出典:画像掲載元
ピアノだけの歌では、吸う息まで聞こえる

画像出典:画像掲載元
叙情歌の公演は、ピアノと声という小さな編成です。
その環境では、言葉の間に息を吸う音も目立ちます。
林部は、叙情歌のツアーを始めてから、息の音を抑えるために鼻から吸うことを意識したと話しています。
J-POPでは呼吸の音を表現に使う場合もあり、歌う場面に合わせた選択です。
強弱も一律にはつけません。
「千の風になって」のように起伏を作る曲に対し、「荒城の月」は大きく変化させない歌い方を考える。
静かな曲だから弱く歌う、というだけでなく、旋律や言葉が必要とする起伏を見ています。
反対に、オーケストラとの共演では、厚い響きとピアノだけになる場面との落差を魅力に挙げています。
本人が語るのは、演奏が増えたり引いたりする動きと、自分の歌を一緒に届ける楽しさです。
伴奏の人数が変われば、声を聴かせる周囲の空間も変わります。
高くすれば優しく歌える曲でも、原曲のキーを選ぶ
「夢一夜」を『カタリベ~愛のエクラン~』に収めたとき、林部は、キーを上げれば自分には優しく歌いやすいと感じていました。
それでも選んだのは原曲のキーです。
南こうせつの歌として親しんできた人の印象を、大切にしたかったからでした。
高い声が出るから高くする、低い声で歌えば落ち着く、という決め方ではありません。
自分の声が自然に出る位置と、聴き手が覚えている歌の位置を、曲ごとにすり合わせる。
同じアルバムでも、キーと声の出し方には一曲ずつ時間をかけています。
「虹めいて」は、高音と低音の両端が難しい
キーの選択で楽にできない曲もあります。
宇崎竜童と阿木燿子による「虹めいて」は、本人が歌に使う低音と高音の両端近くまでを含む曲です。
2022年の林部は、それまで録った曲の中でも、最も低く、最も高い音を使う一曲だと説明しました。
キーを下げれば高音は近づいても、低音がさらに下がる。
上げれば逆になります。
本人にとっては、上下どちらにも動かしにくい設定でした。
しかも、公演の終盤に歌うため、声のコンディションも大きく関わります。
優しく聞こえる歌の背後に、音域全体を保つ難しさがある具体例です。
『カタリベ2』の女性歌手の曲では、キーを変えること自体が原曲との違いになりました。
林部は、その違いによって自分の色を乗せやすいと考えています。
さらに、自分が好きなR&Bが、そのまま自分の声に合うとは限らないとも話しています。
好みを押し通すより、声が生き、幅広い世代が親しめる音作りを探る姿勢です。
原曲の癖を残すのにも、消すのにも理由がある
2025年の「見えないね」では、作曲した因幡晃のデモにあった独特の節回しを残しました。
音をまっすぐ終えるのでなく、途中で動かすような歌い方です。
それを外せば自分の曲には近づくものの、林部は、作り手の気配も感じられる歌にしたかったと説明しています。
対照的に、南こうせつが「追伸」を書くときには、高い声を出せる林部に、低い声で歌わせたいという考えがありました。
林部が語ったのは、切なさと爽やかさを持つ曲を、作家と相談して形にした過程です。
得意な高音を必ず中心に置くのではなく、作家がその声に見つけた別の表情も受け取っています。
曲の主人公へ、どこまで近づくか
『カタリベ~愛のエクラン~』の「難破船」では、林部自身の影を強く映さないようにしながらも、最後の場面では主人公に近づく必要があると考えました。
距離を置きっぱなしでは歌の奥行きが出ない。
自分を前に出しすぎず、必要なところでは気持ちを寄せる、その加減を探っています。
この作品では、マイクから少し離れて歌う録り方も試しました。
周りの空気も含んだ響きにするためです。
声の印象は、発声に加え、録る距離でも変わります。
デビュー時の「あいたい」も、言葉の少なさが歌い方の難しさになる曲でした。
林部は、自分が思う相手を浮かべて歌う一方、聴く人全員の気持ちを理解することはできないと話しています。
明確な相手を持って歌うことと、聴き手の思いを決めつけないことが、同時にありました。
技術を見せる場所を、言葉が決める
「いずこ~ふたたび歌を空に翔ばそう~」では、林部は題名の「ふたたび」に注目しました。
希望を歌う前に、一度は飛べなくなった経験がある。
その挫折や儚さも乗せて歌いたいと考えたのです。
明るい言葉だから勢いよく声を出す、とは決めず、その言葉が出てくるまでの時間を読み取っています。
林部は、2024年のカバー制作でも、原曲への敬意と、自分が歌う違いの両方を必要だと考えています。
違いを大きくすればよいわけでも、同じにすればよいわけでもない。
その難しさのため、編曲者との打ち合わせには、オリジナル曲以上の時間をかけたと話しています。
「追伸」で揺れを抑えた声には、手紙を読むという場面があります。
伸ばせる声をどう終えるかにも、林部の表現があるのです。
その判断が育ってきた歩みは、林部智史の歌唱変遷で、デビュー期から作家との制作までたどっています。







コメント