Lucky Kilimanjaroの「Burning Friday Night」が大きく広まったのは、発表から何年もたった後だった。
その間に、歌う熊木幸丸自身も、声の捉え方を変えている。
音程と長さを合わせる感覚から、声の出だしや伸ばし方でリズムを作る感覚へ。
彼が学び直したのは、踊れる曲の中で、自分の歌に何ができるかということだった。
「Burning Friday Night」――2015年発表の原盤音源
2015年の出発点と、2018年に変わった言葉の届け先
同じ大学の軽音サークルで出会った仲間によるLucky Kilimanjaroは、2015年のミニアルバム『FULLCOLOR』に「Burning Friday Night」を収めた。
当時の熊木は、何をすれば格好よくなり、どうすれば踊れるのかも、手探りだったと振り返っている。
もっとできたことはあったという思いと、聴いた人の好意的な反応が残った。
自分たちの音楽が誰かにとって大事なものになり得ると知った、最初の作品でもあった。
2017年の『Favorite Fantasy』では、遅いテンポでも踊れると考えるようになり、曲作りの幅が広がった。
以前はバンドで演奏できることを基準にしていた音作りも、まず入れたい音を入れ、再現方法を後から考えるやり方へ変わる。
自分たちが知っているバンドの形から、まだ試したことのない踊り方へ向かっていった。
2018年のメジャーデビューEP『HUG』では、歌う言葉の役目も変わった。
それまでは雰囲気を優先していた熊木が、聴く人にどう動いてほしいのかまで考え、伝える内容をはっきりさせるようになったのだ。
言葉を解釈してから受け取る手間を減らし、日々の行動につながる歌にしたい。
「ひとりの夜を抜け」には、そんな時期の考え方がある。
この変化は、歌詞の題材だけに留まらなかった。
2019年の取材で熊木は、『HUG』以降は先に詞を書き、それからメロディを考えるようになったと説明している。
言いたいことを多く書けば、その分だけメロディも速くなる。
本人にとって、ラップのように聴こえる歌い回しは、言葉を大事にする作り方から生まれる面もあった。
その歌に、聴き手から励まされたという反応が返ってくる。
自分を格好よく見せたい気持ちから、誰かに力を渡し、その反応を受け取る楽しさへ。
声を届ける相手が、曲作りの中ではっきりしたのである。

写真出典:Fanplus Musicの2019年ライブ写真
2020年頃、音程と長さだけでは捉えられなかったリズムを知る
歌そのものを学び直す転機は、2020年頃に訪れた。
2021年の『DAILY BOP』の取材で熊木は、前年くらいから歌を習い始めたと話している。
それ以前の自分には、音程と音の長さを合わせる、カラオケに近い感覚があったという。
教わる中で目が向いたのは、ジャズの歌手が一音の頭をどう入れるかという細部だった。
同じ音程と長さでも、出だしをどんな曲線にすれば、違う流れが生まれるのか。
熊木は、音を譜面上の位置としてだけ見るのではなく、空気がどう流れるかを考え始めた。
歌も声でリズムを作るものだと知り、自分の表現全体の捉え方が変わったという。
同時期には、曲のリズムも細かく研究していた。
2020年のアルバム『!magination』で広がりのある音を作った後、次はもっと純粋に踊れる音を作りたくなった。
拍を数えるだけでなく、キックの音が立ち上がってから消えるまでの長さや音量の変化まで考える。
その細かさが、声にも必要なのだと気づいた時期だった。
2020年の「太陽」では、日本語ならではの響きをダンスミュージックへどう生かすかにも挑んでいる。
歌詞で何を伝えるかに加え、その言葉を音としてどう動かすかが課題になった。
この挑戦は、後の「後光」にも続いていく。
一方、コロナ禍で人が集まりにくくなり、自分の音楽が日常の中で何をできるかも考え直した。
『DAILY BOP』を朝から夜へ進む構成にしたのは、聴く人の生活と一緒にある作品にしたかったからだ。
「KIDS」も収めたこのアルバムで、踊るための音の研究と、毎日を過ごす人へ歌うことが結びついた。
2022〜2023年、話すような声と、踊りながら歌う身体
2022年、本間昭光との対談では、なるべく話すように歌おうとしていると明かした。
強く張ると、自分が欲しいリズムの形に整いにくいと感じていたからだ。
出だしから消え際までの声の動きを扱うために、普段の話し声に近い感覚を選んでいた。
録音では、エンジニアの土岐彩香に、曲でどんな気分になりたいかを伝え、音の仕上げを大きく任せていたという。
自分が歌うときの感覚と、その声を曲の中にどう置くか。
両方を通して、踊れる音楽の中で声が働く場所を探っている。

写真出典:音楽ナタリーの2022年ライブ写真
その考え方が共演者との録音にも表れたのが、2023年の安田レイ「HOME THERAPY feat. 熊木幸丸 from Lucky Kilimanjaro」だった。
熊木は安田に、ラップとメロディの間のような速い言い回しや、踊りながら歌うことを提案した。
声がぶれないよう、普段はなるべく動かず歌っていた安田には、新しい試みだったという。
熊木自身は、録音した歌を聴くときも体を動かす。
踊ったときに気持ちよく感じるかを、出来を判断する基準にしていたからだ。
この曲ではテンポもBPM125から122まで一つずつ試し、安田の声の乗り方と曲の雰囲気が最も合う123を選んだ。
歌手が伴奏に合わせるだけでなく、その人の声が気持ちよく動ける速さを探すところまで、歌のリズムを考えていた。
「HOME THERAPY feat. 熊木幸丸 from Lucky Kilimanjaro」公式スタジオライブ(2023年公開)。
2023年、「後光」で歌と楽器の境界を曖昧にする
2023年の「後光」でファルセットを選んだ理由も、声をどこへ置くかという問題につながる。
熊木が狙ったのは、楽器として聴こえるのか、歌として聴こえるのか、簡単に決まらない声だった。
聴く人によって、違う時代のダンスミュージックを思い浮かべられる曖昧さも欲しかったという。
この頃は、情報を少なくし、聴き手が自分の景色を持ち込める余白にも関心が向いた。
2018年に言葉を明確にしたことと、2023年に曖昧さを求めたことは、一見すると逆に見える。
ただ、熊木は以前の伝え方も大事にしながら、表現の幅を広げたいと話している。
何を言うかを前に出す曲も、声を音の一部に溶け込ませる曲も、選べるようになってきたのだ。
同じ2023年、初期曲「Burning Friday Night」の広がりを実感したのは、ライブで客席が一緒に歌う光景を見たときだった。
数字で知る人気が、目の前の歌声として返ってきた。
昔の曲も、その時点の熊木と客席が動くための曲になっていた。
曲をつなぐライブの形にも積み重ねがある。
DJのように曲を続ける方法自体はインディー期から試し、2020年頃にMCを減らした形へ落ち着いたという。
曲間で気持ちを冷まさず、イントロや間奏を使って次へ渡す。
一曲の中の声のリズムから、公演全体で客席が動き続ける流れへ、考える範囲も広がっている。
「Burning Friday Night」ほか計4曲の公式ライブ映像(2023年7月2日・豊洲PIT)。
2024年、心が戻れる場所を、踊れる歌の中に作る
結成10周年の2024年には、『Dancers Friendly』と『Soul Friendly』を発表した。
毎年のアルバム制作から一度離れ、体を踊らせる音と、心を動かす音を分けて考えようとした二作だった。
次の10年へ進むために、自分たちの音楽を捉え直したかったのである。
ところが作っていくと、体と心は切り離せないと、熊木は改めて感じた。
『Soul Friendly』の「メロディライン」は、その重なりが分かる一曲だ。
傷ついたときに帰れる場所を、一つのメロディで作りたい。
そんな発想から、曲のほぼ全体を同じメロディで通す構成にしたと語っている。
安心できる場所を思い描いた曲でありながら、本人は同EPの中で最もダンスミュージックらしい音だとも説明していた。
初めて来た人が曲を知らなくても楽しめるようにするのは、演者の仕事だとも話す。
言葉をはっきり届けること、声の形でリズムを生むこと、繰り返すメロディに気持ちを置いてもらうこと。
熊木が増やしてきた歌の選択肢は、違う気持ちで訪れる人たちが、同じ場所で自由に過ごすためのものになっている。
一曲の中でそのリズムや余白をどう使うかは、熊木幸丸の歌い方で具体的に見ていく。

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