尾崎雄貴の歌い方|細く軽いと感じた声で、なぜ情景が伝わるのか

尾崎雄貴 シンガー

尾崎雄貴は、自分の声を「細くて軽い」と感じ、好きになれなかった時期がある。
ところがGalileo Galileiの「青い栞」は寂しさを伝える歌として受け止められ、その後も尾崎は異なる物語やアニメ作品のために歌を作ってきた。
声を太くする技術の解説だけでは、この食い違いは説明しきれない。
本人が選ぶ言葉、曲の音数、歌の届け先から、声の働きを見ていく。

「青い栞」の寂しさは、声だけで作られていない

2011年に「青い栞」が発表されたとき、メンバーの佐孝仁司は尾崎の表現が増え、以前の「僕から君へ」にあった感情よりも、さらに寂しさを感じると語った。
一方で尾崎自身は、自分の細く軽い声を気にしていた。
同じ取材に並ぶこの二つの見方は興味深い。
歌い手が欠点と思っていた声が、聴き手には曲の感情を担う声として届いていた。

尾崎はこの曲の歌詞について、自分の学生時代の言葉にしきれない気持ちを強く投影したと話している。
アニメに合わせて作られた歌でも、誰かの物語を外から説明しただけではない。
自分にも説明できない感覚を歌詞に残したことが、声の寂しさを受け取る手がかりになる。
何を感じたかを歌の前に全部言い切らない、その余白が「青い栞」にはある。

さらに、印象的なカリンバの音はデモで加工したものを完成版に残した。
伴奏も歌詞も、完璧に磨いて元の揺れを消す方向へは進んでいない。
声の魅力を考えるとき、息の量や高音だけを取り出すより、こうした曲全体の選択と一緒に捉える方が、なぜ寂しさが届くのかを理解しやすい。

尾崎雄貴
2015年のステージで歌う尾崎雄貴。
写真出典:音楽ナタリーの2015年ライブ写真

「FLAT」で共演者が受け取った、高音の艶

尾崎の声をほかの作り手がどう生かしたかを見るなら、livetuneの「FLAT」に参加した例がある。
アニメ『ハマトラ』のオープニング曲を制作したkzは、尾崎の声が作品のスタイリッシュな雰囲気に合うと考え、自ら歌唱を依頼した。
ここでは、いつものバンドの音を離れた場所で、尾崎の声そのものが選ばれている。

kzは録音された歌を聴き、想像していた完成形を超えたと振り返った。
特に高音の歌い方に、きれいさや艶を感じたという。
これは制作を共にした人の評価だが、尾崎が気にしていた声の軽さを、弱点だけで捉えなくてよいことを示している。
高い声で曲に何を加えられるかは、伴奏や作品の雰囲気によっても変わるのだ。

尾崎は、意味の前に言葉の「響き」から歌を作る

「アマデウス」では、尾崎はまず言葉の響きやリズムを足場にしている。
本人によれば、歌詞を作り始めるときは仮の日本語をメロディーへ当てはめることが多く、「ローレライ」も語感が気に入って長く心にあった言葉だ。
そこから登場人物や情景が立ち上がり、曲の物語へつながった。
完成した詞の意味だけを先に説明しても、言葉を声にして歌う理由の半分を取り逃す。

曲はアニメ『青のオーケストラ Season2』のオープニングとして作られた。
尾崎は、才能への憧れや嫉妬が混ざる登場人物の気持ちを、穏やかな旋律ではなく、焦りを含む詰め込んだリズムで表そうとしたと説明している。
これは「速く歌えば焦燥感が出る」という一般則ではない。
その物語に必要な落ち着かなさを、言葉と伴奏を含む楽曲全体へ選び取ったという話だ。

「青い栞」が言い残した気持ちを抱えた曲なら、「アマデウス」は言葉の勢いで揺れ動く心を進める曲。
同じ声でも、何を急がせ、どこを言い切らずに残すかで役割が違う。
意味を説明する言葉と、口に出したときに曲を進める言葉を、同時に選んでいるのだ。

その響きを扱ううえで、尾崎は言語も大切にしている。
2019年のBBHFの取材では、海外の音楽に影響されても、自分が最も使いこなせて、きれいに発音できる日本語で歌いたいと説明した。
当時は英語の歌も練習していたが、人前で歌える段階にはないと感じていたという。

音楽の響きに憧れることと、歌の言葉まで同じにすることは、尾崎にとって別の選択だった。
自分の口で自然に扱える言葉を使えば、語感のわずかな違いにも判断が働く。
「アマデウス」で仮の日本語から世界を作る話も、言葉を声にしたときの感触を重視する姿勢としてつながってくる。

「クライマー」は、歌う前から気持ちを高める

曲の情景だけでなく、その場へ向かう気持ちも歌を左右する。
2018年のアニメ音楽フェスで「クライマー」を演奏する前、尾崎は、自作の中でもかなり気持ちを高めなければ歌えない曲だと話していた。
リハーサルを終え、本番では前へ進む意欲を出していこうと考えていたのだ。

同曲には、山を登るように音楽を進めていく自分たちの感覚を込めたという。
作品の登場人物が高く跳ぼうとする姿と、自分たちがまだ届かない場所を目指す気持ちが重なっていた。
尾崎の歌には、寂しさを抱えたまま置く言葉だけでなく、こうして自分を奮い立たせて歌う言葉もある。

「木漏れ日坂」では、架空の世界へ自分の記憶を持ち込む

2026年の「木漏れ日坂」は、アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』の原作を読み、尾崎がアコースティックギターを手にメロディーと詞を書き始めた曲だ。
原作者との対談では、稚内で暮らしていた頃の退屈さと、何か非日常が起きてほしいという気持ちが作品に重なったと明かした。
架空の登場人物へ歌を渡す一方、自分の記憶にも足場を置いている。

この曲の言葉は、理想の自分になれない気持ちを「僕ら」として引き受ける。
原作者の紺野アキラは、その呼びかけに自分だけではないと感じたと語る。
尾崎の歌が物語の外の人にも届く理由を、無条件に「透明な声だから」で済ませたくない。
作品の人物と歌う本人と聴く人を、同じ「僕ら」の中へ招く言葉の選び方がある。

尾崎雄貴
2023年の尾崎雄貴。
写真出典:音楽ナタリーの2023年ライブ写真

声を変えようとするより、誰へ歌うかを決める

尾崎が歌手として別の人に曲を渡したときにも、同じ姿勢が見える。
中島愛へ「GREEN DIARY」を提供した際、尾崎は自分の仮歌の再現を細かく求めず、中島本人の感覚と表情を大切にしたと話した。
歌の正解は作曲者の声をなぞることではなく、その歌を引き受ける人の言葉になることだと分かる。

自分のステージについても、尾崎は「ただ声を出してみたらどう響くか」「そこにいた人の心が動くか」という根本へ立ち返りたいと語っている。
言葉と相手に合わせて声を使い、その場でどんな反応が生まれるかを確かめようとしている。

尾崎の歌い方を「細い声を克服した」とだけ結論づけると、「青い栞」に残った言えなさも、「アマデウス」の焦りも、「木漏れ日坂」の呼びかけも見えなくなる。
声を一種類の理想へ合わせるのでなく、歌の中の人が何を伝えられず、誰に届いてほしいのかを決める。
その選択が、尾崎の声を情景のある歌にしている。

昔の声を現在の録音で再現しなかった理由や、同じ曲を時期を隔てて歌った経緯は、尾崎雄貴の歌唱変遷で詳しく追った。

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