One Directionの録音で、ゼインはR&Bらしく歌った部分を、まっすぐなポップスの歌になるまで何度も録り直したと振り返っています。
聴き手には彼の声が届いていても、その歌い回しを作品に残すかどうかは、本人だけでは決められませんでした。
ソロになってからは「PILLOWTALK」の力強いサビと、ウルドゥー語で歌う「fLoWer」を同じアルバムに収めます。
2024年には別の歌手を迎えず、自分の経験を伝える『Room Under the Stairs』へ。
2026年の『KONNAKOL』ではポップR&Bに戻りながら、育った家で聴いていた音楽とのつながりを、アルバムの主題にまで広げました。
声が高くなったか、落ち着いたかという一本の線では、この歩みは捉えきれません。
ゼインの歌声は、何を自分の音楽として歌い、誰と作るかを選び直すたびに、置かれる場所を変えてきたのです。
グループで目立つ声と、録音に残せない歌い回し
ゼインがR&Bに親しんだのは、One Directionを離れた後のことではありません。
父親がアッシャーやプリンスなどを聴いていて、2010年の『The X Factor』のオーディションではマリオの「Let Me Love You」を選びました。
One Directionでは五人の声が曲を作ります。
2014年の「Night Changes」にも、ソロとは違う、グループの一員として歌うゼインの姿が残っています。
彼は脱退後の取材で、フックやヴァースを少しR&B寄りに歌っても、より単純なポップスの形になるまで録り直したことがあると話しました。
完成した曲の良さを否定する話ではありません。
ただ、その中で何を採用するかには、グループの方針が先にありました。
高い声を持っていることと、好きな歌い方を曲の中心に置けることは違う。
その違いを、最初のソロ作品が見せます。
もっとも、歌手としての経験まで、ソロになって一から積み直したわけではありません。
最初のアルバムを一緒に作ったマレイは、ゼインが舞台で重ねてきた経験を評価し、多くの歌を少ないテイクで録れたと話しています。
自分の歌を出せないと感じたグループ時代にも、人前で歌う力は蓄えられていました。
録り直す回数が減った背景には、その力と、どんな歌を残すかという制作方針の変化があったのです。

写真:evarinaldiphotography(Flickr) / CC BY-SA 2.0(掲載用に縮小)
2016年、同じアルバムに二つの音楽を置いた
ソロデビュー作『Mind of Mine』の先行曲「PILLOWTALK」は、音の厚いポップR&Bです。
グループから離れたゼインを、大きなサビで迎えた人も多いでしょう。
一方、アルバム中の短い「INTERMISSION: fLoWer」は、別の方向から彼の声を紹介します。
ギターとウルドゥー語の歌。
ゼインは、子どものころ家で流れていたヌスラト・ファテ・アリー・ハーンの音楽に影響を受け、同じ旋律を繰り返して深く入り込む歌い方について話しています。
「fLoWer」をカッワーリーの再現と呼ぶ必要はありません。
本人は、幼いころに聴いた音楽、自分が話すウルドゥー語、書いていた英語の言葉を混ぜたと説明しています。
R&Bも南アジアに根を持つ音楽も、彼の中では後から借りた役柄ではなく、育つ間に耳へ入っていたものです。
「PILLOWTALK」と「fLoWer」は、派手な曲と静かな曲というだけの対比ではありません。
ソロの名で出す一枚の中に、これまで別々に見えがちだった自分の音楽を並べられた。
そのことが、最初の大きな変化でした。
2017年、他人の声を迎えることも自分で決めた
自分の歌い方を選べるようになることは、いつも一人で歌うことではありません。
2017年の「Dusk Till Dawn」で、ゼインはシーアと歌いました。
後に、曲を彼女へ送り、シーアの参加でさらに良くなったと振り返っています。
ここで変わったのは、歌手が一人か二人かではなく、共同制作への入り方です。
グループの曲を与えられた形に合わせる窮屈さを語った人が、今度は自分の曲に合う相手を選び、その声を迎えました。
同じ時期には、携帯電話に残した声のメモをティンバランドへ送り、そこから曲を作ったとも話しています。
完成した伴奏に声を合わせるだけでなく、自分の声が制作の出発点にもなる。
ソロ初期の自由は、歌い回しだけでなく、曲の作り方へ広がっていました。
2024年、別の歌手を迎えず、自分の話を歌う
2018年の『Icarus Falls』、2021年の『Nobody Is Listening』を経て、『Room Under the Stairs』では、ギターなどの生演奏と言葉を前に出しました。
先行曲「What I Am」も、この方向を知らせる一曲です。
ゼインは、カントリーの曲で、歌う人の痛みや経験が歌詞から伝わるところに惹かれたと話しています。
また、アルバムを作るきっかけになった「Alienated」では、自分にこんな曲が書けるのかと驚いたと振り返りました。
多くの曲の歌詞を自分で書き、今回は別の歌手に自分の物語を語ってもらう必要を感じなかったとも述べています。
プロデュースにはデイヴ・コブも加わりましたが、歌う声を増やすことは選びませんでした。
実際には、ゼインは自分で作ったデモをそのまま発表する案も考えていました。
周囲からコブとの制作を勧められ、本人が録った歌をもとに、コブと演奏者たちが離れた場所で伴奏を仕上げていきます。
プロデューサーに任せることと、歌い手の意思を手放すことは、同じではありませんでした。
コブが注目したのは、一人で録音したゼインのそばに、歌い回しを注文する人がいなかったことです。
グループ時代には、好みの歌い回しを変えて録音し直した。
この作品では、先に本人が残した声を聴いて、演奏を組み立てる。
自分の物語を歌うという選択が、録音を進める順序にも表れていました。
2017年にはシーアを迎えることで曲を広げ、2024年には共演者を置かずに自分の言葉を届ける。
どちらも「一人でやれることが増えた」という単純な話ではありません。
その曲に誰の声が必要かを、自分で考えて決めた結果です。
この時期の歌を「Alienated」一曲から掘り下げ、なぜ不完全な部分を残したのかは、ゼインの歌い方で扱っています。
ここでは、作品全体の向きが、華やかな共演から自分の経験を伝える歌へ変わったことに注目したいと思います。

写真:César Mujica Robledo / CC0
2026年、「fLoWer」にあった問いをアルバムの表題へ
次の『KONNAKOL』では、ポップR&Bが再び前に出ます。
先行曲「Die For Me」は、その新作への入り口になりました。
2024年の生演奏を中心にした作品から、別の音楽を選び直したのです。
ただし、単に2016年へ戻ったわけではありません。
レーベルは『KONNAKOL』を、南アジアにルーツを持つ自身の文化から、これまでで最も強く着想を得た作品と説明しています。
ゼイン自身も、ソロ活動の最初からルーツを手がかりにしてきたが、今は自分がどこから来て、どこへ向かうかをより深く理解していると語りました。
アルバム名の「コナッコル」は、声で打楽器のリズムを表す技法に由来します。
2016年の「fLoWer」で参照したカッワーリーと、同じ音楽を指す言葉ではありません。
ここでつながるのは個々の様式ではなく、家や文化から受け取った音を、本人がどう自分の作品へ入れるかという問いです。
初作では短い間奏だったその問いが、十年後には作品の表題を担っています。
ゼインの歩みは、誰かに整えられた声から「完全に一人で作る声」へ進んだ、という話でもありません。
シーアやデイヴ・コブとの仕事も、自分の歌を広げるための選択でした。
かつて録り直しを求められたR&Bの歌い回しを含め、どの声を残し、どの相手と音楽にするか。
今はその判断そのものに、ゼインの歌手としての輪郭があります。

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